記憶喪失と表裏

森本 晃次

第1話 素朴な舞台女優

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。若干実際の組織とは違った形態をとっているものもありますが、フィクションということで、見てください。


 K市の中心部にほど近い場所に、少々大きな公園があった、

 以前は球技ができるように、鉄柵でできた檻のようなところがあったので、散歩コースとして利用するか、オフィス街が近くにあることで、いくつかあるベンチを利用して、昼休みのお弁当タイムに利用している人が多かった。

 最近は、球技用の鉄柵を取り除き、公園の中心部に噴水を作ったりして、いかにも、

「街中のオアシス」

 を形成していた。

 球技も子供が遊んでいる分には問題なかったのだが、中学生以上が使い始めたり、さらには、野球以外にもサッカーやテニスまでも始める人がいたりして、やっている連中よりも見ている人たちの方が怖くなったのか、市民からの抗議がだいぶ寄せられたことで、鉄柵の撤去に至ったのだ。

「あんな危ない状況を野放しにするくらいなら、あの場所を憩いの場に改造した方がいいのではないでしょうか?」

 などという意見が多く寄せられ、市の方で協議の結果、公園を区画された綺麗な公園に生まれ変わらせる計画が出来上がったのは、十年くらいまえだっただろうか。

 計画が立ってから、鉄柵の撤去まではそれほど時間が掛からなかった。しかし、そこから先がまったく進まない、これから工事が始まると思わせるかのように、立入禁止の繋が張られ、中に入ることもできないし、ベールが掛かっているので、中がどうなっているのかも分からなかったが、重機が運ばれたわけでもなく、工事をしている音もしてこないことから、

「一体、市は何をやっているんだ」

 と、ウワサをしている人もいたが、公園の改装工事などに大いなる興味を示す人など、そんなにいるわけもなかった。

 昼間のお弁当タイムを楽しむOLや、寂しそうに一人で弁当を食べているサラリーマンの数が心なしか減ってきているようだった。

「今までは、いくら鉄柵があったとしても、公園全体を見渡せたのだが、今は中央部にはベールが掛かっていて、公園全体が狭苦しく感じられるようになったので、せっかくのお弁当もねぇ」

 と言って、離れていく人が増えていた。

 ただ、思ったよりも人が減らないのは、元々公園でのお弁当タイムを楽しみにしていたけど、昔からの人が自分の指定席を取ってしまって、後から入り込む余地がなくなってしまっていたからだった。だが、今は人がどんどん減ってきている。久しぶりに見てみると、

「公園に空いているベンチがあるわよ。明日あそこが空いていたら、あそこでお弁当食べない?」

 と、公園を一望できる会社のOLがそんな話をしているのが聞こえてくるようだ。

 果たして翌日になると、思った通り、そこは空いていた。さっそく行ってみると、お弁当を食べるには新鮮な場所だったのだ、

 今までの人は、圧迫感を感じたので離れたのだが、何しろ初めてきた人には圧迫感という意識がない。むしろ、

「公園でのお弁当ランチ」

 という状況を一度やってみたかったと思っている人たちなのだから、当然、お弁当を楽しむことができるだけで満足だったに違いない。

 彼女たちも、この公園の真ん中に掛かっているベールの中で、そのうちに工事が始まって、公園が整備されることは知っていて当然だった。だから、楽しみにしていたのだが、いつまで経っても始まる形跡はない。

 少々うるさくても、いずれ綺麗になるというのが分かっているだけに、却ってこの場所を他人に譲る気にはなれなかった。

「最初に綺麗になった公園を見るのは私たちなんだからね」

 と、皆がそう思っていたからだった。

 他のベンチでもいつの間にか、そこにいた人が入れ替わっているということは、普通にあったのだ。

 いつも二人でお弁当ランチをしていたうちの一人は、昼間は派遣社員であるが、OLをしながら、アマチュアの劇団に入っていて、舞台女優を目指していた。名前を森崎菜々美といい、高校を卒業後、K市近くの短大に進学し、一人暮らしをしながら、学校に通っていた。

 短大での専攻は、教師を目指していたので中学か高校で、国文学の先生ができればいいと考えていた。卒業するまでに何とか境域過程を修了し、教員試験のも合格することができたのだが、なかなか教員採用とはいかなかった。これも一種のご時世だったのかも知れない。

 そこで、普通の会社に正社員として就職することは、なかなか難しく、派遣会社に登録して、今の事務所に派遣してもらって、仕事をしているというわけだ。

 まさか自分が舞台とはいえ、女優を目指そうなどと考えるなど、想像もしていなかった。というのも、小学生の頃、一番くらいだったのが学芸会で、

「やりたくもないことを生徒に押し付けて、家族に来てもらって発表会のようなことをするなんて」

 という学校側の勝手な都合に付き合わされているとしか思っていなかった。

 学芸会以外にも運動会、音楽会と、半強制的にやらされるということに小学生ではありながら、疑問しか持っていなかったのだ。

 そもそも、小学生だから、素直に従うと思われていることが癪に障った。だから、教員になりたいと思っていたのに、小学校だけは最初に考え方外したのだ。

 中学、高校生というと、思春期であったり、グレる可能性の高い時期であるので、校内暴力などが蔓延っている学校を怖いと思い始めた。

 やはり、教育実習で実際に中学校、高校に行くと、自分でも思っていたよりも、かなりひどい状況に見えた。中から見ているのと、外から客観的に見るのとではこれほど違うものかと思うと、恐怖がこみあげてくる。

「やっぱり私には教師なんてできないわ」

 と思ったのだ。

 その時に一緒に感じたのは、

「教師なんて、生徒に教えるという脇役的なことしかできないのに、生徒から恨みを買ったりとか、理不尽すぎる」

 と思ったのだ。

 その時さらに感じたのが、

「だったら、自分が主役になるようなことができればいいんだ」

 という考えだった。

 それが、いきなり舞台俳優というわけではなかったが、ちょうど派遣会社からの帰り道、駅に向かうところで、舞台演劇の劇団が練習しているところに出くわした。

 場所としては、夜のビジネス街から一つ入り込んだところで、少々大声を出しても、あまり文句の出るところではなかった。

「稽古をする場所がないのかな?」

 と思って、訊いてみると、

「いえいえ、そうじゃないんですよ。練習用のスタジオは借りれているんですが、時々こうやって屋外で練習することで、スタジオと違った印象を感じるんですよ。そこで、それぞれが自分の役についていろいろ感じるものが出てくると思うんです。そう思うとセリフを覚えるのにも、役に入り込むにもいい環境が出来上がるというわけなんです」

 と教えてくれた。

「なるほど、いろいろと考えられているんですね」

 というと、

「それはそうですよ。皆まだ発展途上なんだけど、いずれは舞台の上で輝きたいと思っているわけですからね。小学校の学芸会とはわけが違うんですよ」

 と言った。

 もし、菜々美がこの劇団に入ることを一番最初に考えたのがいつかと言えば、この時だったと答えるだろう。

 そして、決め手となった言葉があったとすれば、それは、

「聞いた相手が、小学校の学芸会という言葉を引き合いに出したからだった」

 というに違いない。

 それを聞いて、菜々美はハッとしてしまった。

「学芸会という言葉が私のトラウマになっていたんですよ」

 と小学生に感じたことを口にすると、

「それは皆同じなんですよ。だから、ここにいる皆は、学芸会ではないと自分に言い聞かせて、一生懸命に稽古しているんです」

 というのだった。

「私は、学芸会で一番何が嫌だったのかというと、予行演習が嫌だったんですよ。いかにもやらされているという感覚が特に嫌で、だから劇団というものには抵抗があったんですが、大丈夫でしょうか?」

 というと、

「なるほど、それがトラウマの正体なんでしょうね。でも、ここにいる人も皆そうでした。最初はリハーサルが嫌だった人がほとんどですなんですよ」

「じゃあ、皆さんどうやって克服されたんですかね?」

 と訊いてみると、

「それは皆さん人それぞれでしょうが、でも、先輩に素直に話してみると、先輩が自分の克服法を教えてくれたりして、そこから信仰が深まっていくんですよ。先輩後輩というのは、そういうところから関係ができていくんじゃないですか? ただ先に生まれたからとか、先に入ったから先輩というだけのものではないと思うんです。だってもしそうだったら、あんなに先輩を尊敬しているって、皆言えないはずでしょう? 先輩には先輩として敬われるだけの何かがあるんですよ。そうじゃないと、尊敬する人はと訊かれて、簡単に答えられないでしょう? インタビューする人によっては、理由を聞いてくる人もいる。そんな中でキチンと答えようとすると、日頃から尊敬していないと出てこない言葉もあるでしょうからね」

 というではないか。

 その言葉には説得力があり、

「自分も何とかなるんじゃないか?」

 と漠然と考えたものだった。

「じゃあ、体験入団という形もできますけど、いかがですか?」

 と言われて、

「じゃあ、お願いしようかな?」

 と、言って仕事のスケジュールを調整してみると、意外と劇団の方に使える時間があって、

「これも、運命なのかな?」

 と感じた。

 劇団の名前は、

「プロキオン」

 という名前で、よく聞いてみると、人気劇団に「シリウス」というのがあって、それにあやかったということである。

「シリウスとプロキオン」

 星座では両輪と言ってもいいだろう。ちょっと面白そうな気がした。

 劇団の仲間は、結構賑やかなようだった。練習の合間には、皆気さくに話をしていて、素人の菜々美の方が、

「そんなにオープンにしていて、実際の芝居に入った時、ちゃんと役に嵌り込めるんですか?」

 と聞いてみると、

「ああ、それは大丈夫。逆に一度リセットして自分に戻った方が、自分の役に対していかに対応できているかということが客観的に見れるんだと。つまり、自分でありながら、客観的に見ることができる。これも、演劇の醍醐味のようなものだよね・これが僕のリセットの秘訣のようなものなんだけど、あくまでも、個人的な意見なので、参考程度に聞いてもらえばいいと思います」

 と言っていたのは、休憩時間では、リーダー的な存在で、いつも中心にいるタイプの男性であった。

「なるほど、そうなんですね? ここのリーダーさんですか?」

 と聞くと、

「いやいや、そうじゃないよ。僕はどちらかというと、ムードメーカーのような感じだね。でも、僕のことをリーダーのようだと思ってくれたのは僕にとっては嬉しいんだ。実はリーダーでもないくせに、リーダーっぽく見られるようにわざと演技しているんだよ。だから、リーダーに見られるのは、僕にとっいぇは、願ったり叶ったりというところだね」

 と言っていた。

「なるほど、そういうことなんですね。じゃあ皆さんは、それぞれにこの劇団の中で役割のようなものを持っていらっしゃるという感じでしょうか?」

 と聞くと、

「そうだね、そういう意味ではそうかも知れない」

 と少し意味深ないい方をした。

 そもそも、ここはそういう団体としての意識よりも、個人の意識の方が強いと思うんだ。皆がそう感じているんじゃないかな?」

 と言っていた。

「確かに、集団で一つのことをするにも、個人個人の能力や実力に差があると、なかなかうまくいきませんよね」

 というと、

「そういうことですね。だから、まず私たちは、時間が掛かるかも知れないけど、個人の実力の底上げを中心に行っています。他の劇団のように、人がたくさんいるところは、ふるいに掛けたりできるんでしょうけど、ここは人数的にもギリギリなので、何をするにしても、まずは、そこからだと思っています」

「でも、その分、皆さん漏れなく舞台を踏めるわけだし、その分、落ちこぼれるわけにもいかない。難しいところなんですね?」

「ええ、そうなんです。だから、こうやって皆が、底上げの対象になる人は、どうやったらみんなに追いつけるか、そして、目標にされる人は、そうすれば、自分の演技をその人に伝えられるかを模索しているんですよ。言葉でいうのは簡単ですが、これがなかなか難しい。理屈では分かっても、身体がついてこなかったり、気持ちが身体に追いついてこないと、精神面で相手に後れをとってしまう、この場合は、見えている距離よりも、結構遠かったりするので、難しいですよね。要するに、足元も前も、後ろも、そして、自分の位置と、追いかける人の位置とをすべて頭に入れておかずに、一つでも見失ったりすると、まず、最初に自分のいる場所が分からなくなって、それが恐怖を煽る。恐怖を煽られると、何が怖いと言って、足場が気になるんですよね。その時足場に何もなければ、奈落の底に落ちるしかない。その時自分がどうなっているか、どうしてもそれを考えてしまうので、怖くて一歩が踏み出せない。人を追いかけている人にはこれだけの考えがあるのだと私は思っています」

 と、いうのを聞いて、

「でも、追いかける方が追いかけられるよりも、気が楽だと聞きますけどね」

 というと、

「それは実力が拮抗している人たちが、リーグ戦などの試合をこなしている場合のことですよね。すでに完成されているような人たちが戦っているのだから、ここの状況とはまったく違います。ただ、ここではまだ表に出ずにここだけの葛藤で済んでいるので、そこだけがマシだと言ってもいいかも知れないですね」

 と、説明してくれた。

 そんな話を訊きながら、各々の稽古を見ていると、最初に比べて、空気が重たくなってくるのを感じた。

「この気持ちはどこから来るのだろう?」

 と声に出さずに考えていると、まるでその気持ちを推し量ったように、

「この緊張感が実は大切なんですよ。皆緊張感をあまりいい意味で使ってはいないようですが、それはあくまでも、意味のないプレッシャーを持たせるからであって、緊張感とプレッシャーは別にセットというわけではないんです。プレッシャーを感じなければいけない場面も確かにありますが、稽古の段階では、必要ではないものだと思っています」

 と、ムードメーカーの彼はいう。

「なるほど、そういうことなんですね」

「ところで、菜々美さんはお芝居の経験はあるんですか?」

 と聞かれ、

「いいえ、ありません。さっきも言ったように、小学生の頃の学芸会のトラウマから、演劇というのはまったく意識もしていないし、意識せざるおえなくなると、そこには嫌悪しかない状態でした」

 と答えた。

 それを聞いて、ムードメーカーの彼は、何となくだが含み笑いをしているように見えたのだが、

「確かに菜々美さんの中に、こだわりのようなものを感じますね。でもそんなこだわりを持ちながら、どうして舞台をしてみたいと思ったんですか?」

 と聞かれ、

「確かめたくなったという気持ちが強いような気がするんですよ」

「確かめたいというと?」

「部隊の演劇のようなものは、実際には見に行ったこともないんです。演劇に近いといえば、テレビでやっている新喜劇くらいでしょうか? でも、その新喜劇を見ていて最近感じるのは、よく間違えずにセリフが言えるなということなんです。部隊の上で、生でやっているわけなので、失敗は許されませんよね? ドラマの撮影などでは、何度でもやり直せるわけじゃないですか。監督がOKするまでね。それを思うと、演劇ってぶっつけ本番で本当に難しいと思うんです。もちろん、リハーサルや稽古はするんでしょうが、観客の前では一回だけのチャンスですからね。そこで失敗すると、と思うと怖くて仕方がないように思うんです」

 と菜々美は言った。

「確かにそうです。だから、稽古の時に、プレッシャーを感じないようにする稽古もしているんです。緊張とプレッシャーが違うというのはそういうことなんです。緊張は、自分が表に発散させるもの。プレッシャーはまわりから与えられた、自分の意志に反して感じるもの。この違いは大きいと言えないでしょうか?」

 と彼は言った。

「ということは、緊張を稽古の間にいっぱいしておくことで、緊張になれてくるということでしょうか?」

「ええ、緊張に慣れてくると、プレッシャーも少しずつ感じなくなってくる、自分を苦しめるものが少しずつ緩和されていくと、何が難しいのかが分かってくると思うんですよ。難しいという言葉はいうのは簡単です。でも、それを具体的に説明するとなると、そう簡単にはいきません。だから、緊張とプレッシャーの関係というのも似たようなものではないかと思うんです」

 と言っているのを聞くと、

「私にもできるでしょうか?」

 と聞くと、

「それは正直、今は菜々美さんのことが何も分かっていない状況では何とも言えませんね。でも菜々美さんのように自分から興味を持って私たちの前にきてくれたというのは、十分にあなたにはできるのではないかという可能性を感じさせるものです。まずは、精神的なものでは合格ではないかとしか言えないのではないかと思いますよ」

 というのだ。

「それは嬉しく思います。私は今までずっと何かをやろうと考えても、すぐにやめてしまうところがあり、飽きっぽい性格なのではないかと思っていました。こんな自分だから、人と関わろうと思うのは罪のように思っていたんですが、果たしてこの考えが間違っているのではないかとも思うようになったんです」

「人と関わる関わらないは、その人の性格にもよりますからね。人と一緒にいて、自分の殻に閉じこもる感覚になった人には、人と関わることは難しいかも知れないとも思います。でも、絶対に無理だとは言えないと思うんです。何がよくて、何が悪いのか、そのあたりを見分けるのは自分ですが、その自分がまわりの人をどのように感じることができるかというのがポイントなんでしょうね」

 という。

「言葉では分かっているつもりなんですが、どう噛み砕くかということが問題ですものね。でも、引き込んでいるだけでは何も解決しないとも思っているんです。せめて、分かってくれる人を見つけて、その人といっぱいお話ができるようになれればいいと思っていたのですが、ここの人たちとは、そういう会話ができるんじゃないかとも思っているんですよ」

 というと、

「はい、それは僕もそう感じています。ですが、だからと言って、安心しきって相手にすべてをゆだねてしまうと、甘えのようなものも出てしまいかねないですからね。そのあたりは注意をした方がいいかも知れないですね」

 と言われた。

 これが今からちょうど半年くらい前だっただろうか。週に二、三回の稽古にはなるばく参加するようになった。

 最初は演劇というよりも、最初の時のように、実際に稽古をしてもらうというよりも、人の稽古を見て、その感想を話しあうというものだった。

 いつも、誰か一人、いつも違う人なのだが、きっとローテーションのようなものが決まっているのかも知れないが、その人と他の人の稽古を見ながら、思ったことを語り合っている。

 稽古も今のところ、団体練習をしているわけでもなく、個人の技量を高めているというところのようだ。

 それでも、舞台の演目と配役はきまっていて、それぞれに台本を読んだり、その役になり切って演技をしてみたり、場面場面で一緒になる人を捕まえて、場面を限定した稽古を行っていたりした。

 それを見ながら菜々美はその時々のメンバーといろいろ話をしている。

 稽古のやり方に対して、苦言を呈したこともあったが、叱られるどころか、

「半分外からの目で見てくれる人ってなかなかいないので、ありがたい:

 と言われた、

 確かにそうかも知れない。

 外から見ている人は完全に外から見ているので、その意見は訊けないわけではない。では、中に入ってしまうと、それぞれ皆当事者である。こうなりと、意見というよりも、さらに一歩進んだ押し付けに近い、自分の感情も関わってくるものであるので、客観的な意見はまず出てこないだろう。

 しかし、まだ体験入団という立場であれば、

「歯にモノを着せぬ言い方」

 ということで、遠慮のないそれでいて客観的な意見が訊けるのではないかと思うと、それはそれでいい意味での刺激になっていいと思っていた。

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