レッテルキマイラ

システムロンパイア

第1話


深夜に響き渡った大声を聞いて、この場にいる大勢のうちの誰かが「近所迷惑じゃない?」という横やりをいれている。チャットボックス越しにそれを告げられた張本人はというと涼しい顔で「大丈夫」と頷いた。


四角で切り取られた配信画面に映る、小顔の上に乗った縦長のリボンが、いつにも増してふわりと揺れている。


「配信部屋は別に契約してるから。追い出されても別にいい」

「いや、よくはないでしょ! この部屋オレの名義なんだけど!?」


コントローラーを握ったことちゃんの隣にいる男が、おおげさにソファーの持ち手を叩いて怒りを表している。似合わないハイブランドのブレスレットをぶらさげながら繰り出されるその仕草は、カメムシみたいな髪色も相まって虫の羽ばたきに見えて気持ち悪いけど、淡々とコントローラーをことちゃんの大人しさが、より強調されるのはとてもよい。


それよりも活動開始からたった半年で、大手事務所の配信者とコラボにまでこぎつけたことちゃんには、ついつい拍手してしまう。男の人と遊んだことないって言ってたけど、物怖じしないその態度もかっこいいよ~。


「うるさい、邪魔。それよりもコーラちょうだ――ぇええええええええあああああああああ、死んじゃった……」

「人んちにきたコラボ相手の癖に、声と態度デカすぎだろお前……」


私が押し入れからもってきたクラッカーを鳴らしていると、悪態をつきながら男は画面外にフェードアウトしていった。それに触発されたのか、女のファンがぎゃーぎゃー騒ぎだす。こいつらから見れば、コラボ相手のワガママで好きな相手がどこかに行ったように見えるんだろう。


ついには「コトネいらなくない?」などというコメントを打ち込むやつが出てくる始末だ。目の前のノートパソコンに爪を立てながら「はぁ!? 殺すぞ!」という呪詛が口から這い出てくる。さっきまで手元にあったはずのドライヤーもいつの間にかどこかに行ってしまっていた。


コイツらはそもそも勘違いしている。ことちゃんはコラボしているんじゃない、コラボだけだ。


いつも色んなスポットに一人に訪れる様子を動画として残してることちゃんが、こんな臭そうな男の部屋にいるのも! わざとらしい寒いリアクションに付き合ってやってるのも、全部全部全部! ただの演出ファッションに決まってんだろ!


それを棚においてやれ「いらない」だの、「かわいくない」だの、ことちゃんが傷ついたらどうするのよ!


「粘膜でしか異性を見てないアバズレどものくせによぉ――」


仮に二人が仲良くしてたらしてたで「なんか距離近くないとか」文句言い出す癖に! ガチ恋してるとか、推してるとかいう大義名分さえあればなに言ってもいいと思い込んでる無法者が!


わたしはちがう。わたしはちゃんとことちゃんを推してる。第三者の立場から正しく支援してる。


「消えろ消えろ消えろ消えろ」


ツイッティーでお気持ち表明してるマサヤ推しや、そもそもことちゃんが男といる事に苦言を呈する半端なファンへの一人一人に「注意」の返信を飛ばしていく。その間にも、ことちゃんが好きだと話していた香水を、首に巻かれたスカーフに吹き付けるのも忘れない。


こうすると、ことちゃんと一緒にいる気がして落ち着く。問題は今日がとんでもない猛暑である事くらいだけど、今はエアコンも利いていて室内は天国だ。


――ことちゃんは私の人生を変えてくれた人だから。私もことちゃんの人生がより良くなるための手伝いをしたい。ただそれだけだから。いわば、あしながおじさんみたいなもの。こんなファンたちとは絶対に違う。


そんなわたしの陶酔は、天井から急に鳴り響いた重い音によってかき消えた。


「――うっせぇなぁ」


管理会社の人から・上の部屋に先週人が引っ越してきたって連絡が来ていた事を思い出す。それからたまにゴトゴト鳴って気になる時があった。仕事や外出で外している日中は平気だけれど、ここまで頻繁に物音を立てられると少し不快に思ってしまう。


なんとなく気分を害された気がして、私はパーカーを羽織ってスニーカーを履いて廊下に出た。さすがに外は熱いと感じたけど、スカーフを外す気にはやはりならない。


スマホで配信を眺めながら、エレベーターで上まであがって、自分の部屋番号を頭に思い描く。それから745という数字が刻まれたプレートの部屋の扉の前に立った。


「すいませーん、音うるさいんですけど」


インターホンを鳴らして、何度か呼びかける。待てども待てども人が出てくるどころか、返事すら帰ってこない。


「あの――」


何度か目のインターホンを鳴らそうとした時だった。あまりにあっけなく回ったドアノブに、思わず体が前のめりに傾く。


そのままわたしは玄関の中に転がった。それからショートパンツのほこりをはらきながら立ち上がって、暗がりの中で目を凝らした。間取りも同じだったこともあって、照明をつけるのはさほど難しい事じゃなかった。


「あのー、誰かいますかー?」


この部屋に住んでいる人は、よほど大ざっぱな性格なのだろう、それは玄関に無造作に転がる靴からも読み取れる。でもそれなら、誰かが私を迎えてくれないのは少し怪訝に思う。寝てるにしては今も物音は奥で鳴り響いてるし。パネル型の電気メーターは今も休まずに稼働している。


――何かが異様だった。


私は気づけば、何かに急き立てられるように靴を脱いで、廊下の奥を目指していた。


そしてリビングの扉を開けば、少なくともフローリングの床と白い壁紙が私を迎えてくれる。そう思っていた。


でも実際にそこにあったのは、首を吊ったカメムシ色の髪の男<マサヤ>で。それが濁った眼で私を見下ろしている。それを見て自然と口から出たのは悲鳴ではなく「は?」というたった一言だ。


だってそうじゃん。こんな事有り得ない。外出から戻ってきたマサヤは今も、私の手の中でライブ配信をしてるし。大笑いで私のことちゃんのプレイングを面白がっている。


だから、こんなことはありえない。


そんな思いとは裏腹にゆっくりと下に降りる視線が、捉えてしまったブレスレットは間違えようのないもので、この肉塊がマサヤだったモノだというコトをいやでも認識させた。


幸せを運んでくれていたことちゃんの香りが、いつしかマサヤの死臭に塗りつぶされていた事に気づいた私は、「なんなんだよぉ!」という咆哮とともに頭を掻きむしっていた。

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