第7話 その太陽のような人は

 コトリと目の前の丸テーブルに置かれるマグカップ。ドロシーで見たやつだ。そうだ、この人もドロシーが好きだって言ってたな……

 陽向がそう思うと、紗和への負の感情はどこかへ行ってしまった。マグカップを顔に近づけると、カモミールの香りが鼻をくすぐる。そこで少しリラックスできたことに陽向はまだ気づかなかった。ずず。紅茶を啜る。恥ずかしさで熱くなっていた体が安らぎで暖かくなったことには、なんとなく理解できた。

「あのね、ヒナちゃん」

 紗和さんが語りかけてくる。ドロシーで見せてくれる、優しい紗和さんだ。

「まず、それ……外そっか」

 何をとは言わなくても、外すのが何かわかる。うんと静かに一言だけ返事をして、スカートの中に手を突っ込んでピンク色のを取り出す。

「あ、あの……紗和さん。なんでこれを誕生日に私にくれたんですか?」

 最初の予定と大きく違う。けれど、今はこうして自然に訊くことができた。

「ごめん……としか言いようがないの。本当はね、これ」

 といって、紗和さんは自分のスマホの画面を私に見せてくれた。画面には緑色の可愛い髪留めが映っていた。

「信じてもらえるかどうかわからないけど、本当はこれをヒナちゃんにあげる予定だったの」

「……え?……でも、もらった物は、その……これで……」

 右手をテーブルの上の高さまで上げる。ピンク色のものだ。

「これね、別の人に頼まれて用意した物なの。あの髪留め、その人が今持っていて、さっき間違いに気づいて知らせてくれたの。その……ごめんなさい」

 紗和さんのドジっ娘は今に始まったことじゃない。ドジでは済まされない間違いをしているのは確かだが、少し許してあげられそうな気もしてきた。

 それよりも、気づいてしまったことがある。

「間違いはわかりました。でも……本当のことを言うと、私、紗和さんのことが大嫌いになっていました」

「そうよね。謝って許してくれる間違いじゃないものね」

 いつもの紗和さんが使っている言葉のトーンを知っているからこそ、本当に間違えて本心で申し訳ないと思っていることがわかる。でも、やはり訊いてみたい。

「もういいです。許します。でも二つ質問があります。答えてください」

 紗和さんの表情がキュッと引き締まったのがわかる。核心につく質問が飛び出すことを予想しているからだ。

「本来これを受け取る人って誰ですか? 名前を出しづらかったら、男性なのか女性なのかだけでも答えてください」

 一瞬固まった紗和さんは鼻で大きく息を吐いて、ゆっくりと答えた。

「相手は女性よ。それだけでいい?」

「……はい。それで結構です。では、二つ目の質問です」

 もう何でも答えるわよ。紗和さんの表情はそんな覚悟をしているようにも見えた。

「その女性とは、その……そういう関係ですか?」

「……その質問、答えなきゃダメ?」

 その回答がもう答えになっていることに陽向はすぐに気づいたが、紗和さんはたぶん気づいていない。ここで止めたくない。畳み掛けよう。

「答えてください。それがこれを私に渡したことを許す理由になります」

 紗和さんは困った顔をしていた。正直、その答えなんてどうでもいい。紗和さんが困ってくれれば、困った分だけ私がスッキリする。そんな自分の感情が今回の件の落とし所なのだと感じたからだ。

「わかったわ。正直に答えるから、感想を必ず聞かせてね。その女の子とは

 ……そういうことをする関係なの」

 紗和さんは俯いたままで答えた。それからまたこの部屋の時間が止まった。

 今、紗和さんはどんな気持ちで私に秘密を打ち明けたんだろう。紗和さんから見た私は、どんな表情をしているんだろう。紗和さんが困っている今、私はどうしたいんだろう。

「け……軽蔑した?」

 俯いたままの紗和さんが口を開いた時、またこの部屋の時計が動き出した。

「いえ。軽蔑はしませんし、誰かに話すこともしません。紗和さんとその人との関係を壊すつもりもありません。私には私の、紗和さんには紗和さんの生き方があると思いますし」

 私が生きる世界とは違う世界だ。そこに足を突っ込むこともないし、それを卑下する理由なんてない。私にはまだ無いけれど、きっと誰もが壊したくない物が一つや二つ抱えているんだろう。それが、私が紗和さんの心に向き合って考えた答えだった。

 私のまっすぐな答えは、紗和さんにとって思いがけない答えだったのだろう。

「……ありがとう。ありがとね、ヒナちゃん……グスッ」

「ちょ、ちょっと泣かないでください」

「でも、でも、でもだって……ヒナちゃん……」

 紗和さんに抱きつかれ、私の胸で紗和さんは声を出して大泣きした。すこし責めすぎたかな。

 でもわかったことがある。紗和さんはやっぱり紗和さんだ。ちょっと、いやかなりおっちょこちょいなところはあるけど、真面目でおおらかな紗和さんだ。いつもの太陽のような笑顔は、嘘の笑顔ではなかった。自分に素直で寂しがりなところがあるんだろうな。ってことは今日初めてわかったけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る