小さな花

神田 真

小さな花

 初恋の話をしよう。

 周りより遅く、やはり散った季節外れのヒトリシズカのような話を。


 十一才の十月、京都へ移り住んだ。

 当時は詳しく説明されなかったが、父さんが転勤するためだったらしい。

 秋の京都はとても綺麗だった。山の側に家があったおかげで、窓の外には一面のあかが見えた。

 自然は綺麗だったが、京都の人は僕には合わなかった。

 転校先の小学校では、方言を使わない僕は浮いてしまい、友達も出来なかったのだ。

 いじめられることもなかったが、関係性はいつまでも平行線だった。

 おのずと、放課後、僕の足は山へ向かった。元々自然が好きだった僕は、その豊かな自然を日が暮れるまで楽しんでいた。

 1月経った十一月のある日、僕は、さらに山の奥へ踏み込んだ。

 そこは美しい渓流が流れ、人の手を感じないまさにありのままの自然。

 さらに目を奪われたのは、渓流の流れを覆う、紅葉だった。

 『紅葉の錦』とは言い得たもので、唐紅の反物が水に浮いている様だ。

 赤、あかあか。様々な『あか』が山を彩り、冬に往けない草花の終演を飾るように、全てが美しい。

 そんな中、彼女は渓流の対岸の縁に座っていた。

 真雪のようなワンピース、輝く肌、己の白さに染められたような銀髪。物憂げな表情を浮かべた顔はビスクドールさながらに整っている。

 白い花のような彼女は、そこに一人静かに紅葉の錦を見て居た。

 彼女のことを知りたくなった。京都に来て家族以外関わりが無かったから、無意識に人を求めていたのかもしれない。

「ねえ、君」

 彼女はこちらを向いてくれた。

「どうしたの?君は、誰?」

「僕は菊花きっか。ちょっと待って、今行くかr…」

 言い終わらないうちに、彼女が跳んだ。

 重さを感じさせない、花弁はなびらのような跳躍。あっという間に、僕の傍へ着地した。

「はじめまして、菊花。私は静。よろしくね」

 時間を忘れて僕は話をした。引っ越してきた事、学校で友達が出来ない事、決して初対面でする話ではなかったが、その全てを優しく聞いてくれた。

 「私もずっと一人よ」彼女はそう言った。先天性のモノのせいで髪の色が周りと違い、それで嫌がらせを受けたと教えてくれた。

「私の髪の色、ヘンでしょ」

「そんなことないよ!よく似合ってる」

 何故かムキになって言ってしまったが、彼女は

「貴方も、ちょっとヘン。でも、ありがと」

とすこし笑って言った。

 次第に日が傾いてきて、帰らなければいけなくなった。

 その事を言うと、

「そう、じゃあまた明日。私は明日もここに居る」と言って去ってしまった。

 明日がこんなに楽しみなのは久しぶりだった。

 翌日、学校から帰ってカバンを置いて山へ向かう。道中のどんな険しい道もへっちゃらだ。

 錦の始まりに、彼女は約束通りに居た。そして今日も色んな話をした。学校であったこと、面白かった本の事、二人だけの山は特別な場所に成っていった。

 そしてまた帰らなければいけない時間になってしまった。それを察したのか、彼女は

「じゃあまた明日」と言ったが、

「待って!」と引き留めた。

「どうしたの?」

「これ、あげる!」

 持ってきた本の間に挟んでいた栞を渡す。以前山で拾った一番綺麗な紅葉を押し花にして、栞にして貰ったものだ。

「僕の宝物!」

「いいの?大事じゃないの?」

「だいじだけど君にあげる!」

 彼女は笑って、

「嬉しい。ありがとう」と言ってくれた。

 彼女との関係は何ヵ月も続いた。冬が到来しても、僕は錦の場所まで行ったし、彼女はそこに居た。

 錦が氷青色になった頃、あることが起こった。

 雨上がりの次の日、暖かい格好をした僕は、いつものように錦の場所へ向かっていた。

 岩に乗った瞬間、足を滑らせてしまった。凍結していたのだ。

 そのまま斜面を滑り落ち、木にぶつかって止まった。

 長袖を着ていたからか、余り怪我はない。ただその代わりに

 動こうとすると激痛がはしる。大声をあげても深い山の中では誰も聞かない。雨上がりの斜面を滑り落ちたために濡れた服は体温を奪っていく。

 あまりに現実的な死の恐怖に、震えることしか出来なかった。

(誰か…助けて…)

「菊花!」

 声がした。

 揺らぐ視界には、焦る静が見えた。

「もう、この山には入っては駄目」

(なんでそんなこと言うの…?)

「山に魅入られたのよ。全て忘れなさい。でないと私と同じになってしまう」

 痛みより、怖さより、彼女にそんなことを言われたことがショックで涙が溢れた。

 

 翌日、目を覚ますと病院の天井が見えた。お医者さんの話によると、山の麓に、添え木など、手当てをされた状態で倒れているのを発見されたらしい。

 親や医者に、なんでそんな危ない場所に行ったんだと問い詰められたが、結局僕は言わなかった。彼女との思い出を秘めたままにしておきたかったからだ。

 そしてまた日常は彼女に会う前に戻った。

 あの出来事が起こってから、僕は山に入ってはいない。言いつけを守っている訳ではない。ほどなくして、また、父さんが転勤して、家族で元の家に引っ越したからだ。



 五月、大人になった僕は、空き家になっていたあの家を買った。古くなってしまっているがなかなか良い家だ。何より、秋になると窓一面があかく染まるのが良い。

 山はすこし荒れてしまっているが、大体当時と変わらない。一つ感じる変化といえば、庭先まで、足跡の様に白い花が咲いている。

 彼女によく似た、白く、美しいその花の名は、

ヒトリシズカ

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小さな花 神田 真 @wakana0624

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