真実は暴かれたりしない方がいい時もあると、今更僕は思ってる。

シンカー・ワン

家族の肖像

 大型連休の最中、父と姉が死んだ。

 交通事故だった。

 郊外のゆるやかな右カーブを走行中、制限速度の倍ほどのスピードを出して走っていた対向車が、曲がりきれずに父と姉の乗る車へと突っ込んできたらしい。

 側面斜めからぶつけられたため、運転席の父はほぼ即死で、助手席に居た姉は即死は免れたが、病院へ搬送中、救急車内でこと切れたそうだ。

 警察から連絡を受け、教えてもらった救急病院で僕と母を迎えたのは、冷たい骸になった父と姉。

 それからは慌ただしく時間が過ぎていったのでよく覚えていない。

 父と姉を送り、事故の関わる諸問題の処理やら、父の会社、姉の学校とかで片付けるべき事を済まし、やっと落ち着いたと思えたのは、ふたりが逝って一ヵ月以上も経ってから。

 四人家族から半分になってしまった我が家も、表面上は平常を取り戻していた。

 父と姉がいない現実を受け入れる事が出来るようになって、僕はのどに刺さった魚の小骨のようなある疑問に向き合う事にした。

 それは当たり前すぎて誰も気にしなかった、母ですら口にしなかった事。

 って状況について。

 事故のあったあの日、ふたりがどういう理由で出かけたのかを、僕は覚えている。

 父は会社の人の付き合いで、早朝ゴルフに。

 午前でラウンドを終わらせ、昼前から飲み食いするのがいつもの事で、酒の飲めない父は上の人や同期の人たちから、ハンドルキーパーとして頼りにされていたので、出かけていく事に何も疑問は無かった。

 姉は大学の友達と遊びに行くと言って昼前に家を出た。

 姉とその友人たちが出かける先といえば、もっぱら市内の商業地区。

 この日も待ち合わせが商業地区の有名なショッピングビルだと言っていた。

 郊外のゴルフ場に出かけた父の車に、市内の商業地区へ出かけた姉が、なぜ同乗していたのか?

 僕には、それがずっと疑問だった。

 お互いの予定が早く済んだから、郊外から戻った父が市内で姉を乗せた。それはそれでいい。

 実際、父の同僚も姉の友達もそれっぽい事を言っていたから。

 なら、で起きたのか?

 市内で会ったふたりが、どうして、また郊外へと向かったのか?

 事故が起きた午後四時過ぎまでの間、父と姉はどこへ行っていたのか?

 ドライブにでも洒落込んでいた。って言うのは、普段のふたりの関係からして考えにくかったので、僕にはどうしても腑に落ちない。

 父は生真面目な堅物で、姉はそんな父をうとんじていた。

 中学生くらいの頃から父と一緒にいる事を避けだして、それはふたりが亡くなるその日の朝まで続いていたはず。

 母はそんな姉の態度にも "女の子は男親にはそういう風になるものだ" と笑って言っていた。

 そんな姉だから僕や母が一緒ならともかく、車の中なんて狭い空間に父とふたりきり――しかも助手席!――で長い時間一緒にいるのは、何か不自然に思えて、ドライブなんてありえないって考えてしまう。

 お昼過ぎから午後四時になるまでの数時間を、父と姉はどこでどう過ごしていたのだろうか?

 僕の疑問が明確な答えを得ないまま、しばらくの時間が経ったある日、母の提案で父と姉の持ち物を片付ける事になった。

 思い出は大切だけど、それに縛られてしまうと振り返ってばかりで前が向けなくなる。いつまでも思い出に囚われているのも良くはないというのが理由。

 疑問は解けないままで色々と詰まっていた僕は、気分転換にもなるなと、ふたつ返事で手を動かす事に。

 父の方から片す事になったが……なんて言うか、すごくあっさりしたものだった。

 父には個人的な所有物というのがほとんど無く、あってもそれは仕事の関係で必要なもの――接待用のゴルフセットとか――くらいで、大半は衣類、他に経済や思想系の本が数冊ある程度。

 息子として生まれて十数年、父の事をあまりにも知らない自分に軽いショックを受けたが、親子といっても全部わかっているなんて事はないんだと、どこか割り切りながら片づけを終えた。

 姉の自室は物で溢れていて、父とは正反対。

 若い娘と言う事もあり、目立つのは服やらアクセサリー類。あとはファッション誌とか。

 僕には女の持ち物をどうまとめればいいのかはわからないのでそちらは母に任せ、本やらCDやらといったわかり易いものを片付ける。

 入学しはいったばかりで、ほとんど使う事のなかった大学のテキストなんかを片付けていると、机も処分するから中身を全部出しておいてと母。

 僕自身もそうなんだけど、机の引き出しの中とかには、他人の目に触れて欲しくないものなんかを隠してたりするので、姉のそういうものを見つけてしまう事になりそうで、心の中で亡き姉に謝りつつ幾つかある引き出しを開けていく。

 幸いと言うか、開く事のできた引き出しには驚くようなものはなく安心したのだけども、ひとつだけ鍵付きの引き出しが。

 どうしたものかと思案して手が止まってしまう。

「どうかしたの?」 と訊いてきた母に、手を動かせない訳を告げると、

「……ちょっと待ってて」

 と言って姉の部屋を出ていくと、幾つかの鍵がまとめられたリングホルダーを手に戻ってきた。

 その鍵の束は姉の遺品で、家の鍵や自転車の鍵なんかの他にどこに使うのかわからない鍵もあるという。机の鍵もあるかもしれないから試してみればと母。

 ――あとから思えば、僕はこの鍵を開けるべきではなかったのだろう。

 いかにもそれっぽいのを選び、差し込んでみるとあっさりと鍵は開いた。引き出しの中には数冊のノートが入っているだけ。

 一冊だけ小ぶりなサイズでファンシーなものだったが、残りはみな簡素なデザインの、三冊パックで二百円とかで売ってるノーブランドの大学ノート。

 ファンシーなのを手に取りパラパラとめくる。目に入ってきたのは日付、そしてところどころ色を変えて綴られている文字の羅列。

 日記帳だった。日付からすると姉の中学時代のもの。

 と、すると残りの実務的なノートたちも日記なのか? 確かめるため先ほどのように適当にめくる。

 こちらに書かれていたのも、日付と文章。

 が、内容は先のものように、日々の出来事やら中学生っぽい感傷なんかとは大きく違っていて、男女の性交渉の様子が書かれてた。

 少し驚きはしたが浮いた話を聞いた事はなかったけれど、年頃だし隠していただけでそういう関係の相手が、姉に居てもおかしくはないだろう。

 ただ、そこに書かれていた相手は――。

 姉の、机の鍵のかかった引き出しから見つかった、数冊のノート。

 僕はそれを、処分するものと一緒にまとめておいてから、後でこっそりと回収した。

 チラリと読んだだけの内容が本当の事なのか、それとも姉の妄想によるものなのか確かめたかったから。

 万が一、万が一にも真実を綴っていたのなら、どうしてそうなったのかその理由が書かれていないかを知りたかった。

 ……結論から言うと、僕は読むべきではなかった。知るべきではなかった。

 姉が高校生の頃から、父と、男女の関係になっていたなんて事を。


 姉の父への恋慕は、中学生の頃から始まっていた。

 まさかあのファンシーな日記に日々つのる父への想いが書かれていたなんて、想像もしていなかったけど。

 父を避けていたのが、慕う気持ちが母や僕にばれないためだったなんて、ね。すっかり騙されてたよ。

 中学の終わり頃には、かなり積極的に父にアプローチしていたようだ。

 父の入浴中に間違えた振りをして裸で入って行ったり、僕や母の知らないところで過剰に身体を接触させていたとか、時には涙で迫ったなんて事も書かれていた。

 ふたりが親子の一線を越えたのは三年前の夏。姉が高校一年の時。

 毎年恒例の母方の実家への帰省。僕と母が先に出かけ、夏期講習の姉と仕事があった父は数日遅れて合流する事になっていた。

 意図せず生まれた父と姉、ふたりだけの時間。

 姉はこの機会を逃すまいとそれまで以上に強い気持ちで迫り、父は拒みきれず応えてしまったらしい。

 ……父親に恋する姉も姉だが、娘に手を出す父も父だ。

 物語めいた姉の気持ちばかりが強く書かれていて、実際のところはどんなやり取りがあったのかはよくわからない。

 ただ僕らと合流する当日の朝までの数日間、ふたりは昼夜を問わず身体を重ねあっていた事が書き記されていた。

 以後は僕と母の目を盗んでの逢瀬が続けられていた事が、ノート数冊分にわたって記録されている。

 これでやっとわかった。なぜ父と姉が郊外で事故にあったのかが。

 事故のあった場所から数キロ戻ると、回りに何もないところに建つファッションホテル、いわゆるラブホテルがある。

 ふたりは一度市内でおち合い、それから郊外のこのホテルへと向かい、やる事やった帰りに事故にあった訳。

 このホテルの名は姉の日記の中によく出ていて、定宿になっていたようだ。

 疑問は晴れた。代わりにとんでもなく残酷な真実に向かい合う事に。

 ――こんな気持ちになるのなら、疑問なんか晴れなければ、真実なんか知らなきゃよかった。

 僕は姉の日記をまとめて書店の袋に詰め込み、姉と同じように自分の机の引き出しの奥へと隠す。

 早いうちに処分してしまおう。母の目に触れぬうちに、こっそりと消し去ってしまおう。

 僕はこの真実を、自分の胸にしまいこんで一生を過ごそうと決めた。

 それから直ぐに僕は高校受験態勢に入り、母も働き出したりしたために生活のペースが変わり、いつしか姉の日記を処分する事を忘れていた。


 月日は巡り春。僕は無事進学する事が出来た。

 新しい学校、新しい出会い、新しい友人たちと楽しく過ごす日々を送る僕。

 母も働き出した事で意識が変わっただろう、実年齢よりも若々しく見える。

 僕も母も新しい生活に馴染んだ頃、父と姉の一回忌を迎えた。

 この一年で僕も母もあの悲しい出来事を、穏やかに話せるようになったように思う。

 あの事故を落ち着いて振り返れるようになった事で、僕はその存在を忘れていた姉の日記の事を思い出し、引き出しの奥から取り出し深く読むようになっていった。

 思春期だ、いくらか下世話な気持ちがあった事は言い逃れしない。

 だけど姉が過去に綴ったものを読む事で、姉とそして間接的に父の見えていなかった一面を改めて知る事が出来た。

 ……もっとも、息子として弟として、知らずにいた方がよかった事が圧倒的だったけれど。

 どこか冷めていて、物事に熱を入れるようなタイプではないと思っていた姉が、こと恋愛的な事柄についてはとても情熱的で積極的な女性であった事。

 生真面目な堅物に見えていた父が、子供の口からは言いだしたくないような特殊な性癖を持っていた事など、長く家族をしてきたのに初めて知る事がとても多くあった。

 ついでに父と母の夫婦間交渉が何年も途絶えていた事も分かって、母親の性事情まで知る羽目になったけど。

「性行為って言うのは生存本能に基づいているものだから、セッ○スしている時の態度なんかが案外その人の素なんじゃないかな?」

 なんて言ったのは、妙に大人びてた中学時代の友人だったが、彼のこの言葉が今は妙に腑に落ちる。

 つくづく思った。家族と言っても、見えているのはホント上辺だけのものなんだと。

 互いがどんな風に思い考えたりしているのかなんて、全然わかっていなかった。わかっているつもりでいただけ。

 

 疑問が解けた事で気がゆるんでしまっていたのだろう。僕は致命的な過ちを犯してしまう。

 姉の日記を隠しもせず、自分のノートなんかと一緒に机の本立てに並べてしまっていた。

 ある日、僕が学校から帰ると家の中がひどく荒らされていて、居間の隅で母が力なく座り込んでいた。

 空き巣にでも入られて、母がそれに遭遇でもしてしまったのかと思い、慌てて駆け寄り様子を見ようとした時、荒れたリビングに散乱している、千切られた紙の破片に気がついた。

 見覚えがあるファンシーな表紙の一部、それは姉の日記帳の残骸。

 それで察した。母が姉の日記を読んでしまった事を。

 理由はわからないが母は僕の部屋へ入り、そして故意か偶然か机の本立ての中から姉の日記を見つけ、読んでしまったのだろう。

 リビングの荒れようは、知るべきではない隠されていた真実を知ってしまった、母の心模様そのものを表わしているようだった。

 放心している母に近付いて恐る恐る声を掛ける。

 僕の声が届いた途端、母は今まで見た事もない厳しい眼差しと、地の底から絞り出すような声で僕をきつくなじった。

 ふたりの事を知っていたのか? 知っていて黙っていたのか? どうして黙っていたのか?

 あとは言葉になっていない罵声の数々が、僕に突きつけられた。

 僕も一応日記を読んで初めて知ったと言葉を返したけど、激昂してしまっている母には届くはずもなく、逆に煽るようになり倍以上のひどい言葉をぶつけられる事に。

 昂る感情に言葉だけでは収まらなくなったのだろう。母は手を上げてきて、僕はそれを甘んじて受け入れた。

 どう言い繕っても、父と姉の関係を知りそれを母に黙っていた事は確かだから。

 ……どれくらい時間が経っただろうか?

 感情を吐き出すだけ吐き出して、ようやく母の狼藉ろうぜきは収まった。

 落ち着きを取り戻した母は、あちこち傷だらけになった僕を見て、またとり乱しかける。

 痛みを堪えながら何とかなだめ、僕は改めて姉の日記を見つけた経緯と、それを隠し持っていた事やあえて母に伝えていなかった事などを、なるだけ落ち着いて順序立てて説明した。

 そして、事実は事実として受け入れるしかない事と、もう居ない人たちの事で、悩んだり悔やんだりするのは止めて、新しい今の生活を大切にしていきたいむねを母に伝える。

「……今すぐは無理。だけど、時間を置いてゆっくり考える」

 しばらく口を閉ざした後に、母は答えてくれた。

 ……その言葉に、僕は安堵するべきではなかったんだと思う。

 母が静かに壊れだしたのは、きっとこの日が始まり。


 日が経つに連れ、母の態度におかしなところが目立つように。

 家に居る間、僕から離れたがらないようになり、妙に甘えたり甘えさせようとしてくる。

 まるで小さい頃に戻ったみたいで、もう高校生なんだからとやんわり避けようとすれば、突然母は感情を爆発させ、

「お前も私から離れていくのか? 私を捨てるのか?」

 と、過剰に反応するようになっていた。 

 それでいて外に出ると、家の中での素振りなど欠片も見せず、常識的に振舞うのだ。

 外では家族を失っても立派にやっている母親の姿を見せ、内では過剰な母性を僕に押し付けてくる。

 母は明らかに心のバランスを崩しだしていた。

 学校での話をしててクラスメイトの女子の事を口にすれば、あからさまに不満げな顔をするようになったり、テレビを見ていて女優なり女性タレントなりに好意的な事を言えば、不機嫌さも露わにテレビを消してしまったりする母。

 一緒に外出した際などに、そういう態度を見せない事には助かっている。

 でも、それもいつまで持つ事やら、だ。

 母の崩壊は日々進行し僕に対して母親以外の顔、つまり "女" を見せてくるようになっていた。

 僕が風呂に入っていれば、身体を洗ってあげると言って――かつて姉が父にそうしたように――裸になって一緒に入ろうとしたり、ひとりで眠るのは淋しいと同衾どうきんを求めるように。

 子供に対する添い寝くらいだと思っていると、積極的に身体に寄せて腕や脚を絡めてきたり、僕の股間に触る事もあれば、僕の手を母の胸や股間に導く事も。

 そして僕の耳元で囁くのだ。

「放さない放さない、誰にも渡さない。ずっとずっと一緒」

 だと。

 そんな呪詛を毎夜のように聞かされ、家にいる間は絶えず過剰なスキンシップにさらされているうちに、僕も少しづつ壊れてきたようだ。

 母の性的な態度や振る舞いを否定しなくなり、それが当たり前のよう感じ始めている。

 今では寝室も一緒だ。


 いずれ、僕は母が望んでいる関係を結ぶだろう。

 親子である事を捨て、母を女として抱く。父と姉と同じように。

 勿論それは許される事ではない。

 だけど、許されないって対してだろう?

 世間? 社会? 家族の事は家族だけの問題じゃないだろうか?

 関係ない他人にとやかく言われる筋合いはない。

 家族がもっと仲良くなるんだ、良い事じゃないか。

 ……こんな風に考えてしまうようになった僕は、母よりもずっとずっと壊れてしまっているのかも知れない。

 でも、もうそれでいいと思っている。

 きっとこれは姉の呪い。

 自分の好奇心から姉と父の秘め事を暴いてしまった、僕に対する呪い。

 だとしたら僕が壊れだしたのは、あの日、姉の日記を見つけ読んでしまった時からなんだろう。

 ――今更遅いかもしれないけど、ごめんね姉さん。

 いつかそっちへ行ったら、平伏投身で謝りまくるから。

 あぁ。父さんにも、拳骨を何発か貰う覚悟しとかないとね。

 ん? いや、それよりとがめるのが先かな?

 あんたたち、父娘おやこでなんて事してたんだって。


 ……夜、いつものように僕らはひとつのベッドで眠る。

 一線を越えるかどうかはわからない。けど、母子おやこらしく仲睦まじく眠る事だろう。

 明日の夜はどうだろうか? 明後日あさっては? 一週間先? それともひと月か?

 ――そんな風に考えるのが楽しいなんて、本格的に僕もおかしいぞ。あぁ、もうとっくにか。

 壊れかけてる頭で思う。

 あぁ、まったく。

 真相なんて、隠されていた真実なんて、知るもんじゃなかったなって。

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