第6話 かませ犬の最悪な朝④

俺が封印から解き放たれた記憶に心を打ちのめされ、半ば壊れた虫のようにひたすらもがいていた時


「バイトドック様、本当にこんな女で満足されますでしょうか?」


少女ながら深く響くような低音が交じり合い、力強さを感じさせる声が聞こえてきた。俺はその声によって自分が「父親が十歳の少女を手籠にしようとしている」という目を背けたい現実の中にいることを思い出させられた。


正直に言うと、今の精神状態ではこんな重い話を受け止めきる自信はない。こんな話を聞くくらいなら、風俗嬢に貢ぎすぎて学生ローンで笑えないほどの借金を背負った友達の渡辺くんの「俺、この水で稼いだ金で、彼女を幸せにしたいんだ」という与太話を聞いていた方が何百倍もマシである。


「この女は貴方様のお子様を傷つける野蛮な女ですわ。王女という肩書きが何の価値もありません」


ただ、当然そんな俺の精神状態を知る由もない、この声の主は耳を疑うようなセリフを淡々と続けてくる。


この先程から一歩間違えれば不敬罪になりかねない発言を連発している少女の名前はエリス。この先程から一歩間違えれば不敬罪になりかねない発言を連発している少女の名前はエリス。幼少期の頃、第三王女の従者として仕えていたキャラクターで、他国にもその名が轟くほどの美しさを誇る第一王女や宮廷魔術師を凌ぐほどの魔法の才に恵まれていた第二王女を姉に持つせいで、引っ込み思案な性格をしていた第三王女にとって唯一の親友と呼べる存在だった少女だ。


設定的には準ヒロインとしてのポジションにふさわしいキャラクター。


そんなエリスとはプレイヤーが第三王女との親密度を一定まで上げることで出会うことができる。


魔族によって醜くも慰み者にされ、原型を留めぬほどにぐちゃぐちゃの死体と化したエリスと。


「それこそ私は、古今東西ありとあらゆる性技を仕込まれております。私なら貴方様を確実に満足させられますわ」


その原因となったのがこの発言だ。


エリスは当時まだ十歳になったばかり。ちょっと耳年増なところがあって、同い年の少女よりもそういった知識については豊富な方ではあったが、優しくてイケメンな王子様のような男性との恋を夢見る、普通の女の子だった。


ただそんなエリスが自身の主人である第三王女を救う為、淫乱な十歳児のふりをしてバイトドック家の領主を誘惑し、その性の矛先を自分に向けさせようとしたのだ。


十歳児の考えとはとても信じがたい判断だ。しかし、その思惑は見事に実現し、エリスは従者として第三王女を守るという使命を果たすことになる。二日間かけてありとあらゆる辱めを受けるという代償を払って。


そしてこの日が、作中で一番の不遇なキャラクターとして有名なエリスの悪夢の人生の始まりだった。


国に戻った当時、十歳ながら自分の父親より年齢が上の男に純潔を奪われただけではなく、罪人でさえ受けないような辱めにあったことで、エリスの精神は既に崩壊寸前まで追い詰められていた。


ただそんな精神的な状態の中でも、エリスは従者として「第三王女を救う」という使命を果たしたことを心の支えにして何とかギリギリの所で耐え抜いていたのたが、ある日そんな彼女の心を容易にも崩壊させる出来事が起こった。


使用人の一人が同僚に、バイトドック家で起こった出来事を喋ってしまったのだ。


というのも、バイトドック家で起こった出来事は国から箝口令が敷かれていた。だからエリスの痴態が世間に知られることはなかったのだが、ある日の夜、バイトドック家に同行していた一人の使用人が酒に酔った勢いでその事をうっかり同僚に口を滑らせてしまったのだ。


喋ってしまったのが噂話好きの同僚だったこともよくなかったのだろう。その噂はすぐに人から人へと、風のように使用人や貴族たちの間で広がっていった。


【十歳にして淫乱な少女】


【醜悪な貴族として名高いバイトドック家の領主に慰み者にされた少女】


そうした噂が広まった結果、エリスは急速に社交界で奇異な視線にさらされることになった。いや、しかしそれだけで済んだらまだ良かったかもしれない。実際に、エリスの屋敷で働いていた使用人の中にはその噂を信じて、彼女に襲いかかろうとした者までいた。


そして、そうした出来事は、既に崩壊寸前だったエリスの心を完全に壊すには十分すぎる出来事だった。


ある日、エリスは屋敷の皆が静かに眠りについた後、鼻歌を口ずさんで一人で部屋を抜け出し、厨房へと向かった。そして楽しそうに、自分で火にかけた油を頭から被ったのだ。



たまたま夜の厨房に忍び込んで夜食を拝借しようとしていた使用人が熱した油を被って笑い転げているエリスに気づいたお陰で、直ぐに治療師の所に連れていかれ、何とか一命は取り留めたものの、顔は醜くやきただれて心にも大きな傷を負ったエリスにもう立ち直るだけの力は残っていない事は誰の目に見ても明らかだった。


実際に屋敷中で「エリス様が廃人になってしまった」何て話が飛び交っていたほどだ。


ただ当のエリスはそんな周囲の反応を他所に強靭な精神力で自力で立ち直ると、自身の過去を知る人間のいない辺境の開拓地の駐屯兵として働き始めたのだ。


エリスは働き始めた当初はその醜い顔で周囲の人間から避けられていたものの、本人の人徳もあって次第に周囲の人達に受け入れられて行き、ようやくそこで過去と決別して平穏な日常を手に入れる事ができたのだ。


理不尽な暴力に見舞われたあの日まで・・・


ある日突然、何の前触れもなくエリスが暮らしていた開拓地に魔族が進軍してきたのだ。のどかな開拓地を襲うには明らか過剰な戦力で。


開拓地は一瞬して戦火に包まれた。そんな中、エリスは開拓地の住民を守る為に魔族に立ち向かった。かつて天才と呼ばれていたエリスはその才能を遺憾無く発揮し魔族を続々と打ち倒していった。


だだどんな天才でも数の暴力には敵わなかった。やがてエリスの魔力と体力はだんだんと底を尽き、しまいには魔法を使う事は愚か剣を振るう事すら出来ないぐらいに追い込まれてしまう。


だだそんな状況でもエリスは時間を稼ぐ事をやめなかった。エリスは魔族の前でおもむろに服を脱ぎ出し、自身の体で魔族を誘惑してまで時間を稼いだのだ。


その甲斐あって開拓地の住民を全員無事に逃す事が出来た。だがしかし逃げ出した住民から事情を聞いた勇者達が駆けつけた時にはもうエリスは手遅れだった。


勇者と第三王女の目の前には魔族に散々犯されたエリスの死体が転がっていた。


こんな無惨なイベントは第三王女のエリーゼが親友の死、自分の過去の愚かさを乗り越え成長する為のストーリーだが、初見のプレイヤー達からは「ギャルゲーに組み込む内容じゃない」だの「製作陣に変な性癖のやつが紛れ込んでる」なんて散々クレームがあったほどだ。


俺の友達の渡辺君もこのイベントを読んで「エリスたんが現世に転生してきたら僕が絶対に幸せしてやるダオの会」という法を犯していないだけで社会には許されていない気持ち悪い組織を作っていった。



あぁ因みにこのイベントも第三王女がバイトドック家に尋常じゃないほどの恨みを募らせる原因の一つになるのだがこればっかりは自業自得だ。仕方ない事だろう。しっかり罰を受けるんだぞグレイブ、、、って馬鹿仕方なくないだろ


俺ら自分自身にツッコミを入れると直ぐにドアを勢いよく蹴り開け、グレイブの重たい体を引きずりながら廊下を走り出した。


全力で走ると直ぐに息が切れる。それでも息を荒く吐きながら足を前に踏み出す。胸の中には激しい鼓動とともに息切れが広がって行く。苦しい呼吸が俺を襲い体は直ぐに限界を訴えてきた。しかし、俺は精一杯の力を振り絞りながら、前へと進み続けた。


何故俺がここまで急いでいるのか。


第三王女を救いたいから?


そして何よりエリスを悲惨な運命から救いたいから?


いや正直に言えばそんな事どうでもいい。クソ喰らえだ。第三王女をエリスを救う?そんなヒーローみたいな事はこの世界の勇者様に任しておけばいいのだ。グレイブ以外の全ての登場人物を救う事が出来る勇者様に。


じゃあ何故走るかって?


簡単な理由だ。俺がここまでして走る理由はたった一つしかない。俺が知っているからだ。このストーリーがグレイブというキャラクターにどういう影響を及ぼすかという事を。


というのもグレイブは豪華絢爛な服を着ているため絵を描くのが面倒くさいという大人の事情で、どんなシナリオに進もうと、どんな展開に向かおうと、ハッピーエンドだろうと、バッドエンドだろうと作中の中盤でお家を取り潰しさせらた上に酷い拷問をされて処刑される未来が待っているのだ。


そしてその処刑を第三王女に決断させる要因になるのがこのイベントなのだ。


無駄に長い廊下を走り続けると眩暈とともに周囲の景色がかすんで見える。体は限界に達し、もはや立ち止まることさえできないほどの疲労が襲ってくる。


ただ俺はそんな事を気にせずに走り出した。


グレイブの未来を変える為に。

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