鬼の居ぬ間に、百合は咲く

氷垣イヌハ

第1話

 全ての生き物は渇きには耐えられない。

 渇きを潤したいと思うのが本能だ。


「ああ、早くほしい。渇いて、渇いて、もう我慢できない」


 暗い部屋の中。私は荒い吐息を漏らす。

 目の前には私の欲望を満たすものがすぐそこにある。

 清潔で質の良い布地を張られ、支柱には細かな装飾の彫られた寝台。


 その上では薄地の寝巻に身を包む若く美しい娘が眠っている。

 気持ちよさそうに微かな寝息をたてて眠るその首筋。


「ああ、おいしそう。その純潔の血はきっと甘くて、芳醇」


 私は音をたてぬように寝台に上がるとその少女の体に覆いかぶさる。

 私の体重に寝台が微かに沈み、その揺れで少女は目を覚ます。

 寝ぼけ眼に私の姿を入れると口を開く。


「お姉さま? まだ暗い時間ですよ。どうしました?」


 声を出されて誰かが来てはまずい。少女の口を塞ぐ。

 突然私の唇が自身の口をふさいだことに少女は目を見開いた。


「静かにしてね? すぐに済むから」


 私は口を離しそう告げる。

 紅潮した頬。少女は何かを期待するような潤んだ瞳を私に向け、頷いた。

 この数日で仲良くなり、やっと部屋に招かれた。


 肌理の良い柔肌。もう我慢できない。

 私はその少女の首元に噛みつくと、その生き血をすする。


 突然の痛みに少女は身をよじり逃れようとするが、私の腕の中からは逃れられない。


「ああ、美味しい。渇きが、満たされる」


 暫くの愉悦。

 ぐったりと力なく倒れる少女の体から離れ、身を起こす。


 少女は青白い顔で荒い息をあげている。とはいえ、少し幸せそうな寝顔だ。


 貴重な食糧たる少女たちを殺しはしない。

 私を慕う可愛い娘たちを殺すことなど、できるはずもない。

 まあ、明日は貧血でまともに動けはしないだろう。


 幾百の年を生きる吸血姫たる私は、今宵も少女の血によって渇きを潤した。

 満足感にしばしの間油断したのがいけなかった。生き物は食事時が一番危険だ。


「うら若き乙女達を毒牙にかけし、悪しき獣。その罪を悔いてください」


 凛とした女の声がした。


 気付くと私の胸からは星銀の刃が生えていた。背中側から胸を貫かれたのだ。

 その顔を見ることもできず、私は寝台から落ちた。

 目の前は真っ暗だ。吸血姫たる私は夜闇でもよく見えるはずなのに。


 血の通わない私は血に飢え、渇きには逆らえなかった。

 満たされたはずの渇きがやってくる。

 暗闇の中手を伸ばし、渇きを満たそうともがけば藻掻くほど粘度のある闇が身を包む。


 そして。

 かつて人であった時のように、私は深き眠りに落ちていった。

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