虚ろな彼女との逃避行

@isorisiru

沈む世界、攫われる、触発。

…怠い。動きたくない。そう告げる体に相対して脳は激しく覚醒を薦める。眠剤で重くなった体を持ち上げ、寝間着のまま自室からキッチンへとフラフラ歩を進める。

頭が割れそうだ、痛い。でもそれもいつものこと。

コップ一杯の水を飲み干し、時計を見つめる。

9時、外の様子からしてまず間違い無く夜だろう、誰でもわかる。

リビングでは妹が、今私がいるキッチンには隣に母が。まるで私はいないみたいに時を進めていく。

「…外にいる」

了承を求める訳でもない私の言葉に返答はなされないまま、私は靴を履いて寝間着のまま外へ出た。


体の重い感じは抜けきらない。治療用の精神安定剤と睡眠薬が抜けきっていないのが嫌でも感じられる。

「…二年前からは、考えられないなぁ」

私が重度のうつだと宣告されたのが二年前。生きているのがつらくて、虚しくて、鬱陶しくて。一つも希望が見出せないまま自堕落に生きていた。

逃げはいくらでもやった。何でも、何度でも。

そのたびに家族は不信感を募らせ、障らぬ神に祟りなし、私の事は禁句扱いになっていった。

「腫れ物だねぇ」

狂楽も上等、今楽しければそれでいい。先を見据える方が馬鹿だ。

そう思って生きるのも、少し良かった頭が故の逃げだった。

「…ん、」

ふらふらと歩いていたら、気付けばかなり暗い所に出ていた。

この辺は住宅も少なく、一本向こうの国道と比べたら明かりも乏しい。

未来みたいだ、なんて哲学を脳裏にしまっていると、

向こう側から明かりが二つ、見えた。車のランプだ。ショートカットにもならないような細い小道をワンボックスバンが走っていることに些かな違和感を覚えた。

…左右は田んぼ、あまり寄り過ぎると落ちてしまう。

私に触れない母も、寝間着を泥まみれにして帰ってきたら流石に怒るだろうか。

そう考えていると突然、自分のすぐ後ろで車がブレーキを踏む音がした。

変だ、と思って振り返ると運転席のドアが開く。中から出てきたのは男だった。

背が高い訳でも低い訳でも無い、特徴がないのが特徴のような漢。

くたびれたスーツとよれよれのネクタイで会社の帰りのような格好の男が、私に飛び掛かってきた。

運動不足で女、加えてほぼ寝たきりの三コンボの私が勝てるはずもなく、拘束されてバンの後部座席に放り込まれた。

身代金の請求でもするのだろうか、必死に身をよじる。が、結束バンドで手足を拘束してくる男が、ごめんな、ごめんな…と念仏のように呟くのが、私の抵抗を一瞬、鈍らせた。

そのままバタン、とドアが閉まり、車は急発進をして動き出す。

何処に連れ去られるかは、わからない。この男がどういう思考で私を攫ったのかもわからないけど、不思議と、危機感は欠如していた。

結束バンドで手足を縛られ、視界と口元をガムテープで塞がれたままで、車の揺れる感覚だけが、外界の情報として伝わってくる。

それからどのくらいの時間が経ったか、壊れた体内時計は信用できなかったが、おそらく20分くらい車は動き、そして止まった。

視界は真っ暗、動くこともできないのは言うまでもなく、ロクに栄養も摂っていない私の軽い体は男に持ち上げられた。

家の外のざりざりという砂を踏む音がある地点を境目に、コツコツというコンクリートを歩く音に変わる。建物の中に入ったようだ。

上下に揺さぶられる感覚からして、階段を上っているのか、と推測した。どうやらコンクリート製のビルらしい。金属の階段を踏みしめる無機質な音に、男の疲れたような息が混じる。時間からしても男の疲労具合からしても、かなりの高さを階段で登っているようだ。

体を揺らすのは得策ではないだろう。落ちる。階段から。

男の肩から降ろされ、目と口に張り付いたガムテープを外される。

いたのは…廃ビルの中。手つかずの廃棄物が隅に山積みになっている吹き抜けのワンフロアの中に私と、男が二人だけ。

男は廃材が積んである山の中からガサガサと何かを探している。

…今だ。

「…あなたは、なんで私を攫ったの?」

無機質なコンクリートの床にぺたりと座り込んだ状態で、後ろ手に拘束を解く糸口を探し、丁度手元に落ちている破片を拾う。

解体工事の時に置いて行かれたのか、ガラスの破片の様な鋭利な物体が落ちている。

無音を心がけて破片を拾い上げたことで、男はまだゴミ山を漁っている。

「寺山眉葉、16歳。名門寺山家の長女で、最近は学校にも行けていない不登校のうつ病患者。」

手足を縛ってるのは結束バンド、百均で売っているようなプラスチックだ。上手い事狙いを定めてのこぎりの様に引くと、ぶつり、と手足が自由になった。

「申し訳ないけど調べさせてもらった。今俺は生活に困っていて、身代金目当てで君を攫った。」

申し訳ないけど、で許されるなら世話ないな、と頭のどこかで考えながら、

男の話を聞き流し、切り落とした結束バンドを放り投げる。

手には、ガラスの破片を握ったまま。音を立てないように慎重に、それでいて俊敏に。男に急接近する。

「私の事は、どうでもいい。…貴方の事を、洗いざらい話して。」

男はこちらの気配に気づいて振り返るが、もう遅い。私の握るガラス片が首筋を正確に狙っていた。

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