第41話 戦う理由

 夜が開けたソルベラミは、昨夜の騒動など無かったように平穏だった。

 先の攻撃で失われたまま復旧されないレーダー網の穴を埋めるため、東の空が白む頃には定期パトロールの第一便が滑走路を飛び立ち、それと入れ替わりに護衛付きの輸送機が着陸する。


 基地の周囲を巡る高いフェンスの外では、街から自転車に乗ってやって来た少年がふたり、熱の籠もった視線で滑走路を見つめながら、爆音に負けじと大きな声で何かを喋っていた。



◆ ◆ ◆



 士官食堂で昏倒したニームは、夜の内に後方の軍病院に移送された。

 命に別状は無かったが、頬骨の骨折によってしばらくコックピットに座る事はできず、隊の指揮は次席の大尉が務める事になった。

 わずか数時間の事であっても、そして士官のみが参加した会での出来事だとしても、その話題は基地中の知るところとなっている。

 しかし表面上では誰もその事件の事をお首にも出さず、海軍基地の中を空軍の制服で歩くアッセンブルのスタッフとすれ違っても、敬礼を交わす以上の交流をする者はいなかった。


 その淡白さが好意に根ざしたものなのか、それとも敵意に基づく無関心なのかは判然としなかったが、各々がそれぞれの任務をこなすことだけを考えているようだった。


 計10機の戦闘機を運用するアッセンブルに割り当てられたのは、司令部棟とは主滑走路を挟んだ反対側に位置する格納庫4棟と、そこに付随する形で新たに建てられた専用の待機室だった。

 海軍とは異なる独自の指揮系統に属すためにパトロールや待機任務も無く、しかし、事あらばすぐに出撃できるように、パイロットたちはその待機室に詰めている。


 塗装の匂いも抜けきらない白壁には、壁掛け時計の他に数面のディスプレイ。それ以外にはリナルドの私物であるダーツ盤が掛かっている。

 対面の壁に並ぶロッカーに加え、長机とパイプ椅子はいかにも基地という風情だが、部屋の中央に据えられた、安物の既製品とはいえ新品のローテーブルとソファーセットは、基地司令のマーロンがいかにアッセンブルを歓迎していたかを伺わせた。


「あーあ、せっかくイイ感じだったのになぁ……」


 海軍の軍服に身を包んだ女性士官たちと懇意こんいになりたい。そうした矢先に暴力沙汰で雰囲気をぶち壊されたカルアは、ソファーからトルノに恨みがましい視線を向けている。

 その訴えを「うるせえ」の一言で退けた加害者は、長机に置いた小型テレビに古いアクション映画を映していた。


 それ以外の者はリナルドもガントもネリアも、誰もその事には触れなかった。私的ないさかいは褒められた事ではないが、それで任務に支障が出るようではとてもプロの兵士とは言えない。

 こちらがそうであるように、相手―――海軍飛行隊のパイロットたちにも、その程度の分別は当たり前に求めて良い筈だった。

 だから、気にする事はなにも無い。


「本格的な出撃が始まれば、良いところを見せる機会もあるだろうよ」

「本格的な出撃が始まったら、そんな暇はないじゃありませんかぁ」


 僚機であるリナルドが慰めたが、これはカルアの言い分が正しかった。

 今は敵に大きな動きはないが、来るとなれば一気呵成いっきかせいに攻めてくるのは目に見えている。

 一度戦端が開かれれば、呑気に異性を口説く暇も、また口説かれる余裕もありはしないだろう。


「確かにな。偵察の連中が敵を発見するのが、今日か明日かは分からないが、来週という事はないだろう」


 ガントの言葉は、彼だけでなくこの場の全員が予測する所だ。

 クルカルニは無用の憶測を部下に話さないが、あの全てを見通したような司令官に言われなくても、それは恐らく間違いない。


 だからと言うわけでは無いが、アッセンブルのメンバーたちは交替での休暇を許されていた。今日はマーフィーとチェイニーが非番で、ふたりは揃って外出している。


「チェイニーの亡くなった嫁さんが、マーフィーの姉貴だったか?」

「逆ですよ。マーフィーさんの奥さんがチェイニーさんのお姉さんです。2年前の空襲で巻き添えになったとか。3人は幼馴染だったそうです」

「そりゃ、穏やかじゃないな……」


 誰に聞くでもないリナルドの疑問に答えたのはネリアだった。

 待機室の隅の、トルノとは対角線上にあるソファーでファッション誌をめくりながら、明日の非番にソニアを誘って巡る服屋を物色している。


 マーフィーの妻は、軍港に隣接する商港の管理局員だった。

 貨物コンテナに偽装したランチャーから射出された無人機に奇襲を受けて、混乱に陥った艦隊は指揮系統が機能しなかった。

 艦単位での無秩序な迎撃が始まる。

 無数に打ち上げられた艦対空ミサイルが無人機ドローンの超機動で回避されると、その内の数発が民間の施設に飛び込み、早朝に出勤していた何人かの職員は、味方の流れ弾で命を落とした。


「俺だってカルトンには妻と娘がいる。他人事とは思えない」


 ガントの妻子はロミナ回廊の途中にある街に暮らしている。空軍士官である夫と共に、基地の官舎で生活する事もできたが、軍人には転属がつきまとう。

 学校と友達。まだ10歳の娘に普通の子供としての環境を与えるための別居だった。


「俺も別れたカミさんに死なれるのは寝覚めが良くない。おいそれととされるわけにはいかんな」

「……ああ。まあ、誰でもそうだろうがな」


 嘆息するリナルドにガントが返した通り、誰もが同じだった。ネリアには両親と生意気盛りの弟がいたし、カルアにもやはり、ふたりの姉がいる。


「…………」


 ローテーブルに置かれた黒い筒ジャグは黙ってそれを聴いている。

 仲間たちがこうして話している家族や恋人、友人といった、間柄の近い人々。守るべき者。愛情というような感情が、人工知能である自分には理解できないものであるのは分かっている。


 自己に対してポジティブな影響を与える者を失う不利益が、喪失感と悲しみを呼ぶのか。またはそうなる事を忌避する防衛的な反応が、怒りや恐怖として現れるのか。

 事はそう単純ではない事を、そして自分がその答えに辿り着けない事を、感情を持たないのと同様に、予測はできても想像するという機能がない事を、ジャグは自覚している。


 人間は複雑だ。人間同士でさえ完全な相互理解は不可能であるのに、戦闘用AIである自分にそれをする事など出来はしない。試みるだけ無意味な計算だ。


「トルノのご両親はオリファムだっけ。心配ね」

「ああ、しけたコンビニを経営してるが、指示があれば避難はするだろうけどな……」


 映画から目を離さないまま、ネリアの声にトルノが応える。

 オリファムはガントの家族が暮らすカルトンよりも、デラムロとの国境に近い街だ。

 空軍のパイロットになるのを反対された時から両親と疎遠になったトルノは、月々の給料の中から仕送りをする以外のやり取りはほとんどない。


「俺が敵を1機墜とせば、そいつにやられるはずの誰かが助かる。それが自分の親でも、どこかの誰かの家族でも、兵士でも民間人でも、俺にとっては大した違いはねえよ」


 個人の想いを粉々にして溶かし、戦果と損害という数値に変えてしまうのが戦争だ。

 そして一兵士には、戦う場所も戦う相手も選ぶ権利は与えられない。

 だから、1機でも多くの敵を墜とす。戦果と損害。自分の力がその天秤の傾きを少しでも変えられると信じて、ただ眼の前の敵を撃破する。


 それを聞いたネリアやリナルドは反論こそしないが、ともすれば薄情とも感じられるその意見に賛成する気にはならず、微妙な顔で押し黙った。


「理屈っぽいなぁ。何かこう……もっと他に無いんですか」


 そうカルアが茶化して笑うと、トルノは「ねえよ」の一言だけで、ふんと鼻を鳴らした。


「…………」


 ジャグのインジケーターが赤く光る。


 トルノの言ったことは、人が命を掛けて戦う理由としては単純に過ぎるのかも知れない。それを酷薄、冷徹という者もいるだろう。

 しかし、特定の誰かを想定した感情にらず、戦力の最小単位としての自己が戦局に与える影響を最大化する事だけを目的にする。

 その兵士としてのシンプルさは、ジャグにとって最も理解しやすいものだった。


 そして、そのトルノの思考をトレースする事で学習効率は上がり、戦場での連携はより高度な物へと進歩した。

 クルカルニは、このトルノの性質が人工知能と親和性が高い事を理解した上で、このコンビシャークバイトを組ませたのではないか。

 そんな可能性の存在を認識しながら、しかしジャグは口に出してはこう言った。


「トルノ、もう少し丸くなったらどうだ」


 リナルドとガントが目を見合わせて深く頷く。ネリアとカルアはそうだそうだと声を合わせた。

 アッセンブルの結成から約3ヶ月が経過して、以前はギスギスしていたパイロット同士―――特にトルノとその他の関係も、こうして無愛想を揶揄やゆできる程度には、砕けたものへと変わった。

 トルノが丸くなって始めて、丸くなれと言える空気が醸成されている。


「自分が丸いからって、上からものを言いやがって」

円筒これはただのデザインだ」

「トゲか角でも付けてやるか。カッコよくなるぜ」

「またソニアに怒られるわよ」

「そんな事より、疑似人格をオッサンから女の子に変えましょうよ。人気が出ますよ」

「それはもっと怒られるだろう」

「どうしたカルア。ついに人間の女は諦めたのか」


 舌打ちをしたトルノにジャグが面白くもない答えを返せば、ネリアがそこに口を挟む。おどけるカルアにガントが口元をほころばせると、リナルドがモテない僚機をからかった。


「盛り上がってるわね。何かあったの?」

「トルノはもっと人に優しくすべきって話だ」


 ドアを開いて待機室に入ったミラにジャグが答えた。

 パイロットたちが全員フライトスーツ姿であるのに対して、書類仕事も課されたミラはカーキ色シャツにダークブルーのネクタイという空軍の制服を着ている。


「……本当にそうね。今後は注意なさい、大尉」

分かりましたよ  Aye Aye mom  。少佐殿」


 映画を観ていたトルノの視線が上り、上目遣いにミラを見る。ネクタイの結び目を指でせり上げながら、責めるような視線をミラが返す。

 しかし、他の者には見えない角度で、その口元は微笑んでいた。

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