煙色の蒼天を旅して
雲矢 潮
第1話 アラルサライ演習
ー連邦暦2114年3月6日
高度400m、青々とした草原に双胴の船体が影を落とした。両舷に抱える、不釣り合いなほど大きな浮遊ガスタンク。鉄骨で組まれた中空の格納庫に、小さな航空艇が数機、唸りを上げていた。航空母航空艦「
航空艇の一機がのプロペラをかき鳴らし、レールから空へ飛び出した。2つの浮遊ガスタンクに挟まれた狭い筐体に、40mm機関砲と石油エンジンが搭載され、その隙間に4人の兵士が乗る。空気抵抗の大きい機体を推進させるための大きなプロペラが、両脇に飛び出して付いている。
2105年制式採用戦闘航空艇、またの名を
機体はエンジンを吹かせながら空を飛んだ。船のような垂直舵と水平舵を動かして、大きく弧を描いて旋回する。最高時速は約70km/h、この演習まで、連邦軍最速の兵器であった。
数kmの遠くに、もう一つの航空母航空艦が浮かんでいた。近代化改修を終えた「荒雲」姉妹艦、「
ォォォォォオオオオオオオオオンン――――
編隊はみるみるうちに接近して、その姿を現した。細長い筐体に、羽布張りの大きな4枚の翼。頭に付いたプロペラが、わんわん鳴っている。
最高時速は約140km/h。2109年制式採用ケフィア第18設計局艦上戦闘航空機、愛称を
その編隊の一機に、彼女は乗っていた。銀髪に赤目、褐色の肌でアルキカ族の出身とすぐ分かるその容貌。パティヤ・ルフィナは、連邦軍における最初の「飛行機乗り」の一人だった。
革手袋で、操縦桿を握る。大隊長機の動きに合わせて、操縦桿を傾けてエルロンを捻り、右旋回。
風が頬を切る。
エンジンの熱と振動。
手と足が痺れかけ、それでも力は緩められない。
高度600m、連邦軍最速の機体を駆った。
「完璧な飛行だった。感服したよ」
「お褒めに与り光栄です、閣下」
演習飛行の後、大隊長がレシィ・イマールチャ元帥の言葉を頂いていた。
「艦上戦闘航空機とは素晴らしいものだ。最高時速は?」
「本日は100km/h、記録では142です」
「航空艇の時代は終わるかな」
元帥閣下は、どこか寂しそうに呟いた。彼女はキビジュ革命の指導者の一人にして、介入戦争を戦い抜いた猛者である。旧革命軍にとって、航空艇は主力兵器の一つであり、思い入れもあるのだろう。
彼女の様子に気付いた者は、そう考えるのが当然だ。だけど、私はその目の理由がそれだけではないことを知っている。
元帥閣下は、チラと私を見、直ぐに大隊長に視線を戻した。
「どうかな? 貴官の考えは」
「航空機は、航空艇との役割分担が重要であると考えます」
「具体的には?」
「重要なのは、速力と火力の差です。航空機は高速ですが、航空艇のような火力は持たない」
流石は大隊長、貴種出身の彼は、明快な声で己の考えをスラスラと述べる。
「航空機は、会戦において偵察・奇襲の役目を負うものと考えております」
偵察・奇襲、か……。
対して航空機の装甲は薄く、火力も乏しい。速力があるだけで、主力兵器になる見込みはないように思われる。
ただ、連邦軍最初の航空機乗りとして、その展望は些か悲観的ではないか、とも思う。理論もまだまだ未完成の兵器、戦争を変えるだけの影響力が、あるのではないか、と。
>>
その夜、連邦中央軍空軍本部、タシュケント基地へと帰投する航空母航空艦「
「フィーナ」
私に呼びかける、静かな、鈴とした声。昼間に聞いた声、だけどそれよりも上機嫌な明るい声。
振り返ると、黒い軍服に高級将校の制帽。胸の記章は、連邦軍元帥。自国軍の最高指揮官、レシィ・イマールチャ元帥だ。その彼女が、私を愛称で呼んだ。一中隊長である私は、さっと敬礼しなければならないはずだった。
しかし私は、敢えて欄干に腕を置いたまま、返事をした。
「姉さん」
「久しぶり。元気にしてた?」
レシィ・イマールチャ・ヨアン。私が彼女に出会ったのは、私が6歳の頃で、彼女は20歳。父アンテンが帝国軍を離脱して革命に参加したその時のことだった。その時から、連邦軍中央士官学校に入るまで、家族のように一緒にいた。恐ろしくも懐かしい、革命の日々を一緒に過ごしたのだった。
今や、私は28歳。姉さんは、42歳になる。元帥になるには若いけれそ、既に金髪の中に色の抜けた髪も見え隠れしている。
「おかげさまで。ヨアン姉さんは?」
「まあ、それなりにね」
そこで私は初めて欄干から手を離し、敬礼してみせた。
「議長閣下は、お元気ですか」
姉さんは吹き出してしまった。
「ぷっ、あはははは! パティヤ議長はお元気だよ、パティヤ中隊長。ふふっ」
帝国軍大佐で、その後は「青年クリルタイ」の最年長メンバーだった父は、革命と介入戦争を生き抜き、今や連邦の最高機関「全邦会議」議長となっている。私は「議長閣下」の子なのだ。
私は、革命勢力の中で育てられた。
母もいたが、ヨアン姉さんたちと過ごす時間の方が長かった。凝固した帝国体制の打倒、歴史上初めての共和制遊牧国家への熱意を、日々ひしひしと感じていた。
だからこそ、彼女の喪失も分かる。私のもう一人の姉にして、ヨアン姉さんの大事な人。革命で失われた、あの人。
私は、敬礼を解いた。
「何故わざわざ会いに来てくれたのですか?」
「折角の機会を逃すと、勿体ないだろう? 妹に会いに来るのに理由が必要かな?」
「見つかったら面倒なんですよ、元帥閣下」
「そうだな、中隊長。だけどもうじき、中々会えなくなる」
「? どうして?」
「海洋協商だよ。ルース族の独立勢力を揺さぶってきている」
「っ、ちょっと聞かなければ良かったかも知れません」
姉さんは、くるりと辺りを見回して、それから小声で続けた。
「知っておきな? イェンツェが国境地帯の部隊に圧力をかけてきている」
イェンツェ=カルマール同盟。
連邦領の西端の向こう、北地中海の対岸に位置する列強にして、産業革命を起こした近代の先駆者。歴史的に連邦領北西部に多いルース族との関係が深く、加えて連邦の仮想敵国でもある。
「あとは、北華かな。昨年からの統治権移行運動、大華民国の宣戦も時間の問題かも知れない」
「なんでそういうことを私に言いますかね。ただの中隊長ですよ」
「ケフィア中央士官学校の首席卒業生が何を言うかと思えば」
「買いかぶりすぎですって」
「まあ、頭に留めておくことだな。忘れるなよ?」
「今すぐ忘れたいんですが……」
「命令だ」「そんな」「抗命するか?」「いーえ」
「して、パティヤ中隊長。航空機の戦術的用法にはどのようなものが考えられるかね?」
「はっ……?」
「答えたまえ、パティヤ・ルフィナ試験航空機大隊中隊長」
まるで、士官学校の教員のように姉さんは聞いた。仕方がないので、その芝居に乗ることにした。
「はっ。小官は、――――――」
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