おてんばお嬢さま(貴族)が初恋の人探しに使用人(美少年)を振り回す話

甘冴 間宮

車輪の轍は交わることなく

 


 そうだ、出奔しよう。


 優雅な昼下がり。

 アフタヌーン・ティーを楽しみながら、そんなことを思いついた。


「あら、お紅茶美味しい」


 うまい褒め方が見つからない。

 が、なんとなくそう思った。

 使用人のリュカが、胡乱うろん気な目つきでわたしにたずねる。


「クララお嬢さま、紅茶の味が分かるようになったので?」

「もとからたしなむ程度はわかります。男爵家の子女ですもの。バカ舌呼ばわりは失礼でしてよ」

「そこまで言ってないです」


 もうひと口含む。

 美味しい。


「茶葉を変えまして?」

「変えてないです」

「淹れ方とか」

「いつもどおりです」

「そうだ、お砂糖が違うんですわ!」

「なんにも変わってないです」


 がっくりくる。


「やはりバカ舌……」

「そこぉー! 不敬でしてよぉー!」

「理不尽! 事実を言ったまでだ!」


 それが不敬というものですの。

 肖像画を描くときは本物より美しく、常識でしてよ。


 とは思うが、リュカはこれでいいのだ。

 主相手でも忖度そんたくなし。

 そこが魅力で気に入っているのだし。


「お嬢さま、さては悪だくみしているでしょう。お紅茶がどうとか言い出すときは、だいたいそうです」


 バレている。

 この使用人、さすがに鋭い。


「そ、そんなことは──ありませんのよ? わたし、清廉潔白な善玉令嬢ですし」

「よくわかりません。が、なにかするなら、先にぼくに相談ください。向こう見ずの無鉄砲でやらかされちゃ、私の監督責任です」

「心配し過ぎですわ! わたし、もう16ですの! おーとーなー! ですのよぉ! 分別のある!」

「まだ15です。16になるのは2か月後です。それと、分別はアヤしいです」

「誤差ですわ!」


 もうすぐ、わたしは成人する。

 成人したら、きっと嫁がなければいけなくなる。

 政略結婚だ。

 兄さまも姉さまもしているのだし、そんなに悪くないと聞いているし、べつに嫌なわけではないけれど、それでも心残りがあった。


 初恋の人に、もう一度会ってみたかった。


 7年前のことになる。

 年上の少年だった。

 たぶん平民だ。

 声は少し高かった。

 目隠しされていたから、顔は分からない。


 おぶってくれた手は冷たかった。

 けれど、しがみついた背中は大きく、頼りがいがあった。

 ほんの短いあいだ一緒で、それでも深く胸に残った出来事だった。


「リュカは恋愛したこと、ありますの?」

「は?」


 呆れたもんだと言わんばかりの目つきだった。


「恋愛ですわ、恋愛! わたし、貴族ですから自由にできませんもの。その点、リュカは別でしょう?」

「……まさか、考えていたのは。そんなくだらないことです?」

「くだらなくなんか、ありません。人生のエネルギーでしてよ」

「脳みそ砂糖菓子ですか」

「砂糖菓子ですわ!」


 溜め息。

 憂鬱ゆううつげなまつ毛が麗しい。

 主人のわたしよりになる男、リュカ。


「……ありません。お嬢さまのお世話が忙しすぎて、そんなことに気をまわすいとまもありません」

「お屋敷に来る前も? 浮いた話のひとつふたつ」

「ありませんよ。ぼくが貧民出身なのは、ご存じでしょう。生きるのに必死で、色恋なんて夢の夢です」

「そうですの? もったいない。せっかくの美男子ですのに……」


 すらりと長い脚、高い背丈、意外と筋肉質な細身。

 指は細長く白く、節くれだった感じが仕事の指を感じさせる。

 形の良い耳。

 首筋がセクシーだ。

 リュカの表情はメランコリックで、非常にモテそうだ。

 形の良い目鼻立ちは、服さえ召し変えてしまえば良家の子息にしか見えない。


「さ、バカ言ってる暇があったらさっさと。おやつと紅茶を平らげてください。家庭教師の先生を待たせてしまいます」

「平らげるって言い方、品がなくってよ。……次の講義、なんでしたっけ」

「経済学です、お嬢さま」


 経済学か。

 経済学かぁ……。


「……遅刻してもよろしくって? お紅茶が美味しくて、ぐびぐび飲むなんてもったいないですわ」

「ぐびぐびのほうが品がないです、お嬢様。ただでさえ落第ギリギリなんですから。サボりは認められません」

「あーん! いけずですわぁー! この使用人ー! ちょっとくらいイイじゃないですのー!」

「お嬢さまのちょっとは、たっぷりです。紅茶の砂糖が証明しています」


 一杯につき角砂糖3つだ。


 その後。

 経済学の先生には、「あいかわらず欠片もセンスがありませんね☆」と丁寧に丁寧にオブラートに包んで言い渡された。

 宿題もどっさり出た。




「なんで立ち聞きしてるリュカのほうが、お勉強ができるんですの……?」


 夜。

 夕食を終え。

 自室で宿題に励む。


「ま、いいですわ。宿題しゅーりょう!」


 ぐぐーっと伸びをする。

 頭から煙が出そうだが、なんとかぜんぶやり遂げた。

 立つ鳥、跡を濁さずだ。


 屋敷の住人たちが寝静まったころ。

 そろりそろりと部屋を抜け出す。


「何事も、準備が肝要ですものねー……」


 出奔するのだ。

 荷造りは、とうに済んでいる。

 警備の交代の時間も割り出してあった。

 隙をついて脱出すれば、完全犯罪成立である。

 動きやすい格好に着替え、ぼろの外套をまとい、フードを目深にかぶって顔を隠す。


「こんな夜更けにどちらへ。クララお嬢さま」

「うへぇ!?」


 切れ味の良い低音の美声。

 リュカだ。

 予想外の遭遇に、はしたない声が出てしまった。


「あ、あらリュカ。奇遇ね」

「ええ、まったくです。夜更かしは美容によくありませんよ、お嬢さま」


 美の極致みたいな男が言うと説得力がちがう。


「で、なぜこんなところに、こんな時間に?」

「お、お勉強の片手間にお夜食が食べたくって。リュカは?」


 われながら怪しい言い訳だ。

 しかし幸運にも信じてくれたらしく、そうですか、とリュカは呆れた。


「明日の仕込みです。まったく。食いしん坊ですね、あなたは」


 夜の静寂が肌に染み込む。


「ついでです。作って差し上げますから、リクエストをください」

「……え? い、ぃゃあ、悪いですわ。そんな、夜中の暴飲暴食の世話を焼かせるなんて!」

「構いません。お嬢様にお仕えするのが、ぼくの仕事ですから」


 健気なことを言って、リュカは背を向ける。

 まずい。

 下手に時間を食っては、警備の交代が終わって、屋敷を抜け出すことが出来なくなる。


「やっぱりお夜食はナシですわ! 太っちゃいますもの!」

「そうですか? まあ、それがいいかもしれませんね。成人の日も近い。祝いの晴れ着が窮屈になってはいけません」

「そ、そうですわ。ええ。言うとおり。それじゃ、おやすみなさい、リュカ」


 リュカは溜め息をする。


「……で。そろそろ白状なさったらどうです、お嬢さま」

「な、ななな、なんのことですのー? 白状するようなやましいこと、なーんにも」

「出奔ですか」


 どんぴしゃりに言い当てられる。


「なんでわかったんですの!?」

「奇妙な格好に大荷物を背負っていたら、誰でもわかります。怪盗ですか」


 そう言えばそうだった。

 外套マントに、担いだ数日分の着替え・食料・水・路銀だ。

 バレないほうがおかしい。

 がっくりと肩を落とす。


「さいきん様子がおかしいと思って、張っていて正解でした。さ、お部屋にお戻りください。そうすれば、今日のことは秘密に──」

「い、いやですわ!」


 声を張った拒否に、リュカはびっくりする。

 それはそうだ。

 これまで、こんな風にわがままを言ったことは、なかったし。


「お嬢さま──」

「こ、今回ばかりは譲れませんの。わたくし、お屋敷を出ます!」


 きっぱりとした断言に、リュカは困惑の色を見せた。

 それでも主の乱心を諫めようと、リュカは必死だ。


「なぜです。何の不満があるのです。貴女あなたは貴族で、将来を約束されている」

「男爵家の5女よ」

「それでも後ろ盾のない平民よりかは、はるかにマシです。食うには困らないし、こんな広いお屋敷に住める。不自由ない暮らしができる」

「ちょっと不自由なくらいのほうが、面白いものですわ」

「それは弁だ。不自由を楽しめるのは、乗り越える力を持つ者だけです。貴女は籠のなかで育った鳥だ。どこへ飛ぶというのです」

「初恋のもとへ!」


 言い放つ。

 リュカは、なにか言おうとして、やめた。


「……頭が痛くなってきました」

「頭痛止めありますけど、要ります?」

「要りません。ヘンなところで用意周到だな……」


 ぶつくさ文句を言って、リュカはくしゃりと前髪をかきあげた。


「で、初恋って」

「成人したら、嫁がなきゃいけないでしょう? その前に、ひと目でいいから逢いたい人がいるんですの」

「……じゃあ、ソイツに会えたら、お戻り頂けるので?」

「……うーん。場合によりけり?」


 例えば。

 すでに所帯持ちになっていたら、流石に。

 草葉の陰でハンカチーフを噛むほかない。


「ほら、嚙む用のハンカチも用意してあるんですのよ」

「ヘンなところで用意周到だな!?」


 毒気を抜かれた表情。

 リュカは、やりくちを変えることにしたらしい。


「……交換条件です。ぼくは、お嬢さまの人探しの手伝いをする。代わりに、会って、気が済んだら、屋敷にお戻り頂く。期限は成人の日まで。会えても会えなくても。それでどうです」

「断ったらどうなるんですの?」

「実力行使でお部屋に送り返します」


 選択肢ナシ。

 まあ、しょうがない。

 頼りになる味方が増えたと思おう。

 人探しだし、人手は多い方がよい。


「わかりました。せいぜいコキ使ってやりますから、覚悟してくださいまし」

「手当とか出ます?」


 もちろん出ない。




 †




 屋敷を抜ける。

 計画通り、うまくいった。

 リュカの手助けもあった。

 ピースの足りないパズルが、かっちりハマったみたいだった。


「詰めのあまい計画ですね」


 貸し馬車を借りた。

 リュカが馬を操る。

 夜の景色がぐんぐんと流れていく。


「ぼくが来なかったら、どうやって街道を進むつもりだったんです?」

「徒歩ですわ」

「うそでしょう?」


 本気も本気だ。

 呆れたと言わんばかりの深い深い溜め息をつくリュカ。


「足腰には自信がありますの」

「……馬の脚で2日ですよ。地図は見なかったので?」

「見ましたわ。でも、馬を借りたりしたら足がついてしまうじゃない」


 貸出履歴とか漁られたら即アウトだ。

 帳簿つけられているだろうし。


「行方くらませる気だったんですか!?」

「半分くらいは。だって人探しにどれくらいかかるかなんて、わからないですもの。いちいち追手から逃げ回ったりしたくありませんし」

「……とんでもない大事にする気まんまんじゃないですか!」


 胸を張る。


「やるなら派手に。家訓でしてよ!」

「捏造しないでください! 由緒あるお家ですよ!」

「わたしの代から家訓にするんですのー!」


 リュカは、今回の出奔を”期限付きの家出”として処理したいらしい。

 お父さま・お母さまが、いざというとき、わたしの足跡をたどれるよう、わざと痕跡を残しているようだった。

 貸し馬車はその一例だ。


 なんとなく、家出した兄妹の童話を思い出した。

 深い森の中、帰り道を見失わないように、兄はおやつのクッキーの欠片をまいていくのだ。

 クッキーは履歴だ。


「頼りにしていますわよ、リュカ」

「なんですか急に。気持ち悪い」

「気持ち悪いってなんですの主人にたいして! お口が過ぎましてよ!」

「いや……すみません。でもやっぱり気持ち悪いです」

「禁断の二度漬けですの!?」


 馬車は進む。




 二日の馬車旅を経て、ようやく”小さい町”についた。


「運動不足で身体がカチコチしますわ~~」


 お尻も痛い。

 馬車の座席が固かったせいだ。


「で。つきましたけど。ここからどうするんです?」


 リュカは不貞腐れた様子だ。

 理由は不明だ。


「地道に聞き込みして探しますわ!」

「……ノープランなのは伝わりました」


 のーたりんを見つめる目つきだ。


「ソイツの名前は?」


 クラウスと少年は名乗っていた。

 伝える。

 リュカは顔をしかめる。


「そもそも、どれくらい前に会った相手ですか」

「えーと、8歳の時だから……7年前ですわね」

「年上? 年下?」

「たぶん年上ですわ!」

「たぶんって……まあいいです。顔かたちは? 髪、肌、瞳の色。声の感じとか、なんでもいいです」

「ええっと……」


 知っていることを洗いざらい話す。


「は? 顔を知らない?」

「ぅぅ……はい」


 気まずい沈黙がたちこめる。


「手掛かりナシじゃないですか」


 あ、これ怒られるヤツだ、と身構える。


「どんだけ無茶で無謀なんですか、貴女は」

「で、でもぉ…………もう一度だけでも、会いたくって……」

「……そうですか」


 意外にも、リュカはそう言うだけだった。


「当初の予定通り、聞き込みをしましょう。ただ、ぼくが行きます。貴女は馬車の中で待っていてください」

「え……わたしも行きます!」


 待つだけはイヤだ。

 果報は寝て待たない。

 我が家の家訓だ。

 わたしの代から。


「来ないでください。貴女は貴族で、女性だ。要らない面倒に巻き込まれるだけです」

「でも……」

「ぼくは此処ここで育っていますし、人探しには慣れています。ぼくひとりの方が上手くいくんです。信じてください」


 リュカの目は真剣だ。

 それに、信じてくださいと言われると、その、弱い。

 カッコいいかんばせで言われると、ずるい。


「……うー、分かりました。美味しいお土産、期待していますわよ」

「食いしん坊ですか」

「食いしん坊ですわ!」




「ひーまーでーすーわー……」


 うららかな陽射しが車窓から射し込む。

 リュカはなかなか帰ってこない。

 暇を持て余していた。


「これなら、詩集のひとつやふたつ、持ってくればよかったですわねー……」


 うとうとしてくる。

 なんとか起きていようと思うが、旅疲れもある。

 舟を漕ぎ始める。


「おきっ、て、いな、きゃ、ぁ──……すぅ」


 やむをえず昼寝する。

 なんとなく夢を見る気がした。




 †




「で、次はどうする? 旦那」


 男の低い声がする。


 まっくらだ。

 目隠しされている。

 口は縛られていて、声が出なかった。

 手足も同様で、すくなくとも、立ち上がって走って逃げ出したりなんかは、不可能だった。

 だから、仕方なく荷台に転がされている。


「アジトに運んで、あとは持久戦だ。身代金をむしれるだけむしる」

「そうでなくっちゃ」


 人攫いだ。

 わたしはかどわかされている。


「むー!」

「騒ぐなよ、小娘ガキ。神経に障る」


 硬い靴の裏の感触が、二の腕のあたりを小突いた。

 予告だ。

 ぞっとする。

 8歳でもそれぐらいは分かって、わたしは静かにする。


「よし、よし。利口だな。言うこと聞いてりゃ、痛い目には合わさねぇよ」


 薄っぺらい慈悲に縋るほかない。

 縮こまって、嵐が去るのを待つ。

 きっと助けが来る。

 そんな風に信じている。


「着いたぞ。小娘を運べ」


 たわらみたいに肩に担がれて、運ばれる。

 人攫いたちのアジトに運び込まれる。

 なにも見えずとも、それは分かった。


「手筈は?」

「上々だ。追手のひとつもなかったよ」


 ならず者たちのやり取りを盗み聞きする。

 実りのあることは聞けそうになかった。


 牢屋にぶち込まれる。

 手縄足縄はそのままだ。


「クラウス、クラウス! いるか!」


 首領らしき男が大声で誰かを呼ぶ。


「……うるさいな。なんの用だ」


 高い、少年の声だった。

 線の細い感じだった。


「ああ、クラウス。ガキの世話を頼む。慣れているだろう、おまえは」

「いやだね。ぼくは忙しいんだ」


 少年は苛立ちまじりに断る。


「そう言うな。おまえより適任がいないんだ。おまえは賢いし、気が利いて、容赦がない。ガキの世話だって子分どもで慣れてるだろう。なあ、頼む。任せられるのは、おまえしかいないんだ」

「それなら、最初からさらってくるなよ」

「邪険にするな。おまえにも分け前をやるから。な。うんと払うぞ。なにせ、今度の獲物は貴族の娘だ。きっと身代金がたんまり入る。子分どもを養うには十分な額だろう、なあ」

「そんな薄汚い金、要らないね」


 以外にも、男は少年にした手に出ていた。

 尊敬や尊重をにじませた声色だった。

 少年は信頼されているらしい。

 少年は、男の言葉をつっけんどんに跳ね返す。


「とりあえず、その娘の様子が見たい。手荒なことはしていないだろうね」

「もちろん、もちろん。おまえの機嫌を損ねたくないから。いまは牢に入れてあるんだ。じゃあ、任せたぞ。俺たちは交渉に行く」


 男の気配が無くなる。


「ねえ、君」


 少年が話しかけてくる。

 返事は出来ない。

 口が塞がっている。


「……猿轡さるぐつわを噛ませてあるのか。面倒だな」


 牢屋の鍵が開く音がして、少年がうずくまる私の傍らに立つ。

 口縄が外される。


「繊維が口の中に残っている。水を飲ませるから、うがいしなさい。いいね」


 うなずく。

 水を飲まされる。

 うがいして、水桶に吐き出す。

 いくぶんスッキリする。


「ぼくはクラウス。君は?」

「ク……クララ」


 少年の声色は優しくて、親切な感じがした。


「よし、クララ。手足の縄を外すよ。抵抗したり暴れたりは、決してしないこと。大声も厳禁だ。いいね」

「え……っと。いいの?」

「いいって、なにが?」


 わたしは人攫いにさらわれた。

 ここは人攫いのアジトで、きっとクラウスもその一味だ。

 それなら、わたしの縄を外したりしたら、マズいのではないか。

 クラウスが。


「いいのさ。だいいち、ぼくは連中の仲間じゃない」

「そ、そうなの?」

「うん。近所付き合いで手伝いをしていただけ。でも、それももう潮時だな」


 言いながら、少年はわたしの縄をほどく。

 ちょっと跡になっていて、チクチクと肌に棘が刺さっていた。


「君はやさしいね」

「え?」

「だって、ふつう、自分の心配をするところだろ。なのに君は、ぼくを心配してる」


 言われてみれば、そうだった。

 なんだか恥ずかしく感じて、頬が熱くて、なにも言えなかった。


「立派だ。えらいぞ」


 クラウスが、わたしの頭を撫でる。

 大きくて、ごつごつしていた。

 年上の少年の手のひらだった。


「家に返してあげる。ただ、それには条件がある」

「うん。なぁに?」

「けっして目隠しを外さないこと。その限り、ぼくは君の味方になるよ」

「それだけ?」

「それだけ」


 まるで御伽噺おとぎばなしの妖精みたいなことを真剣な調子で言うから、思わずくすりとしてしまった。


「なにかヘンなこと言ったかな」

「うん。すっごく」


 照れくさそうな気配が、目隠し越しに感じ取れた。


「でも、どうして助けてくれるの?」

「いったろ。潮時なのさ。貴族の子どもに手を出すなんて。すぐに軍隊が来る。ならず者程度じゃあ、あっという間に返り討ちさ」


 クラウスは静かに言葉を切った。


「君の身柄と引き換えに、ぼくは助命を願う。運がよければ生き残れる。連中はぼくに売られる。人攫いには、お似合いの結末だろ」




 少年は牢の外に出ていった。

 すぐに帰ってくるというから、おとなしく待っていた。

 しばらくすると、アジトはシンと静かになった。


「さあ、迎えに来たよ。行こう」


 廊下は、つんと鉄の匂いがした。

 目隠しをされているから、なんの匂いか分からなかった。

 なんだか怖い感じがしたから、詮索はしなかった。

 クラウスも黙っていた。


 アジトのなかは人がいなくなったみたいに静かで、誰にも呼び止められたり、見咎められることはなかった。

 滑らかに脱出する。

 建物を出ると、しばらく獣道の山道を歩いた。


「あし……痛い」


 ひどく長い時間、そうしていた気がする。

 目隠しをされたままだから、とくに長く感じた。

 クラウスは立ち止まって、膝を折った。


「背中に乗って」

「……ありがと」


 おぶってもらう。

 膝を抱える手は、ひんやりと冷たかった。

 背中は広く、おおきくて、頼りがいがあった。


「もうすぐ”小さい町”につく。そしたら、君を探している人がいるはずさ。保護してもらうといい」

「クラウスは、どうするの?」

「ぼくは自首する。クララ、証言、忘れないでくれよ」

「うん……」


 町にたどり着く。

 ゆっくりとかがんで、クラウスは背から降りるように促す。

 従う。

 足の裏には整備された石畳のコツコツとした感触があった。


「じゃあ、お別れだ。クララ、元気でね」

「……ね。また、会える?」


 しばらく沈黙があった。


「クラウス?」


 目隠しを外す。

 すでに誰もいなくなっていた。




 †




「起きてください。クララお嬢さま」

「う……ん? あら、リュカ。おはよう」

「お昼です」


 昼寝してしまっていたらしい。

 馬車のなか、太陽が心地よくて、ついうっかりだ。


「夢を見ていましたわ」

「ぼくがこの世でいちばん嫌いな話題、お話ししましたっけ」

「他人の見た夢の話でしょう。支離滅裂だから」

「正解です」


 意地悪な使用人だ。

 気持ちよく主人に話させてくれてもいいだろうに。


「で、どんな夢です」

「7年前の日のことですわ」


 いったん黙って、リュカは唇を舐めて湿らせた。

 奇妙な緊張があった。


「……なにか、手掛かりになるようなことは?」

「そうですわねぇ……手が冷たかったですわ! あとやさしい!」

「バカみたいに役に立たない情報ですね」

「バカとはなんですの、バカとは!」


 こほん、と仕切り直す。


「それで、聞き込みはどうだったんですの?」

「クラウスという少年は、たしかにこの町にいたようです。ただ、探すのは難しいですね」

「どうして?」


 リュカは、聞き込みをした情報を話す。


「7年前の事件以来、クラウスはこの町を去ったようです。役人の土地台帳も調べましたが、正規の住民ではないようで、登録されていませんでした。生死不明・行方不明、です」


 がっくりくる。

 期待していた分だけ、がっかり感は大きい。

 とはいえ、リュカは、わたしの代わりに頑張ってくれたのだ。

 ありがとう、と忘れず伝える。


「書類上は透明人間ですね。まるでこの世に存在していない」

「そんな……そうですわ、履歴はなくとも、人の記憶には残っているんじゃなくて?」


 待っていましたとばかりにリュカはうなずく。


「知人もあらかた尋ねましたが、全員『行き先は知らない』の一点張りで」

「なる、ほど……」

「口封じされているのかもしれません。ならず者と関わりがあったんでしょう?」


 ちょっと含みのある言い方だ。


「リュカ、よして。クラウスは、わたしを助けてくれたんですのよ」

「でも、事実は事実です。だいいち助けたといっても、相手はそんなつもり、ないかもしれませんよ」

「いじわるを言う……」

「冷静な判断です。お嬢さまに必要なのは、なによりも頭を冷やすことですから。……そうだ、これを」


 バスケットを差し出される。

 サンドウィッチ。

 美味しそうだ。

 ついよだれがこぼれそうになって、なんとか飲み込む。


「昼食です」

「ごはんで誤魔化されたりしませんわよ!」


 腹の音が鳴る。


「品がありませんよ、お嬢さま」

「言わないでくださいまし!」


 恥をかいた傷口を広げてくる男、リュカ。


「で、どうします。クララお嬢さま。振出しに戻りましたが」

「どうもこうも、しませんわ。見つけるまで探します」

「うそでしょう?」


 サンドウィッチをひと切れ掴んで、ぱくりとかぶりつく。


「ふほへははひまふぇん!」

「せめて飲み込んでから言ってくれ!」


 噛む。

 飲み込む。

 のどに詰まる。

 リュカが水筒を渡してくる。

 受け取る。

 胃に流し込む。


「死ぬとこでしたわ……」

「品がないとはこのことですね」

「そこまで言わなくてもいいじゃありませんの!?」

「ここで言わなかったらどこで言うんですか!?」


 食事のマナーはしっかり守りましょう、ということで話はまとまった。

 仕切り直す。


「うそではありません。わたし、帰るつもりはありませんの。あの方を見つけるまで、探します」

「いったいどうしてです?」

「初恋だからですわ!」


 リュカは、過去いちばんに深い深い、深ーい溜め息をつく。

 かまわず続ける。


「ここで諦めたら、わたしの人生、きっとずっと後悔が残りますわ! わたし、後悔はしたくありませんの!」

「そんなちいさな後悔に足を引っ張られて、人生投げ捨てる気ですか」

「後悔にちいさいも大きいもありませんの! 間違えた計算問題はイチからやり直す、小腹が空いたらおやつを食べる、喉が詰まったらお水を飲む! ぜんぶ同じ事ですわ!」

「ソレとコレを同列にされると、ちょっと暴論感がありますね」

「暴論でもなんでも、わたしにとってはそうですの!」


 梃子テコでも曲げるつもりはない。

 そう力弁すると、リュカもとうとう折れる。


「もういいです。わかりました。意地でも帰るつもりはないとおっしゃる」

「見つけるまでは!」

「はいはい……」


 ハンカチで口元を拭われる。

 ソースがついていたらしい。

 至れり尽くせりだ。


「はじめに伝えたとおり、成人の日までですからね」

「手伝ってくれるんですの?」

「無理やり連れ帰ったところで、すぐ脱走するでしょう。そういう人だ、貴女は」

「なかなか分かってきましたわね、リュカ」

「ようやくね」


 リュカが、わたしの頭を撫でる。

 大きくて、ごつごつしていた。

 年上の男性の手のひらだった。


「ちょっと、頭を撫でないでくださいまし! わたし、リュカの主人ですのよ!」

「あ、失敬。まあいいじゃないですか。出奔中は面倒抜きで」

「よくないですの! わたし、えらいんですのよー!」

「はいはい」


 苦笑して、彼の手が離れる。

 どこか名残惜しいような気がしたが、すぐに忘れた。


「じゃあ、次はどうします?」

「あたりの町を虱潰しらみつぶし、総当たりですわ!」

「何年かかると思っているんですか、まったく……」


 何年かかってもよい。

 楽しい旅になればよい。

 ふと、そんな風に思った。


「東がアヤしい気がしますわ! 東! ごはんも美味しいそうですし!」

「食いしん坊ですか」

「食いしん坊ですわ!」


 リュカは笑う。

 わたしも、つられて笑う。


 ふと、兄妹の童話の続きを思い出した。

 森の中で迷ったふたりは、大きな砂糖菓子の家にたどりつき、住み着く。

 破滅的で、それでいて夢のような日々。

 しかし。

 紆余曲折あるものの、兄弟は家に──現実に帰ることを選択する。


「帰りたくありませんわねぇ……」

「初めに言った通り、成人の日までですよ」


 ぴしゃりとした言葉。

 クチをとがらせる、わたし。


「はいはい。リュカはしっかりしていますわね」

「お嬢さまがテキトウ過ぎるんです。あと、路銀が尽きた場合も帰ります」

「じゃ、じゃあ稼ぎますわ!」

「どうやって」

「し、刺繡ししゅう! わたし、刺繍が得意ですのよ! これ、商売に出来ませんこと!?」


 溜め息。


「脳みそ砂糖菓子ですか」

「砂糖菓子ですわ!」


 呆れられる。




 †




「……幸せって、どこにあると思います? リュカ」

「なんですか、ヤブから棒に」


 夜道を馬車が走る。

 平坦な道行だった。

 わたしは、暇を持て余して、御者台に座るリュカに話しかける。


「このままずっと見つからなくて、それでもずっと探し続けて。あなたとふたり。ちいさな馬車で。それはそれで、わたし、幸せですのよ」


 空気が張り詰める。

 リュカは、慎重に言葉を選ぶ。


「それは、残酷なことだ。あなたは初恋のひとにも会えずじまいで、せっかくの身分も捨て去ってしまう。誰ひとり幸せにはならない。まったく幸せとは程遠いことです」

「ほんとうに?」

「ええ。まったくそう思います」


 リュカは背を向けたまま、そう言い切る。


「じゃあ、この時間もすべて無意味かしら……」

「さあ。それを決めるのは、ぼくじゃなくて、貴女ですから」

「そうね。リュカの言うことが正しいわ」


 リュカは首をすぼめる。

 怯えた子犬のような仕草で、思わず笑ってしまった。


「怒っているんですか?」

「いいえ。でも、そう聞こえたんなら、きっとそうですわ」


 意地悪をし返してやる。


「困ったな。機嫌をなおしてください」

「いやよ。だいいち、機嫌も悪くはないですわ」


 まあ、まだ数日だ。

 成人の日まで時間はある。


「だって、こんなに楽しいんですもの!」


 リュカは、そうですか、と言って、儚げに笑う。


 馬車の車輪が街道にわだちを刻む。

 わたしとリュカの、二人分の重みを乗せて。

 決して交わることは、ないけれど。

 たったそれだけのことが、なんだかとてもうれしかった。


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