第2話 本当に伝えたかったことは

 あの変な女子に話しかけられてから土日を挟み、憂鬱な月曜日がまたやってきた。といっても、来週末は終業式だからいつもよりはかなり気が楽だ。他の奴らも気分はすっかり夏休みのようで、教室のあちこちから夏休みに関する話が聞こえてくる。


 俺はバイトでもしようかな。どうせ何もすることないし。特に買いたいものとかがあるわけじゃないけど、金は貯めておいて損はないだろう。


「朝陽くん、おはよう」


 朝のホームルームが始まるまで、自分の席に座ってぼーっとしていると、挨拶された。


 顔を上げると、そこにはまたもや涼しげな顔で俺を見下ろすあいつがいた。


 炎天下のなか、何十分もチャリを漕いで汗がとどまるところを知らない俺とはまるで対照的だ。


「……………おはよう」


 俺はその女子に一瞥をくれると、すぐに目をそらし、わざと無愛想な声で返した。


 それでも、視界の端に写っているその小さな顔には、微笑みが浮かんでいた。


 何で笑うんだよ。


 さっさとどっか行けよ、という空気を全身から醸し出すと、そいつは「じゃあね!」と言って俺から離れていった。


 もう話しかけてこないでほしいと、本気でそう思った。


 けれど、そんな俺の願いも空しく、そいつは飽きることなく俺に話しかけてきた。いや、正確に言えば挨拶をしてくるだけなんだが。毎日、俺が登校したときと帰るとき。


 「おはよう」と「また明日」。


 たったそれだけの言葉を、毎日欠かさず、伝えてくる。


 それが一週間続いた。最初はうざい、面倒だと、そんな風にしか思っていなかった。けれど今は、ひたすらに不可解だ。


 あいつは何がしたいんだ。本気で分からない。俺が迷惑に思っていることを、俺の適当な対応から察せない奴ではないと思う。


 この一週間、それとなくあいつを見てきたが、特筆することのない、ただの高校生だ。あいつが仲良くしてる友達は、言っちゃ悪いがあまり目立たないタイプ。誰かをいじめて楽しむような奴には見えない。


 …………何かの罰ゲームで話しかけてくるのだろうかと思ったんだが。


 どれだけ考えても、あいつの真意が分からなくて、とうとう怖くなってきた。

  

 はっきり言った方がいいかもしれない。そうすれば、流石のあいつも折れてくれるだろう。


 そう決意した日の放課後、いつものように、あいつがやってきた。


「また明日ね、朝陽くん」


 そうだ。今気付いたことだが、こいつはいつも俺の名前を呼ぶ。名前を呼ばなくても、大して変わりはしないのに。


「あのさ」


 そいつの背は、俺よりも頭一個分くらい小さい。学校指定のバッグを肩にかけていないから、まだ帰らないようだ。


 瞬間、頭のなかで先週末のあいつの姿がフラッシュバックした。


 誰もいない教室で、ただ一人―――――


 合唱でもしているのかと、そう言いたくなるくらいのセミの鳴き声。うだってしまうような暑さの教室。窓から吹き込む温い風。


 今日も、ここで勉強をするのだろうか。


 俺を写しているその大きな瞳は、揺れていた。


 俺がいつもと違う反応を示したから、驚いているのだろう。


 どういうわけか、俺はしばらくなにも言えずにいた。その顔を見つめて、突っ立っているだけ。


「朝陽くん?」


 そこで、ようやく自分が黙っていたことに気付き、言おうとしていたことを思い出す。 

 

 けれど、俺の口から溢れ出た言葉は、自分でも驚くくらい、どうでもいいことだった。


「勉強…………」


「えっ?」


「勉強するなら、図書室の方が涼しいよ」


 何を言ってるんだ。

  

 口にした瞬間、心のなかでそう言った。


 そんなことじゃないだろ、俺が伝えたかったのは。もう話しかけてくるなって、迷惑だって、そう伝えるつもりだったのに。


 でも、どうしてそう伝えなかったんだと自問しても、答えが出てこない。


 本当に、無意識に言ってしまっていたんだ。


「心配してくれてありがとう! でも、私寒がりだから」


 さっきよりも嬉しそうな、眩しいくらいの笑顔で、そう言った。


 またもや口をつぐんでしまった俺は、自分の席へと戻っていくあいつの後ろ姿を、呆然と見つめることしかできなかった。

 


 


 


 

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