同席新幹線

そうざ

Seating Together on the Shinkansen

 首尾良く商談が纏まり、帰途の新幹線で一人、細やかな打ち上げとなった。

 先ずは、初夏の日暮れが流れて行く車窓を肴に缶ビールを一口。

 車両の一番前、三人掛け席の窓際が俺の定番だ。前列の椅子が傾いて来る煩わしさがないし、乗降も楽、三人掛けで一席だけ埋まっていると他の二席は選択されない場合も多く、何となく開放的だ。

 忽ち眠気が襲った。今日は早起きをして遠出した。おまけに経費削減でそそくさと日帰りだ。

 走行のリズムは母親の心音を彷彿させるらしい。この心地好さに逆らえる人間は居ないだろう。


 ――首筋のひんやりとした気配が俺を引き戻した。

 涎を気にしながら傾いた顔を戻すと、通路側から誰かが俺を覗き込んでいる。

 はっと息を呑んだ瞬間、顔のあるじはすっと通路の方へ身を引き、何やらぶつぶつ言いながらキャリーバッグを引き摺り、前方の車両へと消えて行った。

 長身の女だった。

 ――何なんだ……?――

 大方、席番号を確認していたのだろうが、余りにあからさまで恐怖すら覚えた。

 夕闇を見ながらビールを二口、三口。

 降車駅まではまだ時間がある。折角の睡魔が台なしだ――と思っている内にまた瞼が重くなった。


「ここ、私の席なんですけど」

 女の声が頭上から注がれた。

 一瞬ここが何処なのかが分からず、俺は車窓を確認した。黒い硝子に映り込む自分の背後に、髪の長い細面の女がぼんやりと浮かんでいる。

「ここ、私の席なんですけど」

 途端にまた冷気を感じた。冷房が利き過ぎているのか。

 女は季節外れの長いコートをぞろっと羽織り、焦点のない黒曜石のような瞳を俺に向け続ける。

 変わらず隣の二席には乗客が居ない。女は間違いなく俺に対して主張している。

「そんな事は……ないと思いますが」

 女はチケットを手にしていた。俺のチケットは網棚に載せた鞄の中だ。

「ちょっと見せて貰えますか?」

 女のチケットは乗車券と指定席とが一緒になったもので、場所は4号車の1番のAだった。

 思わず車内の表示を見る。確かにこの席だ。日付の記載も今日だし、列車名も合っている。

 定番の席という思い込みで俺の方が間違えた可能性もないではない。いよいよ自信がなくなり、俺は網棚に手を掛けた。

「直ぐに確認しますから」

 恐縮しきりで言うと、女は後部車両の方へふらふらと歩き出した。ドアの向こうへ消えるまで、やっぱりぶつくさと呟いていた。

 自分のチケットを見ると、席に間違いはなかった。

 ――どういう事だ……?――

 鉄道会社のミスで全く同じチケットをダブって発行してしまったのか。そんな事があるのだろうか。

「そうか」

 ビールを一口飲んで思わず声に出た。

 乗客区間だ。俺が降車した後にここはあの女の席になるに違いない。さっきは区間を確認し損ねたが、この方が可能性は高い。となれば、今はまだ俺の席だ。

「待てよ……」

 だったら、女は俺が下車した後に何処かの駅から乗車する筈だ。既にこの列車に乗っているのはおかしい。

「どチラにしマすカ?」

 手元が狂い、テーブルから缶ビールが落ちた。僅かに残っていた中身が床に散った。

 照明で逆光になった女が、俺に覆い被さるようにして言った。

「アた死があナタの膝に座ルか、アなたガワたしノ膝ニ座る禍」

 缶ビールが落ちた。

 ぶるっと飛び起きた。寝汗が乾いて着衣が冷たい。降車駅を告げるメロディーとアナウンスとが辛うじて現実感を担保してくれた。

 空っぽの缶を拾い上げようと屈んだ時、座席の下の紙片に気付いた。

 チケットだった。

 今日の日付だ。列車名も、車両番号も、座席位置も、乗車区間も、私のチケットと全く同じだ。

 いつ落としたのかな、と立ち上がると、網棚に鞄はなかった。傍らにキャリーバッグが置かれている。夜の色に沈んだ車窓には、髪の長い細面の私が映っているだけだった。

 そして声を掛けられた。

「ここ、俺の席なんですけど」

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同席新幹線 そうざ @so-za

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