第33話 最後の切り札

「おのれ、クルカルニめ……!」


 基本的には無人での運用を前提としてるセルケトの内部には、それでも人が操作を行う司令室が存在している。

 完全自動の防空システムとしての信頼性は確かだが、これだけの規模の兵器には最後のコントロール手段としての操縦席は必要だった。


 そして、方面軍司令官であるアマリエはそこにいた。

 非常照明に照らされた赤い空間。壁面に並ぶモニターはその半数がブラックアウトている。鳴り止まない警戒音に神経を掻きむしられ、時折襲う爆発音に怯えていた。


「こんな、馬鹿な。このセルケトヘティトが……お兄様にお借りしたのに……何てこと」


 ぶつぶつと呟く上官にはもはや見向きもせず、脱出手段を求める部下たちの怒号が飛び交う。

 連絡機の発着設備も、緊急脱出用のカプセル射出装置も、物理的な破壊とそれに伴うシステム障害によって、機能不全に陥っている。


「セルケトが墜ちる。デラムロのまもりの要が……」


 無敵と思われた空中要塞が、自分のせいで失われる。これまで無人機を相手に手も足も出なかったアストックの連中に、良いように袋叩きにされて。

 兄はきっと自分を許さない。許可を出したのはその兄としても、一度はいさめられたものを食い下がったのは自分だ。

 アマリエはすでに、自らの死を受け入れていた。


 王族の責務を大義と唱えながら、そのじつは、兄の承認にすがるだけの愚かな女だった。しかし、父王の兄に対する卑屈を醜悪しゅうあくと思えば、理解者であり協力者として側にある事が唯一のアイデンティティだった。

 失敗者の汚名を背負って生きる恥辱ちじょくを恐れたのではなかった。有象無象のさえずる中傷では、彼女のプライドは傷つかない。

 死ぬことは恐ろしくない。兄はきっと、自分の死を惜しまない。ただ、このまま無為に足を引っ張り、兄に無能者とだんざれるのだけが恐ろしく、また口惜しい。


「このままでは、済まさん」


 裏切り者クルカルニの命を冥府の土産とするために、アマリエは操縦桿を握った。



◆ ◆ ◆



 巻層雲が薄くベールをかけた空。陽光が漂う氷の粒子に屈折した光の輪ハローの前を、黒煙の筋が覆い隠した。

 今朝には揚々として空に君臨した威容が、今は見る影もなく打ちのめされ、全身から炎と煙を垂れ流しながら、空中要塞セルケトはそれでも飛び続けている。


《まったく、呆れたタフネスだぜ》

《そう悠長な事も言ってられんぞ。そろそろ基地が視認できる位置だ》


 基地に戻って再爆装した第57飛行隊による対艦ミサイル攻撃が第3次。第19仮設基地から発射した巡航ミサイルが第4次攻撃だったが、それでも敵はちていない。

 すべての対空兵器を虱潰しらみつぶしにし、無人機を掃討した。丸裸になっても進路を変えない敵の執念には頭が下がるが、このまま基地に体当たりでもされては敵わない。


 しかし、それを下方に見下ろして飛ぶトルノとジャグは、現在のところはする事が無かった。

 アッセンブルの他の機体は補給のために基地へ戻り、トルノは続く第5次攻撃を行うジャグの護衛を行っている。


《スカイ・ギャンビットよりレッドロータス。敵の予測航路を送信。D地点ポイント・デルタへ急行せよ》

《待ちに待ってた出番が来たぜ。中隊前進!》


 無限軌道が大地を蹴立てる。急発進の反動に車体を仰け反らせ、13両の戦車が動き始めた。


―――巡航ミサイルによる攻撃で決着がつかなかった時の、最後の切り札が君たちだ。


 セルケト撃破の作戦を説明するブリーフィングでのクルカルニの言葉に、レッドロータス中隊の指揮官マニング大尉は椅子の下で拳を握った。

 陸空共同のブレイクショット作戦において活躍の場が得られなかった欲求不満フラストレーションを、最高の形で発散できる。しかし、その期待の拳は、説明が進むにつれて力を失っていった。


《しかし、戦車やトーチカ相手なら兎も角、自慢の120mmで飛行機を撃つ事になるとはな》


 当然ながら、戦車砲という物は飛行目標を攻撃するための武器ではない。3,000mの有効射程ではほぼ真上に向けて撃たねばならず、しかし、砲身の最大仰角はたったの15度しかない。


 そこで、ALPHAアルファからECHOエコーまでの5箇所に、工兵隊が穴を掘った。


《しかも、味方の掘った穴にケツを……》


 アストック陸軍の主力戦車である”カルダーノ“がすっぽりと入る角度60°の穴に、車庫入れよろしく車体を入れる。すると、最大75°の仰角がとれるという寸法だった。

 D地点へ展開した13両が、一定の間隔で掘られた穴に次々と収まる。車体の半ばを天に向けた戦車隊は、海底の砂地から顔を覗かせるチンアナゴのように見える。


《シャークバイト02よりレッドロータス。射撃諸元はオレが出すから、後はタイミングを頼む》


 戦術データリンクを通じ、射撃に必要とされる諸元データがジャグから流れ込む。


 距離と風速、気温と湿度。さらに地球の自転の慣性によって生まれるコリオリりょくを演算して導き出された予測照準へ向けて、モーター音と共に滑腔砲の砲身が指向する。

 方位を合わせ、仰角を取った先にあるのはただ青い空だった。しかし、いかに速度を失ったとはいえ、高速で飛行する物体を狙撃するには偏差射撃が不可欠だ。


《オレが信用できないなら、神に祈ってみてもいい》


 砲身の可動域が15°では、初撃を外せば目標を追尾する事はできない。誤差を修正するための試射をする暇もない。


 この一撃を外してしまえば、この攻撃で敵が墜ちねば、あの巨体を止める術はない。


《ええい、ままよ! 弾種AP、砲撃開始!》


 轟音が連鎖した。


 衝撃波が枯れ草を薙ぎ倒し、乾燥した表土は濃密な土埃となって舞い上がった。

 天を仰ぐ砲口から飛び出した砲弾はアルミ合金製の装弾筒サボを分離し、安定翼を備えたタングステンの弾体が超音速で飛翔する。

 弾体後端にある曳光筒えいこうとうが光を放つ。砲弾の軌跡が標的に向かうというより、まるで標的がそれを迎えに来たかのように吸い込まれた。


全弾命中フルヒット!》


 空中要塞の装甲が堅固だとしても、それは航空機としての話だ。主力戦車の複合装甲を貫くための徹甲APFSDS弾は紙も同然にそれを貫き、機体内部に破砕片を撒き散らした。

 セルケトが大きく傾く。燃料カットが間に合わずに燃え上がったエンジンは、消火もままならずに炎を噴き出す。


お見事Good shot!》

やったGotcha!》


 トルノの称賛と同時に戦車乗りたちの歓声が湧いた。

 これまで数千人の死傷者を出し、生き残りと生き残りが再編成を繰り返し、開戦前の組織は見る影もなくなった陸軍が、形はどうあれ、敵に一矢を報いた瞬間だった。

 可能であれば、もう一発お見舞いしたい。一発と言わず何発でも、砲弾を撃ち込んで死んでいった仲間の恨みを晴らしたい。それが戦車乗りたちの、偽らざる心境だった。


 だが、それでもセルケトは墜ちない。

 血を流しながら泳ぐクジラのように、満身創痍となりながらも辛うじて高度を保っている。

 アマリエの執念が取り憑かれた巨体は、揺らぎ傾くたびにフラリとコースを取り戻し、緩やかに蛇行しながら基地を目指す。


《しゃあねえな……》


 計画にあった攻撃を全て受けても止まらない敵に、戦場にいる全ての者が息を飲んだ。第19基地の管制塔や滑走路の先端に描かれた「19」の文字が読み取れる場所まで、セルケトが迫っている。


《気は進まないが、ぶつけてでも止めるしかねえ》

《シャークバイト01。許可できません》

《じゃあどうするよ。このままじゃ基地の連中はお陀仏だ》


 万が一に備えて、作戦に必要な人員を除いた全ての者は避難をしている。基地施設にはシェルターもある。しかし、あの基地の持つ戦略的価値を考えれば、このまま手をこまねいて傍観している事はできない。


《よせトルノ。ここはオレに任せろ》


 機首を上げ、急上昇するトルノ機をジャグが追う。高高度からの急降下で位置エネルギーを運動エネルギーに変え、自らを質量兵器とするつもりだった。


《この短期間に3機もおシャカにしたら、さすがにクビになるぞ》

《すっこんでろ。お高い飛行機さまにそんな真似がさせられるかよ》


 ギャンビットの静止を無視して、2機が高度を上げていく。薄雲を突き抜け、ほぼ垂直の飛行機雲が伸びていく。


《その通り、オレは機械でオマエは人間だ。その価値は比較できるものじゃない。それに、この高度からのパワーダイブは人間には不可能だ》

《ついてくんな。もう目の前で相棒が死ぬのを見るのはごめんだ。それに、不可能を可能にするのが俺という男だ》


 空の青が徐々に濃くなる。地上の全てがミニチュアになり、地球の丸みが遠くに見える。


《それは俺も同じ事だ。どうしてもやると言うのなら、ここで撃墜してでも止めさせる》

《お前にやれんのかよ》

《脱出レバーの準備はいいか?》


 並んで上昇していた2機が、左右に分かれて下降に転じる。それは奇しくも、蒼穹に描かれたハートマークのように見えた。

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