第二話 転移

「……夢か」


 白いベッドの上で目が覚めた。


「いや、現実か」


 西暦2025年7月の上旬頃、かねてから危惧されていた日本と中国の戦争が始まった。

 不法滞在の中国人の集団武装蜂起。

 異世界転移後、手元にあったスマホのネットニュースに残っていた当時最新のものだ。

 左腕を見る。中国人に斬られたときにできた傷口が治りかけの状態で赤くなっている。

 司祭から聞いたところ、カルアンデ王国で最高位の聖女様と呼ばれる人が光属性の魔法、復元でここまで治したのだそうだ。

 スマホに電波が届いていない事も考えて、ここは完全に異世界だと理解した。

 司祭が言うには、言葉が通じるのは勇者召喚という大規模儀式魔法に組み込まれた言語理解という魔法を付与されたからだそうだ。

 あの激しい頭痛がそれか、きつかった。

 あの後日本がどうなったのかは知らないが、両親は無事でいてほしい。故郷は田舎だから大丈夫だとは思うが、実際に確認しないと不安だ。


 それにしても、と当時を振り返る。

 地下鉄へ避難する最中に暴徒に出くわした時、わが身可愛さだからだろう、同僚が俺を突き飛ばして一斉に逃げ出したのは驚いた。見捨てられた時の怒りはどれほどのものだっただろうか。その後、彼らが死体に早変わりしていたので拳を振り下ろす機会を失ってしまったのは残念だ。


「あ、ヤスタケ様、起きていたんですね」

「たった今だ」

「そうですか、ただ今朝食をお持ちいたします」

「ありがとう」


 女性が運んできた麦粥むぎがゆをスプーンで掬い口に運ぶ。

 牛乳混じりの独特な味を楽しみつつ、今後の予定を考える。

 先日、アンリと名乗るこの国の魔法統括機関とうかつきかんの大長老がたずねてきた。

 何でも、カルアンデ王国と戦争している魔王を討伐してほしくて俺を呼び出したらしい。


 若い者ならともかく、俺はもう40才を越えているので無理だと断ったんだが、勇者として呼ばれるという事は何か特別な才能があるはずとさとされた。

 そして、国家が所有する魔力鑑定の水晶玉を触らされて、闇属性と無属性の魔法に優れていることが判明し嫌とは言えなくなってしまった。

 アンリや神殿の司祭に拝み倒されたのも理由の一つだが、俺を救ってくれた聖女様に頭を下げられたら思わず頷いてしまった。

 どのような人生を歩んだのか知らないが、後期高齢者くらいの年で現役で立派に働いている老人の頼みを断るのは俺の主義に反する。

 とりあえず今後の予定は国王陛下に会い、体力や魔法を鍛えるため王立魔法学園に編入することが決まっている。


 王に会うことは構わないが、この年で学校かあ。

 学園は幼稚園児くらいの子供から大学生までが学べる一貫校のようだ。多数の優秀な貴族と、一般から公募した国民が通う場所らしい。

 彼らは卒業後、軍に進むか官吏になって活躍するか、故郷に帰って両親の領地経営を手伝うことになると聞かされた。


 俺が病室に担ぎ込まれてから一月後、無事退院することになった。


「これから私たちと王城へ向かいます。国王陛下がお待ちしていますので、同行願います」


 王と言う単語に戸惑う。

 アンリの補佐役であるコリンズと名乗る中年の男が神殿の出口へと向けて手を示したので質問してみた。


「私、魔王を討伐すれば、元の世界に帰れるのですよね?」

「ええ、それはもちろん。ただ、大抵の勇者様は王都が住みやすいので、こちらに残る場合が多々ありまして。望まれるのであればお住みになられても良いのですよ?」

「……その申し出は大変ありがたいのですが、残してきた家族が心配ですので……」

「それは仕方がありませんね。考えが変わられたのであればいつでも申して下さい。さあ、こちらに。外に馬車を用意してあります」


 神殿の外に出ると小高い丘の上にいる事が分かった。長く白い階段を降りた先、四頭立ての屋根付き、黒塗りの豪奢ごうしゃな馬車が待っていた。

 周辺に恐らく警護けいご騎馬きばが複数いる。

 さらに先を見ると石造りの街並みが見え、さらにその先は海が広がっていた。


 ここは港町なのか海の上には木造帆船はんせんが複数浮かんでいるのが見えた。遠くにあるので判別できないが、大砲を載せているのかどうか気になった。

 そもそも火薬があるのかどうかさえ分からん。

 学校は普通科を卒業したので歴史や化学に詳しいわけでもなく、二十年以上経過していたため俺の頭の中は古びていた。要するに使わない知識はことごとく忘れてしまったのである。

 もしかするとある日突然ひょっこり思い出すかもしれないが、あくまで可能性だ。


 タタンを先頭に階段をぞろぞろと降りていくと何事もなく馬車の前に立った。

 周囲の兵を観察するが、クロスボウなどの飛び道具を装備している者や、魔法を使うのか鎧を着用せず杖を持った軽装の男女が複数いたものの、銃らしき物を携帯しているようには見えない。


 一人の兵士が馬車の扉を開けると補佐役が俺に乗るよう促してきた。

 内部を見ると前後に二人ずつの計四人が余裕で乗り込める配置になっていた。

 後から乗り込んでくるであろうアンリやコリンズのために奥の方に座ることにした。

 うわっ、座席がふかふかだ。


 召喚直後に着ていたスーツは血だらけだったため処分された。代わりにこちらの衣装をもらって着ている。何でも俺が入院中に針子たちに命令して作らせた物らしい。

 世話をかけたな。機会があれば菓子折りを持って行きたいところではあるのだが、この国では許されるのかどうか。


 そうだ、仕事……首だろうなあ。

 入社してから一年と少ししか経っていないためそこまでの思い入れは無いが、ようやく仕事に慣れ始めたところだった。

 家に戻れるのはいつになることやら。

 そもそも戦争で日本国が残っているかどうかが心配だ。戻って来た時焦土と化していたら目も当てられない。


 アンリたちも車内に座ると、馬車が軽快な動きで走り出した。

 扉と反対側の壁には小さいながらも窓ガラスがはめ込まれ、外の様子がうかがえる。

 街の中は一言で表すなら雑多ざっただ。色々な人が行きかっている。

 多くは徒歩だが牛に荷車を引かせていたり、幼児が群れて遊んでいたり、親の手伝いをしているのか子供が籠を背負って歩いていたりと様々だ。


 おや、あれは?

 中でも目を引いたのは人間にはありえないけものの耳や尻尾を付けた人が混じっていることだろう。

 服装が一般人と比べて少し粗末に見えるが気のせいだろうか。

 そのことについて訊くとアンリやその隣に座るコリンズはにこやかではあるが、言葉にとげが感じられる返答があった。

 便労働力、ね。……この世界にも差別はあるってことか。


 俺は街並みを観察するべく、再び窓の外へと視線を向けた。

 日本では見られない街並みや人々を眺めていて、ふと気付いた。

 幼児が物珍ものめずらし気に俺たちを見ているが、それ以上の年をとった者たちは。幼児の親らしき者が子供の肩を掴んで、貴族たちから隠すような仕草しぐさを見せる者たちがちらほらあった。

 ……この国に何かあるな。

 今は良く分からないが、忘れないでおこうと決めた。

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