第47話 残された者

 低気圧の接近は予想よりも早かった。

 東から湧き出した黒雲は太陽を追うように西へ拡がり、窓の外では滝のような雨が、風速20mを超える風に撹拌かくはんされている。


 待機室の扉が開くと、防音された室内に嵐の音が入り込み、すぐに止んだ。海軍支給の黒いカッパをずぶ濡れにしたミラが、それを脱ぎながら室内を見回した。


「他の人は?」


 ソルベラミ海軍基地に設けられたアッセンブルの待機室は、結成以来初になる戦死者に沈んでいた。

 ローテーブルにコミックを積んだカルアは、ミラと窓の外を一瞥いちべつし、顔をコミックに目を落とした。

 ソファーに背中を預け、新聞を眺めていたリナルドはそれを見て、溜め息をつく。


「マーフィーとネリアは部屋だ。バンクロイドは知らん」


 仲間の死には慣れている―――はずだった。デラムロ軍の無人機ドラゴンフライの機動に翻弄され、一発必中のミサイルを打ち込まれ、多くのパイロットが命を散らしてきた。


 しかし、胡散臭い隊長に招集され、この部隊に配属されてからは連戦連勝。

 これまでの鬱憤うっぷんを晴らす大戦果は味方の士気も高めたが、それを成した当人たちに至っては、もはや敵なしという気分になっていた。


 油断や慢心があったわけではない。

 しかし、あの“クラウドブレイカー”とかいう反則兵器の攻撃は、そうと分かっていてもどうにかなるような物ではなかった。

 問題は、仲間の戦死に気持ちが落ち込むのをコントロールできない事だと、リナルドは考えていた。


「ちょっとばかり、勝ちに慣れすぎたかな」


 そう自嘲してミラを見つめる古強者ベテランの目は、しかし闘志を失っていない。


「勝ちに慣れるのは、別に悪いことじゃないでしょ」


 コミックに目を落としたままのカルアの物言いには、わずかな棘が含まれていた。

 これまで散々に苦しんできて、ようやく勝ち目が出てきたのだ。無人機の群れを蹴散らし、馬鹿げたサイズの空中要塞も攻略した。容易な戦闘は一つとしてなかったが、その全てを生き抜いた。

 決して楽をしてここまで来たのではない。これなら最後まで、この戦争が終わるまで生き残れるかも知れない。

 そう思ったとして、それのいったい何が悪い。


 そこへ来て、またぞろ敵の新兵器だ。

 頭のおかしいどこかの誰かが作った回避不能の超兵器。それを目の当たりにして、高揚していた気分を打ち砕かれたカルアは、今度こそ道を絶たれた気分だった。


「……そうだな」

「そうですよ」


 取り成すようなリナルドの相づちも、子供扱いをされたように感じてカルアは気に入らない。

 そして、それをさせる自分の子供っぽさにも苛ついていた。


「この状態では、敵もしばらくは動けないと思う。今のうちに休んでおいて」


 気休めも慰めも言えず、またその必要もない。

 それは兵士として、各々が折り合いをつけるべき事だ。

 水をしたたらせたままのカッパを再び着込んだミラは、それだけを言い残して待機室を出ていった。



◆ ◆ ◆



 潜水艦を撃沈した。しかし、姑息な奴らをしたたかに打ちのめしてやったという気分は直後に霧散し、敵の極超音速ミサイルから隠れるように、地を這って帰還した。


 バイザーを上げ、滲む涙を拭わなければ着陸もできなかったマーフィーは、機を降りるとその場で吐いた。

 恥も外聞もなく、声を上げて喚きながら胃の内容物をコンクリートの地面にぶちまけ、作戦後のデブリーフィングにも出席せずに自室に籠もった。


 身体は鉛のように重いが、待ち望む眠気はやって来ない。血走った目で天井を睨みながら、頭の中には昔の記憶が取り留めもなく渦巻いていた。


 チェイニーとその姉のノインは、マーフィーの家の隣に住んでいた。年齢の近かった3人は何をするにも一緒で、町の住人には本物の兄弟だと思っている者もいるくらいだった。


 エレメンタリーもミドルもハイスクールも一緒なのは変わらず、チェイニーは1学年下だったが友人はすべて共通。その面子めんつに出入りはあっても、その中心は常に3人だった。


 成長し、思春期を過ぎてもそれは変わらなかったが、マーフィーは美しいノインに恋をした。

 実はそれは子供の頃からの事だったのだが、隠せていると思っていたのはマーフィーだけだった。「そいつは意外」と知らぬふりを貫いたチェイニーの応援を得てプロポーズに成功したマーフィーが、ふたりと本当の兄弟になったのは、二十歳の時のことだった。


 マーフィーとチェイニーは憧れていたパイロットになった。海が好きだったノインは、港湾職員になった。そして、戦争が起きた。


 ソルベラミ基地に転属して、休暇の申請が受理されたマーフィーとチェイニーは外出した。そのために借りた基地の車両は、古臭くて乗り心地も良くなかったがカーステレオは生きていて、3人で良く聴いていた古いバンドの曲を大音量で流しながら、快晴の冬空の下をオープントップで走るのは、気分が良かった。

 

 妻であり姉である女性の墓前に、途中の花屋で買った花束を手向けた。

 それがふたりで過ごした、最後の休日になった。まだたった、2日前の事だ。


 何度も何度も、同じ記憶が繰り返される。別の事を考えようとしても、目を閉じても開いていても、子供の頃から最後の休暇までの映像と音声が、いま目の前にある事のように、しかし断片的に浮かび上がる。


 欠片は消えないまま、その上に次の欠片が重なる。のし掛かってくる幸せの記憶にマーフィーは、ベッドの中で身をよじった。



◆ ◆ ◆



 兵舎の私室に戻ったネリアは、フライトスーツを脱ぎ捨て、シャワーで汗を流す間もずっと考えていた。


 ダンシングエッジ分隊エレメントでコンビを組んだガントは、良き夫であり良き父だった。

 実際に妻と子供がどう思っているかを確かめる術はなかったが、少なくとも本人はそうありたいと願い、また努力もしていた。


 ネリアには今のところ、結婚願望というものがない。明白な理由から結婚をしたくないと考えているのではなく、それを考える対象が現れてからの話だと思っていた。


 そんなネリアにとって、ガントの尽きること無い家族自慢はいささか以上にわずらわしいものだったが、コンビとして時間を共にする事が多い以上、それは避けて通れないと思っていた。


 しかしやがて、特に話をする事もなく会話が途絶えた時には、自分からその話題に水を向けるようになった。

 何せ妻と子供の話をさせておけば、よく喋る男だったし、かと言って聞く方のことを無視して勝手に喋る事はない。

 そして何より、あの痩せぎすで怜悧れいりな印象のエースパイロットが、控え目ながらも口元をほころばせて目尻を下げる様が、見ている内に面白く感じられてきた。


 シャワーから出ると身体を拭き、下着だけの姿で短い黒髪にドライヤーを掛ける。部屋着のスウェットを着てコーヒーを淹れ、上に何も置かれていないデスクの前に座る。


 まだこの部屋には来たばかりで、私物はまだ荷解きも済ませていない。だが、デスクの引き出しに海軍支給のレターセットと、ボールペンが入っているのは知っていた。


「見てくれ、これが妻と娘だ」


 そう言って見せられた携帯端末の画面には、腕を伸ばして自撮りをする妻のエレンと、エレメンタリースクールの制服を着た娘のカレンが写っていた。

 薄いブラウンの髪に陽の光が透けて、天使のように輝いている。エレンはレンズに向って優しく微笑み、カレンは何か気に入らないのか、不機嫌そうな上目遣いだった。


 そのふたりの名を呼びながら、ガントは死んだ。


 ふたりには軍からの通知が届くだろう。妻はもちろん、娘ももう、父の死の意味を理解できる年齢だろう。

 クルカルニかあるいはミラが、お悔やみの手紙を書くかも知れない。しかしそれすら、形式に則った以上のものにはならないだろう。


 このアッセンブルに来てからの短いコンビだったが、その中では最も多くの時を一緒に過ごし、その散り際を目前で見ていた自分こそが、ガントの最期を伝えるべきだとネリアは思う。


 しかしどれだけ考えても、何をどう書けば良いのか分からない。

 愛した夫と父親を失った彼女たちに、どう言葉を掛ければ良いのか分からない。


 デスクの上の便箋を睨んだまま、ネリアはペンを握る事すら出来なかった。

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