月虹影 Case.2 ――無貌の偶像――

ダイ大佐

七瀬サキの初仕事

 2118年札幌、11月末。


 賞金稼ぎの職業登録を終えたばかりの少女、七瀬サキは肩にかかるかからないかといった見事な黄金色の髪を振った。


 6年通った学校は12月で終わりだ。


 姉の七瀬シキと共に校舎を出て育ての親の叔母の家に帰る。


 環状線のモノレールに乗って他愛もない会話に花を咲かせる。


 サキとシキは双子だった――二人は今月十八になったばかりだ。


 外見からはどちらがどちらか見分けがつかない。


 学校を出たら叔母の下を離れ、二人で暮らすつもりだった。


 シキは非正規の事務職として中堅の出版社に勤める予定だ。


 サキは学校で受けた軍事教練で銃、特に拳銃の扱いに適性が有ると認められ、軍隊か警察に進むよう勧められたのだがそれを断って賞金稼ぎの道を選んだ。


 建前上は警察の所属だったが、単なる警察官より自由に振る舞える。


 サキもシキも札幌――この時代、都市国家が基本的な政治形態だった――に特段の忠誠心を持っていなかった。


 都市を囲むドーム状の断熱遮光壁が太陽を反射して眩しい。


 吊革に右手を、空いた左手をつなぎ合ってシキはサキの肩に軽く身を預けた。


 サキはシキにしか分からない優しい微笑みを見せてくれる。


「サキちゃん、訓練はどうなの?」


「問題ないわ、姉さん。これでも実技は一位なのよ」サキは三ヶ月の賞金稼ぎの訓練を受けていた――実技も学科もトップクラスだった。


 今夜も訓練講習に向かう予定だ。


 サキは絡めた指を弄ぶ。


 シキは郊外に向かうターミナルで路面電車トラムに乗り換えた。


 サキは訓練場に向かう。


 別れ際、柱の陰で二人はさっとキスを交わした。


「ただいま」シキは叔母と暮らす一軒家に戻って二人部屋に入る。


 制服を脱ぐとクイーンサイズのベッドに飛び込んだ――食事前にシャワーを浴びるまでのほんの僅かな時間だが横になりたかった。


 愛しの彼女は真夜中にならないと帰ってこない――せめて帰って来た時に出迎えてあげたかった。


 *   *   *


「そこまで!」サキは模擬銃ダミーブラスターを用いた白兵戦、超至近距離での銃撃で相手を倒す訓練だ――で教官相手に連勝を収めていた。


 手を広げて掴みかかってきた相手の左腕を取って関節を極め、頭部に銃を突きつける。


「貴女の勝ちです。七瀬サキ」教官は無表情に言った。


 教官は戦闘用の人造人間レプリカントだ――実戦だったら躊躇わずに発砲したのに――サキは嫌悪感を僅かに滲ませた。


 仲間の視線――大半は男だった――が痛い。


 女だてらに賞金稼ぎなんてやるな――そんな視線だ。


 サキ以外には女性は三人だ――賞金稼ぎ自体男の職業だという暗黙の了解が札幌にはあった。


「すごいのね、サキさん」同い年の見習いの少女がサキの手を握って目を輝かせた。


「運が良かっただけ――貴女だって大したものでしょう」過剰なスキンシップに戸惑いつつサキは応えた。


「男に負けない為にも実力を見せつけないと――女が成功するには男の三倍の努力が必要なのよ」サキは人造タンパクの入ったスポーツ飲料を飲み干す。


「何が必要だって?」平均より少し背の高い、がっしりした男子学生が絡んできた。


「女が賞金稼ぎなんて務まるはず無いだろう。少しは現実見たらどうだ」彼とつるんでいる腰巾着もサキを煽る。


 サキは挑発を無視した。


 二人は露骨に顔をしかめる。


「私はこれで――今日の日課は終わったから」サキはシャワー室に向かう――忌々し気に舌打ちする音が聞こえたが、無視した。


 *   *   *


 サキとシキは学校を卒業すると同時に安い賃貸マンションに移り住んだ。


 叔母には毎月仕送りをして今迄世話になった礼をするつもりだ。


 サキの初仕事は指名だった――札幌はおろか世界でも有名なアイドルの護衛を三カ月勤めて欲しいという、破格の報酬の仕事だ。


 ただ彼女、安桜あさくらユイには事情が有った――全身に大火傷を負って命を危ぶまれた彼女は全身義体、完全なサイボーグとなって芸能活動を続行する事を宣言した世界初のアイドルだった。


 生前と瓜二つの容貌の――しかし身体を機械にした彼女には生前の様な微に入り細を穿った演技は不可能だろうというのが専らの見方だった。


 年齢は十五歳――火傷を負ったのは半年前、彼女はこれから永遠に十五歳の外見なのだ。


 実際に顔合わせをしたサキは、ユイに好感を持った――驕り高ぶった所が無く誰に対しても気遣いを忘れない。


「うん、写真で見たよりも綺麗――貴女を選んで正解ね」ユイがサキに言った初めての言葉がそれだった。


「私の腕で無く、外見を基準に仕事を頼んだのですか?」サキは思った事を口にした。


「いえ、そうじゃないわ――ある意味そうだけど。腕が良くて、むさくるしい男で無い事――それで検索したら貴女が一番とコンピュータのお告げ」愛くるしく笑う。


「いつから仕事に入ればよろしいのですか?」


「愛想が無いのね――そう、今日からでお願いできる?」


「分かりました。三カ月の間よろしくお願いします」


「着替えは必要?」


「持ってきてます」


「ずっと離れないでね。もともとの私のファンやサイボーグをこころよく思わない人達から脅迫状が届いてるの」ユイは事務所の一角に積まれた手紙の山を指した。


 サキもネット上でユイへの悪口雑言を見ていた――匿名のサイトでは特に酷いものが多い――のせられて彼女を襲う精神異常者もいるかもしれない。


 三カ月と期限は切られているが、仕事内容に満足すれば今後も依頼される可能性は高い、初仕事という事も有ってサキは気合が入った。


「まずはお買い物に付き合って――ついでにお昼も食べましょう」


「ユイ様は食事の必要ないタイプの義体だったのでは」ニュースで見た情報が間違っていたのだろうか――サキは訝しんだ。


「食べ物を味わって消化する機能もついてるのよ。それに脳には糖分が必要なの――ブドウ糖のカートリッジでも良いんだけど。私のはまだ市場に出回ってない義体なの。ちょっと出かけてきますね。アリサさん」アリサと呼ばれたプロデューサーは頷いた。


 表に車が停まっていた――ユイを送り迎えする専用車だ。


 サキはブラスターがホルスターに収まっている事を服の上から確認するとユイに続いて車に乗り込む。


 ユイは車の中でも気の利いた会話でサキを楽しませようと懸命だった。


「警護役にそこまで気を使わなくてもよろしいですよ。ユイ様」


「様は止めて」ユイは真剣に言った。


「そういう訳には――」


「命令よ」


「分かりました。ユイ」ユイはその言葉ににっこりとほほ笑んだ。


 ユイの視線はサキの顔を行ったり腰に下げたブラスターに来たりした。


「気になりますか?」サキはユイがブラスターに興味津々なのを察してジャケットを持ち上げる。


「安全装置を掛ければ持っても構いませんよ」サキはブラスターを抜くと銃把をユイに差し出した。


「重いのね」ブラスターを両手で持ったユイは驚いたようだった。


「重たい実体弾を高火力で打ち出すので反動が大きいんです、それを打ち消す為に銃そのものが重いんです。銃口には反動抑制装置もついてますよ」


「何処製のブラスターなの?」


「カラシニコフのヴォルク38K、ロシア語で狼の意味ですよ。賞金稼ぎをしてた祖父の形見の品だそうです」


 暫くブラスターをしげしげと眺めていたユイはようやくサキにブラスターを返した。


「近くの駐車場に止めて、私が呼んだらここに戻ってきて」ユイがAIドライバーに声をかける。


 洋品店の前だ。


 ユイより先にサキは下りると辺りを確認した――いつもと変わらない、札幌の人並み。


 ユイに手を差し出す。


「まるで騎士みたい」ユイは微笑んだ。


「護るべきを護るという点では同じですよ」サキは冷静さを崩さずに言った。


 ユイは先に店内に入るとサキを手招きする。


「これなんて似合いそう、こっちのワンピースも」ユイはサキに服を押し当てると試着室に押し込んだ。


「私の服を選ぶんですか?」


「そうよ――依頼した時から楽しみにしてたの。貴女に似合う服は何かって」文句は言わせないといった様子だ。


「私の稼ぎではここの服はとても」断ろうとした言葉をユイは遮った。


「私が出すわよ――これも依頼の一環」結局ユイは二時間近く服を選んでは買っていった。


 昼食は一見断りの高級和食店だった。


 サキは生まれて初めて天然の魚なんて物を食べた――緊張で味が良く分からない程だった。


 護衛役は三カ月の間片時も離れないという契約だった。


 あちこち連れ回されたサキはようやくユイの家に向かうと聞いて安堵の溜め息を漏らした。


 ユイの自宅――高級住宅街にある邸宅が彼女の持ち家だった。


「一緒に入りましょうよ」ユイはサキを風呂に誘った――護衛の役を果たせないと困るとか女の子同士で恥ずかしがることは無いと言いくるめられて結局サキは入らざるを得なかった。


 サキの性的指向は女性だ――今迄恋人は姉のシキ一人だったが――風呂を共にしなければ疑われるかも知れなかった。


 この世界の都市国家では殆どが同性愛は法律違反だ――札幌も例外ではない。


 ユイはサイボーグだから入浴の必要は無い。


 ただサキの裸体を見る事が目的だったのだ――その事に気付いたのは風呂から上がった後の事だった。


 ユイの手料理の夕食を食べ、芸能活動の事やサキの学生時代の事等を話して、後は寝るだけという時になって戸惑った。


 ユイの寝室にはベッドが一つしかなかったのだ。


 床で寝るというサキをユイは必死に説得して一緒のベッドで眠らせようとした。


 ユイは契約を打ち切るという半ば脅しめいた言葉まで口にした。


 最悪襲われる事まで覚悟してサキはベッドに入ったがそんな事は無かった。


 翌朝、一緒の寝床で目覚めたサキは身体に異変が無いか思わず調べた――特におかしなところは無い。


 サキは仕事の内容を携帯端末で確認した――契約期間内でユイがアイドル活動を行う日は半々と言った所だった。


 コンサート等ではサキ以外にも専門の警護チームが狙撃や爆発物等に対処する事になっていた。


 警護を始めて二週間目、サキはコンサートが終わるまで控室でコンサートの様子を確認しながら待機していた。


 以前に観た生身の時のパフォーマンスに何ら見劣りする所は無い――少なくともサキの目にはそう映った。


 幕間になり、ユイが軽やかに戻ってくる――出迎えたサキにユイはキスした。


「ユイ。冗談は――」


「冗談なんかじゃないわ。サキ、愛してる」全身義体になって汗をかかない筈のユイが熱気を放っているように見えた。


「愛してる――私、本気よ」ユイはさらにサキを抱き締めてもう一度口付けする。


 舌が口を割って入ってきた。


 ドアが開く音に電気を流されたようにユイが離れた。


 マネージャーが曲順に変更が有った事を伝える。


「行ってくるね。サキ」打ち合わせを終えてユイが部屋を駆ける様に出ていく。


 サキは溜息をつくとモニタに目を移した。


 ブラスターが重い。


 ユイの想いを計りかねてサキはもう一度息をついた。


 携帯電話を取り出してシキに連絡しようと思いついた。


 シキはユイの大ファンだった――義体化してもだ。


 2コールで電話は繋がった。


「サキ?」


「今大丈夫?シキ姉さま」


「今日は休みだから。良いなぁ、サキはユイと毎日会えて」


「頼めば姉さまの分のチケットも手に入れられたかも――」


「う。欲しいけど、でも知らない人達に囲まれるのは怖い。動画撮って送ってよ」シキはフルタイムリモートワークで働いている――自宅から出る必要は基本的に無かった。


「頼んでみるわ」


「じゃあ、お仕事の邪魔しちゃ悪いわ」


「切るわ。姉さま、愛してる」サキは穏やかに言って電話を切った。


 サキは頬を叩いて気合を入れ直すと、仕事に戻った。


 *   *   *


 その晩、サキは初めて姉以外に身体を許した。


 毎日の入浴にユイが入ってくるのを止められなかった時点で結論は見えていた。


「冗談はやめて下さい。ユイ。同性愛は市法で――」


 全身義体化した相手に力で敵う訳もない。


「貴女だって薄々感づいていたんでしょう――初の仕事が違約金で終わって良いの?」


 サキは抵抗を諦めた。


 ユイは嬉々としてサキの身体を蹂躙した。


 快楽こそ覚えはしたが、シキとした時の様な充実感は無かった。


 絶頂に導かれても、他人事の様だった。


「サキ、私と来なさい――貴女には私の全てをあげる」情事が終わった後ユイは満足気な笑みを浮かべた。


「代りに私の全てが欲しいというのでしょう、ユイは」


「そうよ――私達なら貴女を幸せに出来る。この都市の支配者と同等以上の暮らしができるわ」


“私、――?”サキはその言葉に引っかかりを覚えた――声には出さない。


 ユイは言葉を切るとたっぷり一分以上沈黙していた。


 再び話し始める――。


「私達はこの都市の反体制派と手を組んでる――支援してくれる都市国家が有るの――貴女の腕なら高く買ってくれるわ」


「私には家族が――」


「選びなさい、私か、家族か――」ユイは優しい目で言った。


 サキは沈黙した。


「そう――残念だわ」


 言いざまにユイは腕を振った――仕込まれた刀をサキは際どい所で躱す。


 ユイはシキの髪を掴むとベッドの隅の柱に叩き付けた。


 背中に衝撃が走る――肺から一気に空気が押し出された。


 呼吸が出来ない――必死に寝る時も着けていたガンベルトを探る。


 頭がチカチカした。


 ユイが右手を振り上げながら襲い掛かってくる。


 直後に銃声が響いた――ユイの右手が吹き飛ぶ――サキは至近距離で発砲した――人工血液が大量に飛び散る。


 間髪入れずにサキはユイの左腕も吹き飛ばした。


 両腕を失ったユイは信じられない程愛情の籠った目でサキを見ていた。


 壮絶な美しさだった。


 サキは後ろに下がった――先程叩き付けられた柱に寄りかかる。


「どうして――こんな事を」


「私の妹は進行性の脳萎縮疾患にかかってる――それを止める薬は札幌では認可されてない。どんな姿になっても私は妹に生きてて欲しい」


「私を巻き込む必要は無い筈です。ユイ」


「公安が私達の動きに感づいた――逃げる為には腕利きの護衛が必要だった――それに貴女を愛してると言った筈よ」


「でも貴女は失敗した――大人しく捕まって下さい。悪い様には――」


「賞金稼ぎ風情に何が出来るっていうの」言葉の内容と裏腹にあくまでも穏やかな口調だった。


 サキは言葉に詰まった。


「貴女が私のものにならないなら」ユイの目に赤い光が宿った。


 直後、真っ赤なレーザービームがサキの腹を貫く。


 身を焼く激痛に悶えながらサキは応射した――実際は見えた筈が無いのに弾丸がユイの頭部に目がけて飛んでいくのが見えた気がした。


 ユイが微笑んだ――その顔をサキは一生忘れなかった。


 スローモーションを見るかの様だ――弾丸がユイの人工頭蓋を貫く、後頭部から爆散した――後ろの壁まで脳漿が飛び散る。


「さようなら、私を愛した唯一無二の“偶像アイドル”」サキは腹部を見た――痛みを感じない――致命傷かも知れない。


 ――それでもいいかも知れない―—シキ、ごめんなさい、動画送る約束―—守れなくなっちゃった――


 巡回警備ドローンが回転灯をつけながら窓際に集まってくる。


 レーザーで体組織を焼かれたせいだろう――出血は激しくなかった。


 ファーストエイドキットから包帯とガーゼを取り出そうとして、サキは止めた。


 腕が良く動かない――視界も暗くなってきた。


 背中に有る筈の柱も感じない、急に眠気を覚えた、傷口に手を当てるとサキは大きく息を吐いた。


 シキに電話しなくちゃ――それがサキの最後の意識だった。


“――シキ姉さま”


 ――黒い世界にサキは沈んだ――。

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