クリームソーダ

 まるで溶けて濁ったクリームソーダのようだ。


 最初はあんなにも澄んで綺麗な色をして、甘いアイスクリームで飾られている。でも…、結局最後には、アイスクリームも溶けてぐちゃぐちゃになり、グラスはベロベロになってしまう。最後まで綺麗に飲み干せるのは不可能なのだ。


 高1の夏。私はクリームソーダのような恋をした。


 先輩も私のことが好きなんじゃない? とか、先輩にとって私は特別なんだって。恥ずかしいほどの勘違いをしていた夏。

 あの時の私は、相当浮かれてた。


 だって…。



* * *


 暑い日差しの中、パシャパシャと水の弾ける音がする。先ほどから選手たちが、ウォーミングアップで1,000メートル泳ぐのだ。持久力をつけるにはなかなか効果的らしい。


 私はこの空間が好き。水の音も心地よく、プールサイドの太陽の匂いが私を安心させる。


 私は強化合宿で溺れるという失態を犯し、早々に選手を続けることを断念した。今はマネージャーとして選手たちの健康管理や記録係、用具管理などを任されている。


 選手ではないけれど、やっぱり泳ぐことが好きだし、同じ夢を持っているみんなと共に大きな夢を追いかけたい。


 だから私はここにいる。




「よっ、美波。今日のメニューを教えてくれ」

「佐々木先輩お疲れ様です!」


 ウォーミングアップを終え、声をかけてきた佐々木先輩はバタフライの代表選手。将来はオリンピック選手になるのでは!? と期待されている実力の持ち主で、誰もが憧れる水泳界のスターなのだ。

 だからプールを囲っているフェンスから、覗き込んでいる女子生徒も多いい。ほとんど見えないのに頑張っている。ご苦労様です。


 そんな中、私はマネージャーという立場をフル活用して先輩をサポートしているのだから、羨ましがられても仕方がない。


 一通りいつものルーティーンを一緒に確認すると、先輩は肩にかけていたジャージをポイッと私に投げ渡す。その何気ない仕草もたまらなくかっこいい。


 日に焼けた体に逆三角形の体格。触れると柔らかい筋肉。そして割れた腹筋。細マッチョという言葉がピッタリ!

 何より甘すぎない優しい笑顔に白い歯がキラリ。彼女の一人や二人…いてもおかしくない。


 でも先輩にはそんな噂は一つもなく今は水泳に打ち込んでいるっぽい。そして、一番近くに居られる私は特等席を陣取っている。


「もう〜美波。あんたばっかりずるい!」

「えっ? 何が?」


 私は先輩のジャージを畳みながら紀子にたずねる。


「なんかさ、いっつも佐々木先輩、美波のところにくるよねー!? どうゆうことぉ!?」

「そんなことないよ。私たちマネージャーなんだからさ、これくらい普通だよね?」

「普通じゃないよ。ま、あんたが先輩を好きなのは分かってるけど、本気にならない方がいいよ」

「何で?」

「さっき聞いちゃったんだけど。先輩、年上の彼女がいるらしいよ」


 彼女…。私の心が波打つ。


「へぇ〜そうなんだ」


 私は何でもないふりをする。だって私はマネージャーで、先輩はただの憧れの人に過ぎないのだから。私の様なへなちょこが、好きとか嫌いとか言える立場じゃない。


「先輩、来年の春に彼女さんと同じ大学に進学するらしいよ。なんでも2つ上のモデルばりの超美人で頭もすごくいいんだって〜。英語も話せて、海外遠征とかもしっかりサポートできちゃうね。いやぁ~美男美女! 素敵だよね」


 紀子がうっとりしながら話してる。でも、プールの水の音が大きくなり紀子の声がすごく小さくなった気がして、その後の紀子の言葉が心に響いてこない。


 彼女がいたって不思議じゃない。だって私が好きになった人だもの。むしろいない方がおかしい! そう、一番近くで応援できればそれでいい。それでいいじゃない!


 でも来年には卒業してしまう。側にいられればいいなんてウソだ。本当は私…。


 バサっ。


「わっ!」

「何ぼーっとしてるんだ?」


 いつの間にかプールから上がってきた先輩が、さっきまで使っていた速乾タオルを私の頭に乗せジャージに袖を通していた。この距離感、超ドキドキする。


「ご、ごめんなさい。この夏が終わると先輩たちも引退だなーと思ったら…」

「なんだ? 寂しくなったって? ま、俺は水泳続けるし、ちょくちょく顔出すと思うけどな」


 それなら寂しくないだろ? と言うと私の頭をポンと叩く。


 私はそれだけで幸せで、更衣室に向かう先輩の後ろ姿を眺めることしかできなかった。呼び止めることも、気の利いた話をすることもできずに。


「あ、そうだ! 美波はJR使ってるんだよな? 俺チャリだから駅まで送ってってやるよ」

「え、あ…。大丈夫です。私重たいし」


 先輩が爽やかな笑顔で私を見ているから、なんだか急に恥ずかしくなる。一緒に帰ろうと言ってもらえたのに、私ったら…。


「こういう時は、素直にありがとうって言ってくれると嬉しいんだけどな」

「えっ」

「じゃ、入り口で待ってて。すぐ着替えるから」


 こうして私たちは、部活の帰りに時々一緒に帰るようになった。先輩は自転車を押して、私の歩調に合わせるように並んで歩く。たわいもない会話。主に水泳のことが中心だったけど、とっても幸せな時間が流れていた。


 駅までの短い時間。もっと駅が遠ければいいのにと何度思ったかわからない。


 駅に着くと先輩は「じゃ、また明日!」と言って、来た道を自転車に乗って帰っていく。 


―― ダメダメ! 期待してはダメ。戸締り担当だから、遅くまで付き合わせちゃってるからって先輩が言っていたじゃない。そう、これは先輩の気遣い。


 幸せだったから、突っ込んで聞けなかった。「私が戸締り担当だから、送ってくれるのですか? それだけですか?」って。その質問で全てが変わってしまうのが怖かったから。だから私は何も聞かずこの時間を楽しむことにしたのだ。


―― 付き合うって、何? 恋人と友達の線引きってどこ? そもそも私は友達でもない。先輩は憧れの人なんだから。




 そんなある日の帰り道。もう太陽も沈みかけて、空が茜色に染まる頃、私たちはいつものようにゆっくりと駅に向かっていた。


「もうすぐ花火大会ですね」

「あ、そうだっけ?」

「先輩、たまには水泳以外のことに興味持った方がいいですよ!」


「お前も花火とか興味あるんだな」

「もちろんです! 去年は行けなかったから、今年は見に行きたいな〜」


 私はパッと振り向き、先輩の顔をまじまじと見つめる。少し驚いたような先輩の顔を見て、思わず私は大胆にも口走ってしまった。


「行きませんか? 花火」

「えっ?」

「あ、えっと、みんなを誘って。きっと楽しいですよ」


―― 私のバカ! 断られるに決まってる!


 私の顔は真っ赤になって、もう、今の発言忘れて欲しいとさえ思いながら、恐る恐る閉じた目を開けてみる。


 先輩の反応が怖い。お前とは行かないよ、なんて言われたら、私は再起不能だ。


「いいよ」

「えっ?」

「行こう、花火」


 先輩が私を見て微笑んでいる。私だけを見てる。私だけが知っている先輩の笑顔。


―― ウソ!? 今何て?

 

 私は天にも昇る気持ちだった。後の事は全然覚えていないくらいに。




 花火当日、私が「みんなで」なんて言ったものだから、水泳部の有志が集まった。みんな、おもいおもいの食べ物を持って。


 私と先輩は幹事という立場で、飲み物調達班としてスーパーで待ち合わせをしていた。


 この時間は二人きりになれる! 私は思いきって浴衣を選んだ。下着もお気に入りのものを選ぶ。


―― 似合ってるね、綺麗だよ。なんて言われちゃうかも!


 ドキドキとわくわくとで、私の妄想はどんどん膨らんでいく。

 二人きりの花火大会。おしゃれした私に気付く先輩…。


『先輩? どうしたんですか?』

『い、いや。いつもと雰囲気違うなって』

『えっ?』


『美波、俺…』

『先輩?』


―― きゃーーーーーーーーっ。やだぁ~、どうしようっっ。



「おい、美波!」

「えっ?」

「えっ? じゃないよ。さっきから呼んでたんだぞ」


 気付くと先輩が目の前で、心配そうな顔をしている。


「きゃっ、ご、ごめんなさいっ。」


 ま、いつものことか。と言いながら、先輩は少し照れた感じで見知らぬ女性を招き寄せる。


「美波に紹介しておくな」


―― えっ? 誰?


「こんばんは。いつも和馬くんをサポートしてくれてありがとう。美波ちゃんね。」

「えっと…、はい。望月美波です」


 私はペコリと挨拶をする。顔をあげてみると、先輩の横にすごく綺麗で凛とした女性が立っていた。

 その女性ひとは先輩よりも背が高くて、浴衣姿も大人で素敵な存在感を放っていた。私とは大違い。


 先輩のこと、和馬くんって呼んでる?


「和馬くんが言ってた通りね。美波ちゃん、めちゃくちゃ可愛い!」

「あ、ありがとうございます」

「美波、彼女は彩月だ」

「よろしくね。美波ちゃん」

「彩月さん…、よろしくお願いいたします」


 この後、どうやってみんなと合流したんだろう? 気付いたら、先輩のとなりに座って花火を見ている私がいた。


 先輩の反対側には彩月さんがいる。先輩も最初はみんなに「彼女さんですか?」っていじられまくっていたけど、花火が始まるとみんな花火に夢中になっていた。


 私は花火を見上げ、目の端に映る先輩の横顔を見る。やっぱりめっちゃかっこいい。私だけの横顔だと思ってた。駅までの帰り道見る私だけの横顔。


 私は涙で花火も先輩の横顔もぼやけてくる。ダメだ! 泣いちゃダメだ。


 その時先輩がお茶をこぼすという惨事が起こった。


「あっ。やべ、やっちまったー」

「あ、先輩これでっ」


 私はとっさにタオルを差し出す。

 でも先輩の手は逆側から差し出されたタオルを受け取っていた。


「もぉ~、飲む時はコップをちゃんと見て」

「ごめんごめん。手が滑って」


 あぁ…私じゃなかった。先輩の中に私はいない。


 私は差し出したタオルをぎゅっと握りしめる。涙が溢れてくるのを止めることができなかった。私だけが、先輩のお世話をさせてもらえてると思ってた。わざわざ逆方向の駅まで並んで歩くことが出来るのも、私だけ。みんなに羨ましがられる距離で先輩と話が出来るのも私だった。


 先輩が私を選んでくれたのだと思ってた。


 でも…それは全部勘違いだった。隣を歩くのは私じゃない。


「……っ」


 涙がボロボロ溢れてくる。止められない。ダメ。泣いちゃダメ。みんなに気付かれる。


「美波? どうした?」


 先輩が気付いてしまった。私の醜くぐちゃぐちゃな姿を見られたくない。でも気付かれたことで感情の防波堤が決壊するように涙が溢れてくる。


「美波、急に寂しくなっちゃったのかな?」


 紀子が助け船を出してくれた。その優しさにですら、涙する。優しくしないで…。


 ぽん。いつもの様に先輩の手が、私の頭を撫でる。


 これも私だけにしてくれるものだったのに…。私はぐっと我慢する。


「美波はバカだな。泣くな。俺たちは卒業するけど、今度はお前たちが後輩を指導していくんだから、しっかりやってくれよ。合宿には帰ってくるからさ」


 先輩の勘違い。会えなくなることが寂しいんじゃないのに…。


 でも私はその勘違いに乗っかるように、うんうんと頷く。隣では紀子が背中をさすってくれていた。


 先輩のそんな勘違いの優しさも、全部ぜんぶ大好きだったの。


 私は花火の音を聞きながら、涙をふく。紀子に感謝をしながら、泣きながら笑った。


 私の恋は花火とともに散った。


 彩月さんは私の恋心に気付いたと思う。でも彼女は何も言わなかった。ただ悲しそうな瞳で、紀子と一緒に優しく背中を撫でてくれた。



 彩月さんも素敵な人で、先輩が選んだ人…。私が敵う相手じゃない。そう思うとまた涙が溢れてくる。


 先輩と彩月さんが仲良く手を繋いで帰る後ろ姿が、あまりにも綺麗だった。




END

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恋心 桔梗 浬 @hareruya0126

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