白い結婚の理由は美しくないからという、ごく真っ当なものだった

アソビのココロ

第1話

「僕が君を愛することはない」


 婚姻が成立した後の初めての寝室で冷たく言い放つ。

 艶かしい格好で寝台に腰掛けているクーパー男爵家の娘アレクシアがポカンとし、小首をかしげ、そして頷いた。


「わかりました」

「理由を聞かないのか?」

「想像は……つきます」


 ほう、思っていたほど愚かではないらしい。


「要するにダレン様はおっぱい教徒なのですね?」

「は?」


 どうしてそうなる?

 斜め下過ぎる発言に一瞬理解が追いつかなかったぞ?

 さらに頷くアレクシア。


「わかります。わたくし、ウエストからヒップへのラインにかけては自信があるのですが、バストはあまり」

「いや、君は美しいけれども」

「まあ、ダレン様。ありがとうございます」


 婉然と微笑むアレクシア。

 僕は美に関しては一家言ある。

 思わず我を忘れて抱きしめたくなるほどには、アレクシアは美しい。


「殿方はおっぱい教徒とスレンダー教徒の勢力が拮抗しているそうですからね」

「僕はおっぱい教徒ではない!」

「では、グラマー教徒でいらっしゃいましたか?」

「違う!」

「よろしいんですのよ。我が国は信教の自由が保障されておりますので」


 我が国が信教の自由を保障しているのは、国外からの商人を入国しやすくし、交易業を発展させるためだ。

 性癖を認めさせるためではない。

 大体この信教の自由というやつも美しくないと思っているのだ。

 例えば唯一神教を認めながら多神教をも認めるでは、整合性が取れぬではないか。


「もっとも心根が清らかなダレン様は、信教の自由はお好きでないかもしれませんね」

「ふむ、わかっているではないか」

「でも信教の自由もいいところがありますのよ」

「いいところとは何だ?」

「改宗もまた自由ということです。スレンダー教に改宗なさったら、わたくしを愛してくださいませ」

「……」


 あまりにもぬけぬけと言い放つのに絶句する。

 しかし決定的に対立するかと思っていたがそうでもなかった。

 さめざめ泣かれるのもキャンキャン喚かれるのも願い下げだ。

 アレクシアが頭のいい女性だということは認めざるを得ないな。

 僕は公平な男であるから。


          ◇


「奥様ったらあ」


 アレクシアもすっかり我がシャーウッド公爵家に馴染んだようだ。

 侍女達とキャッキャウフフと笑い合っているのも、若干規律に欠ける気はするが悪くない。

 自分の基準に反するからといって即座に否定するほど、僕の心は狭くないのだ。


「旦那様、失礼いたします」

「マテオか」


 家令のマテオが入室してきた。


「奥様の笑い声は家中を明るくしますな」

「うむ、暗くするよりはいいだろう」


 やや非難がましい感情を視線に混ぜるマテオ。

 まだ僕がアレクシアを妻として認めていないことに不満があるのだろう。

 言葉に出すことはしないが。


「領地の大旦那様からの経営報告書がまいりました」

「父上からか。今年はどうだ?」

「悪くはないですな」


 マテオの『悪くはない』は、一応赤字ではないことを意味する。

 今期は豊作だと聞いていたのにトントンか。

 経営改善策が功を奏していないことを意味する。

 思わずため息が出そうになるのをぐっと堪える。

 ため息は美しくないからだ。


「……また使用人の解雇を具申しに来たのか?」


 シャーウッド公爵家は建国以来の名家だ。

 しかし富裕だったのは遥か昔のこと。

 時代の変遷とともに経済の中心が移ってしまうと、領地が広いだけの僻地領となってしまった。

 王国の穀倉庫としてもてはやされた時もあった。

 それも他領の穀物生産量が上がると、僻地であるがゆえの輸送費で優位に立てなくなってしまった。

 ……こんな言葉は美しくないが、詰んでいる。


「そのことなのですが」

「ハッキリ言ってくれ」


 人材は宝、使用人に非がないのに解雇するのは美しくない行為だ。

 とはいうものの美術品や骨董品は売り尽くしてしまった。

 経費削減の一環として人員整理に手を付けねばならんのか。


「奥様に相談してみたのです」

「アレクシアに?」

「御生家であるクーパー男爵家は交易で叙爵したようなものですから。知恵をお借りするのは当然かと」


 アレクシアとの結婚は、新興男爵家が名門である我がシャーウッド公爵家の名を欲しがったものと理解している。

 クーパーでは相手にされなくとも、シャーウッドの親族なら取り引きに応じる高位貴族はいるだろうから。


 父上が僕とアレクシアとの婚姻に応じたのは、クーパー男爵家からの金銭的援助を期待したものだろう。

 実に美しくない。

 子供っぽいとは自覚しているが、僕はそれに反発している。

 アレクシア自身に含むところがあるわけではない。

 もちろん持参金にも手を付けていない。


 しかし知恵を借りるのは話が別か。

 名目上とは言え、アレクシアもシャーウッド家の一員なのだから。


「うまいアイデアでもあったか?」


 非情にクビを言い渡すだけではないのか?


「それが……よく教育された使用人は財産であると。解雇するなどもったいないと仰るのです」

「何だと?」


 美しい考え方だ。

 少し見直した。

 だが切迫した経済事情とどう折り合いをつけるつもりだ?


「当家の使用人のマナー、所作、心遣いは素晴らしいと。これはお金になると」

「は?」

「クラシックで洗練された侍女や従僕の振る舞いは、お金を払ってでも教わりたい人がたくさんいるだろうとのことでした」

「……そういうものなのか?」

「私にもない視点でございました。出入りの業者に聞いてみたところ、シャーウッド公爵家流の側仕えの心得を教授してくれるなら、講義を聞きたい者は下級貴族や大手商家を中心にいくらでもいるだろうと。ぜひ講師を寄越してくれと」


 知らなかった。

 古臭いだけと思っていた我がシャーウッド家に価値を見出してくれている者がいるとは。

 顔がほころぶ。


「それで旦那様、当家の使用人を講師として遣わしてよろしいでしょうか?」

「もちろんだ。当家の美しい所作が世に広まるのは僕の喜びだ」

「は、では早速」

「マテオ、まず手引書を作れ。誤解されて美しくない作法がシャーウッド家流などと言われては、みっともないことこの上ない」

「はい!」


          ◇


「奥様は大したものです」

「うむ」


 まだ三ヶ月だ。

 にも拘らずシャーウッド公爵家流側仕えの心得が大ヒット。

 領地からも使用人を呼び寄せ、パーティーの格調を与えたり大切な客人が来る時の仕切り等の人材派遣にも業務を拡張した。

 またシャーウッド公爵家に伝わる古い文様パターン、領内の銘木やキノコなど隠れた物産を掘り起こし、金に換えつつある。


 一方でアレクシアは社交に精力的に精を出し、(といっても茶会に呼んだり呼ばれたりだ。そう費用はかからない)人脈を広げてシャーウッド公爵家のいいものをさりげなく紹介する。

 クーパー商会も業容が急拡大しているそうで、純利益の一割を協力費として当家に納めてくれることとなった。


「この調子であれば、往年の繁栄を取り戻すのも夢ではありませんぞ」

「かもしれぬな」

「旦那様はまだ奥様をお認めになれませんか?」

「というわけではないのだが」


 経営手腕は認めざるを得ない。

 さすがはクーパー男爵家の娘だけのことはある。

 だが結局金しか目に入っていないのではないか?

 であれば性根が美しくない。


「正直奥様がいなければどうなっていたことか」

「もう担保になるものがタウンハウスくらいしかなかったからな。突発的に大きな出費があったら危なかった」


 王都の家屋敷を失っては、公爵家でございという顔もしていられないだろう。

 真剣に爵位返上も検討せねばならなかったところだ。


「奥様を大事にされてくださいませ」

「……」


 言外に早く抱けと言われている。

 領主候補生としてはそれが正解だろう。

 しかし意に染まぬ行いが美しいのか?

 ダレン・シャーウッドの名に恥じるようなことはしたくない。


 マテオが話を変えるように言う。


「大旦那様が旦那様の婚約者として男爵令嬢を推した時、何を考えているのかと思ったものです」

「確かにな」


 高位貴族から妃をもらうのは財政が耐えられぬと考えたのは事実だろうが。


「父上は元々クーパー男爵家と付き合いがあったのか?」

「クーパー商会とは、彼の家が男爵位を得る以前からの付き合いですよ。男爵に推薦したのも大旦那様かと」

「確かか?」

「おそらくは。それに類することをチラッとお話しくださった記憶があります」


 わからなくなってきた。

 クーパー男爵家は我がシャーウッド家に恩を感じていたのか?


「僕とアレクシアの婚姻は、クーパー男爵家側からの申し入れと聞いていた」

「私も大旦那様からさよう伺っております」

「クーパー商会が由緒ある家門であるシャーウッドの名を商売に利用したいからだと思っていたんだ」

「……間違いではないのでは?」

「おかしくはないか?」


 男爵家ごときが誇りあるシャーウッド公爵家を牛耳れると考えていたのか?

 いや、アレクシアにとってもっと条件のいい嫁ぎ先などいくらでもあるのではないか?


「卑下するわけではないが、我がシャーウッド家の持つ価値あるものは爵位だけだ」

「言い過ぎかと思いますが……」

「大きな需要の見込める明らかな特産品があるとか貿易に強みがあるとか。普通に考えれば明らかなメリットの見える家に繋がりを求めた方が、利益は大きくなるのではないか?」

「しかし現状はいかがです? クーパー商会はかなり潤っています。シャーウッド公爵家と組む方が儲かると判断したのでは?」

「……そうだろうか?」


 今のシャーウッド家ブームを予測していたのか?

 予測していたにしろ、一時的なものではないのか?


「もう一つわからないことがある。何故アレクシアが我が家独自の文様パターンや領内の銘木、キノコなどを知っている? 僕ですら知らなかったことだぞ?」

「調べたとしか考えられませんな」

「どうやって? 文様は文献で調べることができるかもしれないが、銘木やキノコは現地を詳細に調査せねば知ることはできないだろう?」

「妙ですな」


 何年もかけて調べていたとしか考えられない。

 手間をかけてシャーウッド家に狙いを定める理由などないではないか。

 仮に理由があったとしても、父上が拒絶すれば水の泡になった話だ。

 わけがわからない。


「奥様はまだシャーウッド家を富ませる方策をお持ちのようです」

「どう考えてもクーパー商会よりもシャーウッド家に利が大きい」

「かもしれませんな。一度その辺りも含めて、奥様とよく話をされては?」

「……うむ」


 マテオの発言はアレクシアと仲良くしろという魂胆が見え透いている。

 ただアレクシアに借りができたことは事実なのだ。

 放置して意地を張るのもまた美しくない。


「今夜、アレクシアと話してみる」


 にっこり笑顔を見せるマテオ。


「それがようございます」


          ◇


「ダレン様、お待ちしておりました」

「ああ、うん」


 夜、煽情的な衣装で僕を迎えるアレクシア。

 美しい。

 美し過ぎて視線を外せない。

 アレクシアがモジモジしながら言う。


「……嬉しいです」


 羞恥を見せるアレクシア。

 完璧ではないか。

 心から僕を愛しているように見えてしまう。

 本当に商売目当てで嫁いできたのだろうか?


「あの、ダレン様はスレンダー教徒に改宗されたのでしょうか?」

「改宗? いや……」

「では宗旨替えですか?」

「どこが違うのだ」


 相変わらずアレクシアの言うことはどこかズレている。

 いや、あれだけの商才を見せ付けるのだ。

 他者と異なる視点を持つのも当然なのか。


「一つ聞きたいことがある」

「何でございましょう?」

「僕と君との結婚のことだ。クーパー男爵家側からの申し入れと聞いた」

「その通りでございます。より正確には私の希望でございました」

「アレクシアの?」


 どういうことだ?

 婚約前の顔合わせまで、ほぼ面識などなかったではないか。

 ……やはりシャーウッド公爵家の何かに金銭的価値を見出したからか?


「一三年前、私は初めてダレン様にお目もじいたしました」

「一三年前?」


 子供の頃ではないか。

 そんな昔にアレクシアと会っていた?


「当時はまだ平民であった私に、ダレン様は宝物だと仰る、最高の景色を見せてくださいました」

「……領主屋敷の裏山から渓谷を見下ろす夕焼け」

「そうです。今よりもう少し秋も深まった時期でした。川に反射した光が紅葉を照らしていて、夕焼けなのに暗さを感じない、不思議な光景だと思ったものでした」


 思い出した。

 あの時知り合った年下の賢い少女。旅の話が面白く、何か褒美を取らせたかったが僕は適当なものを持たなかったので、一番気に入っていた景色を見せたのだ。

 あれがアレクシアだったのか。


「感動しました。美しい景色にも、帰りが遅くなって叱られた時にダレン様が庇ってくださったことにも」

「僕のせいで帰りが遅くなったのだ。当然ではないか」

「普通公爵令息は平民に気を遣わないものですよ。ダレン様はお優しいです」


 あまりに無防備な笑顔に思わず目を伏せる。

 その格好にその顔は反則ではないか。

 美しくな……美しい。


「あれからダレン様は私の王子様になったんです」

「……知らなかった」

「ダレン様のお嫁さんになりたいなあと夢見ていたんです。平民の少女がですよ。おかしいですよね」


 おかしくない。

 そんな昔からアレクシアは僕を慕ってくれていたのか。

 一途な恋、美しいではないか。


「後にクーパー家に叙爵の話が持ち上がりまして。今では公爵と男爵では身分違いと理解していますよ? でも当時、差は努力で埋められるものと思っていたんです」

「努力……」

「シャーウッド公爵家が経営に苦労していると、お父様に聞きました。では私のなすべきことは、シャーウッド公爵家の財政に貢献することだと思い定めたのです」


 立派な考え方だ。


「お笑いになってください。たかが男爵の娘が、公爵令息の妻になれる気でいたんです」

「い、いや……」

「ダメもとで公爵様とお話しさせていただいたんです。そうしたら思いの外気に入っていただけまして。ダレン様の妻となることができました。私は今、とても幸せなんです」


 何と純粋なんだ。

 クーパー商会がシャーウッド家を毟り尽くそうとしていると思い込んでいた僕の方がゲスではないか。

 全く美しくないことだ。


「すまない。僕が間違っていた」

「いえ、ダレン様が間違っていることなんかありません」

「君に対して申し訳ないことをしてしまった」

「おっぱい教徒なのは仕方のないことです。少し残念ではありますけれども」


 えっ? まだおっぱい教徒を引っ張るのか?

 いや、案外本気なのかもしれないな。

 アレクシアを抱きしめる。


「アレクシア。君は美しい」

「ダレン様、やはり改宗を……」


 ムードのない言葉を吐き出す口をムリヤリ塞いだ。

 潤んだ瞳になったアレクシアに宣言する。


「今から君は本当の意味で僕の妻だ」

「……嬉しいです」


          ◇


 翌朝マテオがニコニコしながら、『昨夜はお楽しみでしたね』などと芸のないセリフを口にした。

 シャーウッド家の執事長でありながら、何というありきたりのことを言うのだ。

 全く美しくない。

 大いに反省してもらいたい。

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