女王様な彼女は僕に対して容赦が無さ過ぎる件


 そうだ、逃げてしまおう。そんなフレーズと共に、僕は出口に向かって歩いていく。今の僕はまさに、リードから解き放たれた犬のような気分だった。


 自由を手に入れた喜びに打ち震える僕だったが、こんな姿を飼い主……もとい、一条さんに見つかってはマズい。ただでさえ今は機嫌が悪いというのに、こんな姿を見られたのでは何を言われるか分からないからな。だから僕は慎重に行動することにした。


 急いで逃げてしまえば相当に目立ってしまう為、周りを警戒しながらもゆっくりと出口へと移動をしていく。こんな時に段ボールの一つでもあれば隠れながら進めるけど、無いものねだりをしても仕方がないからね。とにかく進むしかないだろう。


 そうやって少しずつ進んでいくうちに、僕は見慣れた金髪の少女を見つけてしまう。そう、一条さんだ。もうトイレを済ませてきたのか、遠目でも良く分かってしまう。だって、彼女ほど目立つ存在なんて他にいないからね。


 彼女は何やら知らない男の人たちと話をしているようだった。一体誰なんだろう……? もしかして、一条さんの知り合いか何かだろうか。それにしては何だか様子がおかしいような……? うーん、よく分からないや。


 まぁいいや、とりあえず見つかってしまっては元も子もないので、まずは隠れることにしよう。僕がそう思って行動に移そうとしたその瞬間、一条さんはこちらを向いてきたのだった。


 あ、ヤバいかもと思った時には既に遅かったようで、一条さんはこちらを見てニヤリと笑みを浮かべるとこちらに向かって歩いてくるのだった。しかも、その後ろに男の人たちを連れてきてだ。


 え? 何これ? もしかして、ピンチってやつ? 僕は冷や汗を流しつつ、どうやってこの場を切り抜けるべきか必死に考えていたのだが、その間にも一条さんたちはどんどんとこちらに近づいてきていた。


 てか、付いてくるってことは……あの男たち、一条さんの仲間だってことだよね!? ということはつまり、これから起こることは容易に想像出来る訳で―――


『ポチ~♪ お待たせ~♪ 今からポチにはー、この有栖ちゃんに散々恥をかかせた罰としてー、このお兄さんたちにポチを調教して貰うことにしたわ~♡』


『キミがポチくんなんだってね。よろしくね♪』


『へへっ、よろしくなポチぃ!』


『せいぜい頑張って、駄犬から立派な飼い犬に育てて貰いなさい♡ キャハハハッ♪』


 ―――と、いった感じの光景が繰り広げられることになるのだろうと思う。うわぁ……想像するだけで胃が痛くなってきちゃったよ……。


 そんな風に憂鬱になっている間にも、彼らはどんどんと近づいてくる。だからこそ、僕は決断をしなければならなかった。


「あら、ポチ。お出迎え、ご苦労さ―――」


「さよなら!!」


「は?」


 そう、逃げた。一条さんたち背を向けて、僕は全力ダッシュで逃げ出したのだった。こんな時は逃げるのが一番。三十六計逃げるに如かずって言うしね!


 ここが公共施設だとか、周りに人がいるとか、そんなものは一切関係無い。もうね、僕は逃げるから。いやはや、我ながら素晴らしい判断だと思うよ。


 そして目指す先は出口のみ! 頑張れば何とかなるはず! そんな思いを胸に抱きながら走り続けていると、突然後ろから声が聞こえてきた。


「ちょっと待ちなさいよぉぉぉぉぉおおおおおおおっ!!!!」


 そんな叫び声が聞こえてくると同時に足音が迫ってきていた。ちらりと後ろを見てみると、なんとそこには鬼の形相をした一条さんがいたのだ!ひぃぃっ!? 怖いっ!! めっちゃ怖いんですけどぉっ!?


 思わず悲鳴が漏れそうになるが、なんとか堪えながら走る速度を上げる。しかし、このままでは追いつかれてしまいそうだ。なので、思い切って振り返ってみると、案の定、彼女がすぐそこまで迫っているところだった。


「こぉんのぉおおおおっ!」


 叫びながら追い掛けてくる彼女の姿はまるでホラー映画に出てくる殺人鬼のようだった。ちなみに言っておくと、一条さんは運動神経抜群で足は速い。それに対して、僕の運動神経はウンチみたいなレベルなのだ。


 故に、当然の如くすぐに追い付かれてしまい、肩をガシッと掴まれてしまった。


「ぐぇっ!?」


「ふ、ふふふ……捕まえたわよ、ポチ~」


 ギリギリギリッという音が聞こえてきそうなほどに強く握られる肩の部分からは鈍い痛みが伝わってくるし、何より目の前の人物が怖すぎて泣きそうだった。


 ……ていうか、マジで痛いんで止めて欲しいんですが……このままだと肩が取れちゃいそうなんですけど……ハガ〇ンのニーサンみたいになっちゃうんですけど……真理の扉、開いちゃうんですけど……。


「ねぇ~、どうして逃げようとするのかしらぁ~?」


「ひっ……!」


 耳元で囁かれた言葉に背筋がゾクリとする。恐怖のあまり体が硬直してしまい、上手く喋れなくなってしまった。それでも、なんとか言葉を絞り出すようにして答える。


「そ、それは……」


「ん~? なにかしら?」


「えっと……その……ですね……」


 言い淀んでいると、彼女はさらに顔を近づけてきた。そのせいで、彼女の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。それがなんだか心地良く感じてしまう自分がいて、不覚にもドキドキしてしまった。


 ……いやいや、落ち着け自分! 相手はあの一条さんだぞ! こんなことで……悪魔なんかに心を動かされてはいけない! 僕は絶対屈しないぞ! そうだ、こういった時には一旦、冷静になれ。こういう時こそKOOLになるんだ!


「ほら、早く答えなさいよ」


 そう言って急かしてくる彼女に対して、僕は意を決して口を開くことにする。それから真っ直ぐに相手を見つめながら答えたのだった。


「逃げようとしてすみません! 許してください!」


 そしてそう告げた後、僕はその場でジャンピング土下座をしてみせたのだった。……言ってしまったぁぁぁああっ! いや、でもしょうがないじゃん!? だって怖かったんだもん! 仕方ないよね!?


「……」


「……」


 僕の謝罪に対して、一条さんは無言で見つめてくるだけだった。だから、僕も彼女が何かしら反応するまでは無言で見つめ返すことにしてみた。すると……彼女が唐突に笑みを浮かべたのだった。


 ……これって許して貰えたのだろうか。良くは分からないけれども、きっとそうなのかもしれない。だからこそ、一条さんの笑みに対して、僕も微笑み返してみた。そうしたら―――


「許す訳無いでしょ! この駄犬がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「ぎゃいん!!」


 思いっきりストンピングで蹴られたのだった。えっ!? なんでぇぇぇええっ!? そこは許してくれるところじゃないのぉぉぉおおおっ!?


 そして一条さんは容赦なく、土下座をしている僕のお尻を何度も何度もゲシゲシと蹴りを入れてくる始末である。痛いっ! 超痛いっ!


「ちょっ、やめっ、やめてくださっ、いだぁっ!? こ、このままだと、あひんっ!? お、お尻が二つに割れちゃうぅぅうっ!!」


「元からお尻は二つに割れてるでしょーが!」


「ごもっともぉぉぉおっ!?」


 正論過ぎて何も言えなかった。というか、そろそろ止めて欲しいんだけどなぁ……さっきから結構本気で痛いし……。それに、周りの人たちも僕たちのことを見ているしさ……恥ずかしいよぉ……。


「あ、あのぉ……」


「その……もうその辺りで勘弁してあげたらどうですか……?」


 おずおずといった様子で話し掛けてきたのは、一条さんに付いてきていた男の人たちだった。二人して引き攣った表情を浮かべながら、心配そうにこちらを見ている。どうやら、彼らなりに心配してくれているようだ。


 だが、そんな彼らの気遣いは一条さんには伝わらなかったようで、むしろ逆効果になってしまったらしい。彼女は不機嫌そうな表情を浮かべると、男たちを睨み付けた。


「……何よ? 何か文句でもあるの?」


「い、いえ、そういう訳ではないのですが……」


「じゃあ黙って見てなさいよ。これは私とポチの問題なんだからさぁ」


「は、はいぃ……」


 二人は完全に萎縮してしまっており、それ以上は何も言えなくなってしまったようだ。可哀想に……僕のせいでごめんなさい……本当に申し訳ないです……。


「てか、いつまでも見てんじゃないわよ! どっか行きなさいよ!」


 そう怒鳴ると男たちはそそくさと退散していった。その様子を見ていた一条さんは満足そうに頷くと、再び僕の方へと向き直ってくる。その顔はとても晴れやかなものだった。


「ふぅ、スッキリしたわぁ♪」


「ぼ、僕としてはモヤモヤするんですけどね……」


「あ?」


「な、何でもないです……」


 思わずツッコミを入れそうになったけど我慢した。だって、そんなことを言ったらまた怒られそうだしね……うん、絶対に言わないようにしようっと。そう思いながら口を噤むことにしたのだった。


 そんな僕のことを見て、一条さんはニッコリと笑うと口を開いたのだった。


「さて、それじゃあ……躾の続きを始めましょうか♡」


「……え? あ、あれ……? もう終わりなんじゃ……?」


 てっきりこれで終わりだと思っていたのだが、どうやら違うみたいだ。その証拠に彼女は笑顔で話を続けていく。


「だって、これで終わりにしたら、ポチは理解しないでしょ? 飼い主に逆らったらどうなるのかってことをさぁ?」


「ひ、ひぃっ!?」


「さぁ……覚悟しなさいよね、ポチぃ♡」


 ニヤリと笑みを浮かべる彼女に恐怖を感じずにはいられなかった。やっぱりこの人は悪魔なんだと思い知らされてしまうほどの迫力があったのだ。そんな彼女を前にして、僕はただ震えることしか出来なかった。


 ああ、誰か助けてぇ……!


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