第7話 トラブル
「三メモリ!」
がっと立ち上がり、変な時計もどきを射貫くように見た。けれど、そもそもみんなと別れた時、どのメモリをさしていたのか、さっぱり分からない。
それだけじゃない。どうしたらいいのかも、自分の気持ちも分からなくなった。
「夢野さま。お待たせしました」
フロントの女の子とは違う声がした。急ぎそちらに視線を移す。
ばつが悪そうな顔をしたフロントの子の隣に、にこやかな女の子が立っていた。
「リトルホテルへようこそ。この館の責任者をしております。相沢です」
その子は大人みたいに堅苦しく挨拶をした。お手本みたいな、綺麗なお辞儀。
呆気にとられながらも、どうも、と頭を下げる。
「申し訳ありません。本来こちらには来られないはずなのですが、手違いがあったようで。すぐに元の館に戻れるよう手配しますので、今しばらくお待ちいただけますか?」
「え、あ、うん。それは良いんだけれど……」
「なにか、ご予定など?」
「うん。この鍵を貰った後、『三メモリ後にロビーで』って約束をして。その、僕、今どのくらい経っているのかもわかってなくて」
「さようですか。そうですね……それではまず、鍵をお渡しした時間をお調べしても?」
「お、お願いします」
相沢さんは携帯端末を取り出して、操作を始めた。見たことのない機械だった。けれど、大人が持っているような、お仕事で使うようなやつじゃなくって。
それはまるで、戦隊ヒーローとか、女の子戦士のアニメに出てきて、おもちゃ売り場に並んでるやつみたいだった。
「あれ……」
しっかり者、というか、ちゃんとした機械を使っていたら大人にしか見えない振る舞いの相沢さんが、年相応の焦りを見せた。
僕は思わず微笑んだ。彼女の素を見たら、なんだか安心したんだ。
「どうしたの?」
微笑みをそのままに、柔らかく問う。
僕の顔を見て、バカにされたと思ったのか、それとも焦りを覚えたのか。どうしてかは分からないけれど、相沢さんは、より慌てた。
「すみません。鍵をお渡しした記録はあるのですが……時間が」
「時間が?」
「打刻ミスがあるようで、未来時なんです。申し訳ありません」
「そっか。でも、うん。大丈夫。じゃあ、戻る手配? だけ、お願いできますか?」
「申し訳ありません。本日はもう、チェックアウトしていただくしか」
「え、なんで?」
「チェックイントラブルが発生した場合、滞在継続不可となっております。次回チェックイン時にお詫びをさせていただきますので――」
「お詫びとか、別にいいよ。じゃあ、えっと……どうやってチェックアウトすればいい?」
「チェックアウト用のお部屋をご用意いたしますので、そちらから」
いつの間にやら持ち場に戻っていたフロントの女の子にぺこりと会釈をし、半歩前を歩く相沢さんの後について歩き出す。頼れる案内人がいるから、今度は迷う心配をしなくてもよさそうだ。
「こちらになります」
案内された部屋には、番号がなかった。なるほど、宿泊用の部屋ではないらしい。けれど、ドアを開けてみたら普通に泊まるための部屋みたいで、なんならこの前の部屋よりずっといい部屋だった。この前の部屋が普通の部屋だとしたら、ここはスイート? とかそういう、高い部屋に見える。ベッドが大きいし、床も広い。
「それでは。またのご利用を――」
「待って!」
この前、どうしてチェックアウトできたのか分からなかった。このまま置いていかれたら、最悪チェックアウトできないまま、この部屋に引きこもることになっちゃう!
「何か?」
「どうしたら、チェックアウトできるの?」
「お部屋の中に、説明がありますので」
そうだ。こんなセリフ、リョウにも言われたや。
「そ、そうだったね。ごめんごめん」
「それでは」
「ありがとう、相沢さん。じゃあ、また」
「では」
もう僕に一言もしゃべらせる気はありません、とでも言いたげに、相沢さんが扉を閉めた。
僕はすぐに扉を開けたけれど、相沢さんの姿はどこにもなくて、向かいの部屋は売店にかわってた。
まったく、なんてヘンテコなホテルなんだ。
訳が分からなくって、頭をポリポリ掻いた。頭を掻いても何も変わらないけれど、脳みそに近いところに触れていると、脳みそが良く動くようになる気がする。ただそれだけ。
「それで、説明書、説明書……」
部屋が広いから少し時間がかかってしまったけれど、それはすごくわかりやすく置かれていた。なんなら、説明書の方から「僕はここだよ!」なんてアピールをされた気がするくらい。
パラパラと捲りながら読む。宇宙語じゃなくて日本語が書いてあって助かった。
チェックアウトの方法は、ここで眠ること。チェックアウト要件を満たしていない場合は、眠ってもチェックアウトしない。なんじゃそりゃ。今の僕は、チェックアウト要件ってやつを満たしているんだろうか。生まれてこの方、っていっても十数年だけれど、それでもここまでしっかり説明書を読んだのは初めてってくらい、一言一句しっかり読んだ。学校の教科書だってこんなに読まないよ。
すごく集中して読んだのに、チェックアウト要件っていうのが分からなかった。なんだ、この説明してない説明書!
ムカついて机に叩きつけた。不貞腐れてベッドに飛び乗った。
ボヨンと弾む、けれどジワリと沈む。
つかれた。つかれた。
っていうかこれ、明日学校に行ったらタイチにすごく文句言われるやつじゃん。なんか嫌な感じ。
蟻地獄とかにはまったら、きっとこんな感じなんだろうな。そう思うくらい、このベッドから抜け出せそうになかった。包み込まれるように、体が沈んでいく。意識が少し、遠のいていく感覚がした。別に、眠たいわけでもなければ、眠ろうとしてもいないのに。急に、意識が薄れていく。
誰かの声がした。いや、これは声だろうか。――音?
音がうるさくて、その音がする方を見るために、目をぱちくりさせた。
目の前がすごく明るくて、眩しくて。だから何度も瞬きをして、明るさに目を慣れさせようとした。
途中、聞こえてきた音の正体に気づく。
目覚まし時計と、お母さん。
「コウジ! 早く起きなさい! 目覚ましいつまで鳴らしてんのよ! う、る、さ、い!」
朝っぱらからぷんぷん怒っているお母さんの方がうるさいや。やっと明るさに慣れた目を、ゴシゴシこする。
朝だ、朝――朝?
時計を掴んで時間を見た。数字があって、長針と短針と秒針があって、くるくるくるくる追いかけっこをしてる。一番速い秒針さんが、一秒一歩で駆けている。
朝だ、朝。気づいたら、朝。
目覚ましが止まって、僕が起きたからだろう。お母さんは忙しなくキッチンかダイニングか、やることをしに僕の部屋から出ていった。
ハッとして、ランドセルに手を伸ばす。
時間割表の裏、しまっておいた封筒を手に取った。
中から板を抜く時、なぜだか指先が震えた。
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