第6話 魔女の目にも涙
槇志はこの春から通学の利便性を理由にして、叔父の家に居候している。彼の叔父は小さな喫茶店〈そるな〉の経営者なのだが、店の運営はもっぱら双子の娘、
叔父の家は一階が喫茶店の店舗、二階が生活の場となっており、槇志はその一室を使わせてもらっている。
天咲空色が本物の魔女であることを知ったその翌日、学校をサボった彼はベッドの上でシーツにくるまっていた。
「ああ、どうしよう。どうすりゃいいんだ俺は……」
パジャマのまま右へ左へと寝返りを打つ。
空色が悪夢の魔女同様、超常の力を持っていると判明した以上、ふたりが同一人物である可能性は極めて濃厚だ。
「てことは前世か、やっぱり前世なのか。世界を滅ぼしに来たのか、あいつは」
考えれば考えるほど不安になってくる。かくなる上は世界を守るために空色と戦うべきなのだろうか?
しかし超常の力を持つ魔女相手に、普通の高校生である槇志が戦いを挑んだところで、勝てる見込みなど微塵もない。
唯一、空色に対抗できるかもしれないと思えるのが、規格外少女の綺理華だったのだが、彼女は昨日の一件で空色に籠絡されてしまったはずだ。義理人情に厚い彼女に、空色が悪の魔女であることを信じさせるのは困難だろう。
かといって代わりに夏生に相談を持ちかけたところで、足手まといになるどころか、あっさりと寝返りかねない。
やはりここはひとりでやるしかないわけだが、たとえ不意を打つなりして、運良く魔女を倒せたとしても、その場合、槇志は誇大妄想に取り憑かれた頭のおかしい殺人犯ということになり、何も知らない家族や親類に多大な迷惑をかけることになるだろう。どう転んでも明るい未来の見えない、八方塞がりな状況だった。
「くそぅ……なんで俺がこんな悩みを抱えなきゃなんないんだ。これは一高校生が背負い込むようなレベルのものじゃねえだろ」
槇志はこの世に、地球防衛軍や正義の味方がいないことを心底嘆いた。
「ったく、魔女がいるなら天使だっていりゃあいいのに……」
アニメや漫画ならば、槇志のような普通の高校生の代わりに、悪と戦ってくれる戦士(なぜか美少女)が現れるのが定番だ。
「ひょっとして俺がとことんピンチになるまで出てこねえのかな?」
半ば本気で考えかけ、槇志はそんな自分のバカさ加減に頭を抱えた。
「元からいねえよ、そんなヤツ!」
手足をばたつかせながら、むなしく自分にツッコミを入れる。
今日は朝からずっとこの調子だ。昼には月子が作ってくれていた弁当を平らげ、午後からまた悶々としているうちに、時刻はいつの間にか三時を大きく回っていた。学校ではとっくに放課後がはじまっている時刻だ。
いい加減考えることにも疲れ、槇志が寝ころんだまま、ぼんやりと窓の外を眺めていると、軽く部屋の扉をノックする音が響いた。
「槇志、起きてる?」
双子姉妹の妹、
「ああ」
槇志が短く返事をすると、外側からドアが開かれ、仕事用のエプロンを付けたままの月子が明るい顔を覗かせた。
「喜びなさい槇志、とっても美人の女の子がお見舞いに来てくれたわよ」
その言葉に槇志は表情を強張らせた。美人と聞いて真っ先に連想するのは、他ならぬ空色だ。
「ま、まさか――黒髪の女か!?」
「ううん、金髪」
月子が応えると、槇志の中に浮かんだ顔が別の人物へとすり替わった。
「紫葉か……」
ほっとしていいのかどうか、いまひとつ自信は無いが、中学以来の仲の良い友人を、無下に追い返すわけにもいかない。
「あんた黒髪の女の子に何かしたの?」
月子が興味を惹かれたように訊いてくる。
「なんもしてねえよ、逃げただけだ」
「何それ?」
「とにかく、着替えたらすぐに下に行くから、俺の奢りでなんか好きなものでも飲ませてやってくれ」
「うん、わかったわ。あんまり待たせちゃダメよ」
深く詮索することなくうなずくと、月子は小走りに廊下を戻っていった。
手早くパジャマを脱いで私服に着替えると、槇志は寝癖を適当に指で整えながら廊下に出た。階下へと通じる階段は家の中にもあるが、彼はもっぱら二階の非常階段から出入りしており、靴はそこにしか置いていない。非常階段を下りて小道に出ると、彼は普通の客と同じように平仮名で〈そるな〉と書かれた店の扉を開けた。
艶やかな金色の髪は、後ろ姿でもよく目立つ。メロンは嫌いだがメロンソーダは大好きだと主張する綺理華は、その言葉どおり美味しそうにそれをすすっていた。
槇志は小さくため息を吐いてから歩き出すと、綺理華の対面に回り込んで腰を下ろす。その途端、綺理華はトゲのある表情に変わって、ストローから口を離した。案の定、彼女は槇志を咎めるために現れたようだ。
「マキちゃん、ちょっとそこに座りなさい」
綺理華はえらそうに言った。
「いや、もう座ってるけど?」
「じゃあ一度立ってから座りなさい」
「意味のないことさせんなよ。さっさと本題に入れ」
面倒くさそうに告げると、綺理華は軽く槇志を睨みつけてから口を開いた。
「空ちゃん泣いてたよ」
「え……?」
意表を突くひと言だった。説教くさい口調で綺理華はつづける。
「生まれてはじめて魔法を見て驚いたのはわかるけど、あの怖がりようはあんまりでしょ。そもそも空ちゃんは自分の正体がばれることさえ顧みずに、ハチを助けてくれたのよ。マキちゃんだってハチの友だちなんだから、感謝こそすれ、逃げる必要なんてないでしょ」
彼女のこの台詞は予想どおりのものだった。もし槇志が逆の立場なら、同じように自分を非難したに違いない。だが槇志には空色を怖れる別の理由があるのだ。しかし――。
「天咲が泣いてたって……」
彼にとってそれは、意外極まる話だった。
「今日、マキちゃんが学校をサボったからだよ。空ちゃん、『やっぱり、わたしが魔女だから気味が悪いのかな』って涙ぐんでたの。あんな悲しい顔を女の子にさせるなんてマキちゃんは外道だよ、鬼畜だよ、人間以外の別の何かだよ」
「ひどい言われようだな……」
「ひどいことしたマキちゃんが悪い」
唇を尖らせて綺理華は言い放つ。
「…………」
しばし黙考したあと、槇志は真剣な表情で訊ねた。
「その涙が演技だったっていう可能性はないか?」
「マキちゃん!」
綺理華は両手でテーブルを勢いよく叩いて立ち上がった。衝撃でメロンソーダが倒れそうになるが、彼女は見もせずにそれを受け止める。器用なヤツだと感心させられるが、そんな場合でもない。どうやら相当頭に来たらしく、目尻を吊り上げるようにして睨みつけてきた。
「マキちゃん、いまの発言はいくらなんでもゆるせないよ! わたしはマキちゃんを、そんな子に育てた覚えはないわ!」
「いや、そもそもおまえに育てられた覚えはないし」
「わたしは覚えがあるもん!」
意外なところで反論してくる。
「中学一年の春にマキちゃんをはじめて見たとき、わたしは思ったんだよ。この子はちゃんと面倒見てあげないと、非行に走るかもしれないって。だからそれ以来、わたしはしっかりマキちゃんを教育してきたつもりだったのに!」
「勝手にそんなつもりになられてもなぁ」
槇志が呆れ顔で言うと、それを聞いて綺理華は悲しげにつぶやく。
「親の心子知らずか……」
「子の心親知らずとも言うぞ」
「この親にしてこの子ありとも言うわ」
「それっておまえのせいだって意味だろ」
槇志が指摘すると、綺理華は両手で自分の頭を抱え込んだ。
「ぐわーん! わたしの教育のせいだったのか!」
綺理華はまるで物理的な衝撃を受けたかのように、頭をふらふらさせると、力尽きたかのように座り込んでしまった。
「結論は出たようだな」
「うん……マキちゃんを殺してわたしも死ぬわ」
「……待て」
唖然とする槇志。こめかみに冷や汗が浮かぶのを自覚する。
「大丈夫、ふたり一緒なら怖くないよ」
綺理華は達観したような笑みを浮かべている。半ば身を乗り出すようにして槇志は言い返した。
「世界中の人間がみんな一緒でも、怖いものは怖いわい! そもそも、なんでこんなことで死ななきゃなんねえんだ!?」
「空ちゃんを傷つけたから」
「そんなもん普通にあやまりゃ、すむ問題だろうが」
勢いに任せて言い放つ。その言葉を待っていたかのように、綺理華は途端に素に戻って問いかけてきた。
「あやまるの?」
「ああっ」
「反省してる?」
綺理華はじっと、槇志の目を覗き込んでくる。ふざけ半分に見えて決定的なところではふざけていない。それが紫葉綺理華という女だった。
「反省してるさ、マジで」
槇志は答えながら視線を逸らしたが、口からの出任せというわけでもなかった。空色を怖れる気持ちが消えて無くなったわけではないが、彼女を泣かせたという事実に奇妙に胸が疼くのだ。
「わかった。マキちゃんの言葉を信じるわ」
にっこり笑うと、綺理華は飲みかけだったソーダを一口すする。ほっと一息吐いて、槇志はようやく肩の力を抜いた。
会話が途切れると、急に店内の静かな音楽が耳に流れ込んでくる。気の抜けた表情で壁の一角を眺めると、叔父が登山の度に撮りためた風景写真の群れが目に留まった。考えようによっては、これがこの店のちょっとした名物と言えるだろう。
「ねえマキちゃん。なにがあったのかは知らないけど、空ちゃんは良い子だよ」
綺理華の唐突な言葉に、槇志は軽い驚きとともに視線を戻した。彼女はやさしげにほほえんだまま、こちらをじっと見つめている。
どうやら最初から、何か事情があることだけは察していたようだ。そのくせ無理にそれを聞き出そうとしないところが実に綺理華らしい。
自然と表情を綻ばせながら、槇志は素直に告げる。
「悪かったな紫葉。わざわざこんなところまで」
「ううん、来た甲斐あったし。それに明日は空ちゃんに笑顔が戻りそうだしね」
綺理華は嬉しそうに笑った。
悪夢の魔女と空色がまったくの無関係だとは考えにくい。しかし綺理華の言葉は信じてもいいような気がした。
槇志はふと昨日見た空色の笑顔を思い出す。なんだか急にその笑顔が恋しいような気がして、彼は自分の気持ちに、戸惑いを感じはじめていた。
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