エピソード29:だ……だい……


「ご馳走さま、椎名さん。本当に美味かったよ」


「良かったぁ。お粗末様でした、宍戸さん」



 空のお弁当箱を受け取ってくれる椎名さんは、いつもよりニコニコしていて。


 そんな表情を見ているだけで、温かい気持ちになる。


 それにしても、こんな料理も上手いだなんて、非の打ち所がないよな。彼氏になるヤツが羨ましい限りだよ。



「宍戸さん? 私の顔に……何かついてる?」


「え? あ、いや、なんにも」



「そんなに見られると」



『椎名さん、慣れてるんでしょ?』っと、悪戯っぽく返してみる。



「もぉっ!! 宍戸さんの意地悪」



 わざとらしくそっぽを向いた椎名さんは、すぐに俺の方へ振り返って



「そういえばこの前ね、喫茶Night viewへ行ったのよ」


「そうなんだ? 一人で?」



「ううん。美香と二人で。でも、宍戸さん、帰った後だったの。お店も早く閉めるってマスターさんが」


「あぁ、その日か。確か、真央ちゃんが休みの日だったから」



「まお……ちゃん……?」



 ほんの数秒前まで。コンマ数秒前まで。柔にこやかだった椎名さんの表情から、スゥーっと笑みが消えた気がした。



「あ、あぁ」



 日向ぼっこしたくなるよな、ちょうど良いって表現がぴったりだった屋上が、なんだか肌寒く感じる。



「まお……ちゃん?」


「え? う、うん」



 あんなに明るかった声のトーンが、なぜか段々と沈んでいくのがわかる。



「真央ちゃん?」


「後輩なんだよ、バイト先の」



「女の子……ですよね?」



 な、なんでまた急に丁寧な口調に? 俺、やっぱり嫌われたのかな。



「そう、だけど」



 その返答に対して、椎名さんの眼差しは俺に向けられたまま。一瞬、何かを言い掛けたようだったけど、唇をギュッと噛むようにして、そのまま黙り込んでしまった。



 この状況に耐えきれなくなった俺は『椎名さん?』っと呼び掛ける。


 重苦しい雰囲気に沈黙が重なり合う。



「……は……き」


「ん?」



「は・づ・き!」


「わ、わかってるよ。椎名葉月さん」



「わかってません! 宍戸さんは、全然わかってません!!」



 なにが? 


 なにがなんだ?



「私たち、お友達ですよね?」



 さっきまでの強い口調とは逆に、今にも泣き出してしまうんじゃないかってほど、とても弱々しく。


 その言葉は、丁寧なまま。



「もちろんだよ」


「宍戸さん、小栗さんのことは、小栗って呼んでいます。私も美香のことは、美香って、そう呼んでいます」



「そ、そうだけど」



 真っ直ぐと俺に向けられていた眼差しを外し、正面を向いた椎名さんは、腰掛けていたベンチから静かに立ち上がり、俺から2、3歩離れたところで立ち止まる。


 その行動に釣られるように、俺もベンチから立ち上がると、椎名さんが振り向いて。


 優しく微笑みながら、顔を少しだけ傾けた。



「宍戸さん……私の名前。私の名前は、は・づ・き……だよ?」



 恥ずかしそうに自分の名前を伝える彼女にドキッとする。



 こんな俺でも、本当は彼女が、何を伝えたいのかわかる訳で。



「だ……だい……ち……さん」



 こんな近くにいるのに、まるで俺にしか聞こえないような、そんな声が届く。



「大地でいいよ、葉月」



 透き通るような白い肌が紅く染まったかと思うと、彼女はすぐに俯いて。



『大地』っと、俺の名前を呟いた。



 あれ? 


 小栗って、名字だよな……


 まぁ、いっか。



       『あとがき』


まぁ、いっかの小栗君は



「振られたんだ?」

「美香!?」


「珍しいね、啓二が一人なんて」

「ちょっと、宍戸の真似をね。俺が美香とランチデートしている時、いつも宍戸はこうやって、教室で一人、飯を食ってたのかなって」


「あら、お邪魔だった?」

「そんな訳ないよ!! う、嬉しいに決まってるだろ」


「啓二ったら、声が大きいよ……」

「本当だからいいだろ」


「もぉ。あっ、どうしてるんだろうね、噂の二人は」


「えっ? 宍戸って椎名さんと」


に、鈍いよ……啓二。

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