君だけが

@anv

第1話 出会い

 水泳の補講が終わり、制服に着替える。


 今は七月の下旬。プールで涼んだはずの体には、すでに汗が染み出ている。


 この温暖化のご時世、更衣室にも冷房を設置してほしいものだ。さっさと家に帰ってアイスでも食べよう。


 そんなことを考えながら更衣室を出たところで、ふと思い出した。


 そういえば、課題を教室に置き忘れてきたような………。


 すぐにバックの中身を確認する。


 ……………ない。

 

 面倒だが、取りに行くしかない。


 溜め息をつきながら、下駄箱とは反対方向へ向かう。


 セミの鳴き声と、運動部の掛け声が聞こえてくる。


 こんな暑いなか、どっちもよく頑張るなあ。いや、セミは頑張ってるつもりはないのかもしれないけど。


 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14。


 14段の階段を上り終え、右へ曲がる。


 無意識に階段の段数を数えてしまうのって、俺だけなのだろうか。もう一年以上も通っているのだから数え上げなくても分かっているのに。ちなみに下の階の段数は一段減った13段。


 そんなどうでもいいことを考えていると、ようやく教室に辿り着いた。階段を上ったせいか、汗の量はさらにひどくなっている。まじで気持ち悪い。


 教室に入り、うつむいていた顔を上げる。


 そして、視界の端に映った姿を見て、驚く。


 放課後になると、教室の冷房はついていない。学校で勉強したければ、一日中涼しい図書館へ行けばいい。


 なのに、そこには、一人の女子生徒がいた。


 教室の一番はじっこ。   


 普通なら一番の当たり席だが、冷房が天井の真ん中当たりについているせいで、夏場は暑すぎてはずれとなる席。


 そんな席で、一人で勉強をしている。


 暑さなんて少しも感じていないかのようだ。

 

 カリカリと、ノートにペンを走らせる音だけが響く。


 窓から吹き込む薫風に、その長い髪が揺れる。


 図書室に行けばいいのに。


 そう思った瞬間、その女子生徒は俺に気付き、顔を上げる。


 少しだけ目があったが、俺は何事もなかったかのように自分の席へ向かう。


 廊下側の一番はじっこ。


 こちらも今の季節ははずれ席。暑さのせいで毎日イライラしてしまう。特に午後がひどい。汗でノートが濡れるから、板書すらまともにできない。


 机のなかに手をつっこみ、英語の問題集をとる。それをバックに入れて、教室を出ようとしたら、


「朝陽くん」


と、俺の名前を呼ぶ声がした。


 名前なんて、長い間呼ばれていなかったから、驚きで反射的に振り返る。


 さっきまで勉強していた女子が、目の前で微笑んでいた。


「なに」


 今すぐにでも帰りたいのに引き留められたせいで、少し声が冷たくなってしまった。


「今机からとったの、英語の課題だよね?」


 しかし、そんな俺の態度を意に介した様子はない。涼しげな顔で訊いてくる。


「そうだけど」 

 

 何だ。何か用があるならさっさと言って欲しいんだが。


「その問題集、難しいよね」


 だが、女子が口にしたのはどうでもいい雑談。わざわざ話しかけてくるんだから何か事務的な用事があるのかと思ったけど…………。


「そう、だね」


「でも、朝陽くんって英語得意だよね。先生に当てられても毎回答えてるし」


「………………」


 俺、この人と喋ったことないよな?


 思わず、そう自問してしまった。それくらい、驚いていたのだ。


 だけど、いくら記憶をたどってみても分からない。それどころか、クラスメートと話した記憶すらほとんどない。


「ごめん、俺急いでるから」

 

 これ以上話すのも、考えるのも面倒になったから、俺はそれだけ言って女子に背を向ける。


「朝陽くん」


 また、さっきと同じように俺の背後から名前を呼ぶ。


 今度はなんだよ。


 本格的にイライラして、しかめっ面を向ける。


「あの、もしよかったら、この後、勉強教えてくれない?」


「………………は?」


 あまりに急なことだったから、その言葉を理解するのに少し時間がかかってしまった。


 急に話しかけてきたと思ったら、その上勉強を教えてくれ? なにを考えてるんだ。仲良くないどころか、喋ったことすらないのに。


「あ、えっと、教室じゃなくて図書室でもいいよ。朝陽くん、暑がりみたいだし」


 そういう問題じゃないし、何で俺が暑がりだって知ってんだよ。勉強なら友達やら先生やらに教えてもらえばいいだろ。


「いや、俺これから用事あるから」


 それだけ言い捨てて、今度こそ帰ろうと歩きだす。


 余計な時間をくってしまった。


 セミの鳴き声が、さっきよりもうるさく聞こえるような気がした。


「また明日ね! 朝陽くん」


 廊下を曲がろうとしたところで、そんな声が聞こえてきた。


 明日は土曜日だろ。


 俺はその声に軽く手を挙げるだけで応え、また段数を数えながら階段を下っていった。


 


後書き

第1話を読んでくださり、ありがとうございました。文量は少ないですが、週に1話更新できたらいいなと思っております。今後とも、『君だけが』をよろしくおねがいします。

 

 


 


  

 


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