二重人格による動機
森本 晃次
第1話 温泉宿の二組の客
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。
ここ数年は、伝染病病関係で、温泉宿の方の予約はサッパリで、有名温泉でも、昔からの老舗と言われていた宿が廃業に追い込まれるなどというのは珍しい話ではなかった、これは温泉宿に限ったことではなく、観光、旅行、飲食業などは、散々なものだった。
この話は、そんな伝染病が流行り始める前の、まだ温泉宿も充実していた時期、長かった不況も徐々に収まってきて、やっと温泉宿も活気が溢れていた頃のことだった。誰がたった一年やそこらで、やっと長年かかって盛り返してきた景気の腰を折り、さらに成果通を一変させることで、産業経済が完全にマヒしてしまうことになるんだど、誰が想像したことだろう。
だが、この頃は予約も数か月先までいっぱいというほどの盛況ぶりで、有名温泉地の老舗旅館は、会社の慰安旅行であったり、某宴会や新年会の時期などは泊まり込みで宴会をする会社もあり、繁忙期でなくとも家族旅行なども結構あって、
「やっとこれで、この宿も持ち直してきた」
ということで、一安心だった。
それまでは、場買い不況の影響からか、温泉に社員旅行というのもめっきりと減っていて、慰安旅行すらない会社も結構増えてきたこともあり、老舗の宿は結構屋異変だった。
学校の修学旅行も海外が多くなったせいもあってか、それこそ、老人会であったり、湯治客くらいしか来ないのではないかというほど、閑散とした時期が一年のほとんどを占めていたのだ。
これは、社会的な不況であり、家庭でも贅沢をしないようになり、会社も余計なことをしなくなると、観光、旅行関係はどうしようもなかった、それでも、何とかネットで宣伝してみたり、ツアー会社との協賛で何とか宿泊客を徐々に増やしてきたのだった。
老舗旅館ではあるが、近代的な宿にすることもなく、昔からの佇まいで勝負している宿は、ひとたまりもないかと思われたが、意外ともっていた。
老舗のあまり大きくない宿というのは、地元の農協であったり、経済連合などとのつながりがあることで、彼らが宴会に使ってくれることで、何とかやっていけていた。
そもそも小さな宿なので、それほど客が少なくても、一流旅館と呼ばれている店ほど直接的な影響は少ない。大きな宿は大口の予約がなければ結構大変だが、ここまで規模が小さい宿は地元との昔からのかかわりがあることで、十分に生き残っていけるのだった。
だが、今の不況になる前の好景気の時、あるいは、バブルの時期などでは、大きな宿が金にモノを言わせて多角経営を試みたが、歴史が証明するように、そのすべてが破綻をきたした。
そこで、これもどの企業も同じだが、生き残るためには、規模の小さな宿は廃業するか、大きなところに吸収合併されて生き残るかのほとんど二択しかなかった。
ここにもかつてはたくさんの小さな温泉宿が存在したが、廃業に追い込まれた宿、吸収合併を甘んじて受け入れたかの比率は、ほぼ同じくらいだっただろう。
それでも、一流とまではいかないが、老舗の宿は、何度か地元産業との協力で生き残ってきた。それが今も残るいくつかの宿で、全国的にはさほど有名ではないが、地元地域では有名な温泉なので、県内からの客はそこそこであった。
かつては、十以上もの宿があったが、今は五軒しかなくなった、
一流と言われる温泉宿が一つに、後は老舗旅館ばかりで、景気がいい時は有名旅館が大盛況なのだが、景気が悪くなると、一転して、中規模の宿の方が客が多かったりする。
だが、景気がいいに越したことはなく、中規模旅館もm一流旅館の予約がいっぱいであることで、そのおこぼれに預かれるだけ、ありがたかった。
もっとも、おこぼれがなくとも、地元の企業が忘年会などに利用してくれうrので、厳しいということはなかった。
とにかく景気さえよくなれば、少々うまく絡んでいなくても、問題なく進むというものである。
この事件がはっかくしたのは、繁忙期のように人の多い時期ではなかった。一番温泉宿としては閑散としているかも知れないと思える、ゴールデンウイークが開けてから、梅雨に入る少し前の時期だった。
田舎というのは、季節も都会に比べれば敏感に感じられる時期であり、
「そろそろジメジメしてきそうな時期だな」
と思わせていたのだ。
F県の奥まったところに、地元としては有名なH温泉というのがあった。温泉街の中心を少し大きな川が流れていて、下流にいけば、全国でも名前の知れた大都市に流れ込む、五級河川であった。この川の存在があったからこそ、その街は発展し、人口が五十万人近くもいる大都市に発展した。
そんな都市の発展言である川の上流に位置するのがこの温泉街で、川の上流と言っても、まわりを山に囲まれた閉鎖的な温泉街ではなく、平野が人がる中に存在している温泉街だった。近くを高速道路も走っていて、交通の便のいいことから、観光客は不況の時でも、そこまで減らなかったのは、ありがたいことだった。
それでも、前述のように、合併も余儀なくされ、昭和の頃とはかなり様変わりした様子に、久しぶりに訪れた人はビックリしているかも知れない。
この梅雨の前の時期というのは、この温泉街に限らず、観光地などでも、客があまりおらず、
「落ち着いている」
と言ってもいいかも知れない。
逆に客の中にはこの時期を狙ってわざと旅行する人もいる。
「客の多い時期にいけば、忙しさにかまけて、まともに相手にしてもらえないかも知れない」
という懸念を持っている客たちで、逆に客の少ない時期に数人で集まって旅行に来ると、予約の時点から感謝されているような気がして嬉しくなってくる。
しかも、大きな旅館に泊まるわけではなく、老舗でも比較的小さな旅館であれば、余計にありがたがられるというものだ。
「人気の料理屋にランチタイムに言っても、中に入れず待たされた挙句、急いで食べることを余儀なくされて、せっかくのランチタイムを楽しむことができない」
という感覚に近いのではないだろうか。
確かに、ランチタイムは安くてそれを目的に行く。サラリーマンなどは、昼休みの限られた時間なので、並んでいる人の数を見て、昼休みの終了時間から逆算しなければ、食事をまともに取ることもできない。
繁忙期に人気のある旅館に泊まるということはそういうことなのだろう。サービスをまともに受けることはできないという覚悟をしなければいけないだろう。
「今回のご予約は、主婦友さんたちのお客様で、五人のご予約になります」
と、宿泊初日に当たる日の、宿での朝礼時の報告であった。
「ご宿泊は、三泊四日のご予約ということです」
と、女将がいうと、
「三泊もされるんですね?」
と、女中の一人がいうと、
「ええ、このあたりをいろいろ散策したりするのも目的だそうです」
ということであった。
なるほど、散策するにはいろいろ見るところがあるのも事実だが、ほとんどが一泊のお客様で、稀に二泊がいるくらいだ。それが三泊というのは、何か目的がなければ普通では考えられないことだった。
普段であれば、この時期の予約は入ったり入らなかったり。入ったとしても、多くて三組くらいが短髪で宿泊するくらいではないか。それを思えば、一組でも五人の団体客であれば、宿としてはありがたい。
「皆さんで、最高のおもてなしをすることにしましょう」
と女将さんが朝礼で言っても、そこにウソはないと誰もが感じていた。
繁忙期の時などは、
「最高のおもてなし」
などと言っても、まるで絵に描いた餅で、
「できもしないことを、よくも言えたものだ」
としか感じないに違いない。
その日は、掃除もいつにもまして入念で、さらに、料理の方も、じっくりと選ぶ時間もあれば、五人分という適当な人数であることから、食材の選択も余裕があった。
宿の方としては、十分すぎるくらいのもてなしを感じ、その日の客が来るのを待っていた。
この宿のチェックインは午後三時からなので、三時までにはある程度用意をして、待っていた。
だが、最初に来た客は、
「すみません。予約をしてはいないんですが、泊れますか?」
という一人の男性客だった。荷物は結構多くて、よく見るとカメラ機材が多いのが目立っていた。
「ええ、構いませんよ」
と、普段であれば、断っていたのだが、時期が時期でもあるし、今回は別に五人のお客様がいるということで、特別に許可したのだった。
「本当は、ご予約のお客さんだけなんですが、今日は他にもお客様がいらっしゃいますので大丈夫です」
と、普段はダメだということを釘刺すことも忘れなかった。
その客は不気味なくらい静かな客で、メインである五人組の主婦団体が来ると、その存在を忘れてしまうのではないかと思うほど、静かだった。
手が掛からないのはありがたかったが、いくらお一人の飛び込み客だとはいえ、サービスを怠るようなことはできない。
しかも、普段はダメなものを特別に泊めたのだから、余計に疎かにはできないだろう。団体の客の方は、番頭さんを中心に、他の仲居さんが皆でフォローすることにして、この一人の単独の客のフォローは、女将さんがすることにした、
食事を運んでいった時に、少しでも会話をと思ったが、なかなか会話が弾むわけでもなかった。
「お客さんは、どちらから?」
というと、
「東京からです」
と答えたことと、
「お仕事ですか?」
と聞くと、
「仕事ではないんですが、プライベイトというわけでもないですかね」
という曖昧な答えで、そして最後になった質問として、
「滞在予定はいつくらいまでになりますか?」
と聞くと、
「今のところ分かりません」
という曖昧な答えが返ってきた。
確かにこの時期客は少ないが、少ないだけに、一人の飛び込みの客というのは、何か訳アリではないかと思えるので、それが心配だった。それだけい、女将通してはこの質問が一番聞いておきたかったことだったが、それを曖昧に返されてしまっては、それ以上の会話が続くわけもなかった。
沈黙の中で、粛々と食事の時間が過ぎていく。三十分ほどの時間だったにも関わらず、女将には一時間くらいに感じた。
相手の男はどうだったのだろう? 本当に食べることに集中していたのか、それとも、女将のように、身体が地面にへばりつくほどの重力を感じながらの時間だったのか、女将には想像もできなかった。
鄙びた温泉町の鄙びた旅館であれば、訳アリの一人旅という人も少なくはない。しかも女性の一人というのもいるだろう。
だが、基本的に温泉宿に限らず、女性一人での宿泊はお断りすることが多いだろう。
その理由としては、
「自殺の可能性があるから」
というものであった。
もちろん、温泉宿でも、ツアーであったり、最初から予約を取ってであれば、そこまでお断りをすることはないのだが、予約なしで、わざわざ鄙びた場所に一人でいくというのは、いかにも……、ということであろう。
最近は、一人旅、特に女性の一人旅も増えているので、このような昭和な発想は古いのだろうが、実際に部屋で自殺でもされると、
「自殺者の出た旅館」
ということで、どんなウワサが立つか分かったものではない。
何しろ今はネットの時代、匿名でいくらでも誹謗中傷できる時代である。経営者だったら気にするのも無理もないことであろう。
この男性もまさか自殺まではしないだろうが、どこか自分のことを言いたくないという雰囲気が醸し出されていて、余計なことを訊くわけにもいかないし、この男性を泊めてしまったことに後悔し始めた女将であった。
それでも最後に、
「女将さん、ありがとう。おいしかったです」
と言ってくれたのは嬉しかった。
それまでが地獄の静寂の中だっただけに、その思いはひとしおだった。
女将が怪しい男性の相手をしている間、番頭さんたちが主婦五人の団体の相手をした。宿泊する部屋は、三人と二人の二部屋であったが、食事は三人が泊る少し広めの部屋に用意された。
主婦たちが到着したのは、男がチェックインしてから一時間後くらいだった。時間としては午後五時前で、ちょうどいい時間でもあった。到着してから少しゆっくりして、一度温泉に浸かる。そして、夕飯が午後七時にしておけば、ちょうどいい時間となった。
運ばれてきた料理は、怪しい男と同じものであったが、一膳ポツンと置かれているのを、五膳、適度な距離で置かれているのを見るのでは、その豪華さが違って見える。主婦の中には、インスタをやっている人もいるのだろう。写メを撮っている人も数人いたのだ。
旅館の夕食をインスタにアップするというのは、ある意味最近では、
「お約束」
になっているので、お給仕する方も別に気にすることでもなかった。
写メを撮りながら、
「素敵」
などと言われると、何度聞いても嬉しいもので、お給仕のし甲斐もあるというものである。
食事をしながら、まるで食レポでもしているのか、食べた感想を口々に言っていた。
「これは、何でできているんですか?」
と聞いてくる人もいた。
ここの料理は、板長がこだわりの創作料理に凝っているので、ぱっと見、何でできているのか分からないこともあった。食べてみて、
「ああ、これはレンコンでできているんだ」
と感心する人もいるのだが、中には口に入れてみても、元々が何から作られているのかが分からない場合もある。
それだけ、見た目だけではなく、味付けにも創作という思いが込められているのだろう。
「ところで皆さんは、どのようなお友達なんですか?」
と言われて、一番奥にいる女性が代表して答えた。
「私たちは、カルチャ竦ルールで知り合ったんです」
という。
「それは料理に関係のあるスクールなんですか?」
と聞いてくるので、今度は別の奥さんが口を開いた。
「いいえ、私たちは、文芸サークルの仲間なんです。カルチャースクールといっても、そんなプロを養成するようなところではなく、市の活動お一貫でのカルチャースクールなので、それほどたいそうなものではないんです。一年に一度、フリーマーケットを行うんですが、そこで販売するための同人誌を発行するのが、基本的には一番の目的になっているんですよ」
と言った。
「じゃあ、先生のような人がいるわけではなく、自分たちでやっているという感じですか?」
「ええ、そうですね、上達が目的でもありますが、それは、作った作品と、サークルの中で回し読みすることで、批評は受けられる。やはり、自分たちの作品が同人誌とはいえ本になって、それが販売されるというところに大いなる醍醐味が感じられるんです」
ということであった。
番頭さんは、その気持ちは分かる気がした。何もないところから自分の発想で何かを生み出すというのが、芸術であるならば、それを少しでもたくさんの人に見てもらいたいと思うのは、一つの感性物が出来上がれば、当然次に考えることである。
そういう意味では、
「本が売れた売れない」
というのは、本来の目的ではない。より多くの人に見てもらえたかというのが目的なので、同人誌の編纂も一部は市の予算から出るのだが、とてもそれだけで賄えるはずはない。だから、その分はサークルメンバーの手出しになるのだが、それでも、一年に一回なので、毎月少しずつ積み立てることで同人誌の制作に充てる。つまりサークル費と呼ばれるものは同人誌製作も入っているので、他のサークルに比べて若干割高である。
だから、このサークルに入る人はあまりいない。学生時代に、
「自分の本を出せるようになれればいいな」
と感じたことがある人がほとんどであろう。
中には学生時代に文芸サークルに所属し、同人誌を発行したことのある人もいて、さの人の意見も参考にしながらの活動であった。
この文芸サークルができた時、
「人なんて集まるんだろうか?」
と発足を考えていた市のスタッフだったが、実際に募集してみると、最初から何人かが入部してきた。それだけ、自分の作ったものを形にしたいと思っている人が多いということであろう。
「どうして、この温泉を選んでいただいたんですか?」
という疑問を口にしたのは、最近入った若い女中だった。
彼女は、他の質問はどうでもよくて、これを訊いてみたかったのだ。彼女は若い子独特の興味津々な部分があり、しかも、他の女の子のような流行やファッションのようなものに興味を持ったわけではなく、歴史であったり、文化などに大いなる興味があったのだ。
「それはですね、この温泉にはいろいろ伝説というか、言い伝えが残っているというのを訊いたのと、実際にそれらを彷彿させるものも残っていると聞いたからなんです。私たちは文芸が好きで集まったメンバーなんですけど、その中でも私たちのように、歴史や文明などに興味を持っている人も多いんですよ。芸術というのも、元をただせば文化ですからね。歴史が好きな人が多くて不思議ではないと思います」
と、いうではないか。
それを訊いて質問した仲居は大いに喜び、
「そうですよね。私も歴史大好きなんです」
と言った。
彼女は大学を出ているのだが、就職活動がほぼ全滅だったこともあって、この温泉街にやってきた。就職先がなくての苦肉の策だと思われているかも知れないが、最初から就職先がまともに見つからない時は、ここに来てみるつもりでいたのである。
どうして最初からこちらに世話になるという決断をしなかったのかというと、
「趣味と実益を一緒にしてしまうと、せっかくの趣味が楽しめない。仕事は仕事、趣味とは切り離した時間を持つことが理想なんだ」
と思っていたからだ。
確かにそうである。
「趣味と実益を兼ねられれば、それに越したことはない」
などと言っている人もいるが、それは一部の人間の、一部の考えだと思っていた。
文芸サークルに所属しているのに、最初からプロを目指す気がしていないのは、そのあたりに問題があったからだ。
小説家を目指すのは、小説を書いている人すべてが、確かに最初は考えることであるが、実際には、
「プロになってしまうと、自分の思っている通りの作品を書けるかどうか分からない」
ということがあるからだった。
小説家というプロの商売がどのようなものか、一応は目指そうと思っていた時に、最初に調べるものである。小説家としてデビューすると、出版社とは二人三脚で売れる小説を書くことを義務付けられる。編集者の方で、作家の担当の編集者が割り当てられ、彼は作家の原稿の出来上がりを待って、それを出版社に届けるだけではない。もっとたくさんの仕事がある。
これが二人三役だと言われるゆえんであるが、作家が作品を書き始めるのが、本づくりの最初では決してないのだ。出版社によって、若干の違いや順序の前後はあるかも知れないが、まずは、企画を立てることから始まる。それは出版社が最初に計画したもの、つまり企画会議で検討されたものを、どの作家に依頼するかというところまでを編集者が行う場合、あるいは、まずは作家が決まって、企画を作家と編集者の間で検討が行われ、出来上がった企画書を出版社の方で会議を行い、没にならなければ、次の段階に進むというもので、ここがスタートラインとなる。
そこから作家がプロットを作成し、それを編集者が納得しなければ、何度でもダメ出しを食らうということになるだろう。作家の中にはプロットの苦手な人もいるだろうが、ここが決まらないと書き始めることはできない。ここまでくれば、後は作家が書くだけなのだが、作家にとって一番厄介な締め切りというものが存在する。雑誌入稿までに出来上がっていなければいけないので、それは当然のことだ。
作家が自分の意志で描きたいものを書けるとすれば、それはプロットが完成してからということになるだろう。
「これを自由に創作できると言えるのだろうか?」
と考えるのは当たり前のことであり、
その流れを知ってしまうと、一気にプロ作家に対しての思いが萎えてしまう人が多いのもうなづけるのではないだろうか。
ここにいる五人もそうであった。
「書きたいものを書けないのであれば、プロになんかなりたくない」
という思いや、
「余裕のない思いなんかしたくない」
という考え方が、彼女たちの中にはあったのだ。
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