第21話 シャークバイト
「ああ、彼女が欲しい」
「オマエは、暇さえあればそれだな……物欲しそうな顔した男に、女は寄り付かないぞ」
赤いインジケータが、チカチカと
ブリーフィングの開始までにはまだ間がある。アッセンブルのメンバーは、直前になるまで現れない事が殆どで、前の席はまばらにしか埋まっていない。
「そうじゃなくて、選択肢が少ないと言うか何と言うか」
デスクに頬杖をついたカルアの不満気な溜息は、何が「そうじゃない」のかは不明だが、彼が言いたいのは、この隊にはろくな女が居ないという事だ。
後方の席からは、大規模な配置転換によってこの基地に配属された、第57飛行団のパイロットたちがそれを眺めている。
まだ若い彼らは、この戦争で生ける伝説と化したアッセンブルに、熱烈な視線を送っていた。
「シャンダルク中尉は美人だけど、ピリピリしてて怖い」
「それは否めない。だが、あれで意外と家庭的らしいぞ?」
赤いインジケータが、チカチカと瞬く。
「アミッシュ少佐は超美人だけど、あのヒト、大佐のオンナだし」
「決めつけるのは早いだろう」
「いーや、絶対にそうだって」
下手をすれば命に関わる危険な発言に、赤いインジケータが短く瞬く。
「ソニアは駄目だぞ」
「ソニアちゃんかぁ……」
カルアがチラリと盗み見ると、ふたりと離れて座るソニアは黙って前を向いている。小さな口をへの字に結び、綺麗に揃えた膝の上では、握った拳が小刻みに震えていた。
「ソニア=アンナ・マーベルって、略すと
「オレの可愛い子ちゃんに文句があるのか」
カルアの言葉に、赤いインジケータが激しく光った。
「縁起が悪いとは聞き捨てならない。上等だ小僧、表へ出ろ」
「ボクはキミの彼女じゃないよッ!」
ついに堪忍袋の緒が切れた。椅子を蹴立てたソニアが声を荒らげると、やはりインジケータが光る。
「そんなにカリカリするなよ。可愛い顔が台無しだぜ」
カルアの話し相手は、ジャグだった。
◆ ◆ ◆
「お並びの
数日前、トルノの休暇が明けた。その日のブリーフィングでジャグの放った第一声に、その場の全員が仰け反った。
「こいつは傑作」
クルカルニが笑いを噛み殺す。その横のミラは手のひらで口元を隠したが、目が笑うのは隠せなかった。
「ずいぶんイメチェンしたんだな」
先日の模擬戦で敗れたリナルドが、顔の傷を引きつらせて笑うと、カルアが肩を
マーフィーとチェイニーが笑い転げる。ガントとネリアは呆気に取られる。それを見たトルノは、満足そうに頷いた。
「ウケたぜ」
「ボクのジャグが不良になった! 声まで変わってる!」
自失から立ち直ったソニアは、絶叫と共に膝から崩れ落ち、天を仰いで絶叫した。爽やか若手俳優風だった声は、ベテラン俳優のそれに取って代わられ、苦み走った渋さを醸し出していた。
拉致されたジャグが、不良パイロットに洗脳された。どうにか勝ち取った面会の時にはこんなではなかったのに。その慟哭はブリーフィングルームに響き渡った。
「ジャグには口止めしておいたからな」
「サプラ~イズ」
「サプライズじゃないよ! 騙し討ちって言うんだよ!」
「騙し討ちはDeception、Surpriseは不意打ちというべきだ」
「そんなの、どっちでもいいよ!」
ソニアは確かに驚いた。絶望の
この期に及んでは、研究所を通して軍部にクレームを入れると息巻くソニアを、半笑いのクルカルニが
「自分の事を『ワタシ』なんて言うスカした奴と、コンビなんか組めるか」
「参謀総長でもブン殴ってやる。でも、
戦時の国家プロジェクトを、自分好みにカスタムしたトルノがニヤリと笑い、追い打ちを掛けてジャグがふざける。
ふたり掛かりで
その様子に、思わずネリアも吹き出した。
その拍子に、トルノと視線が交差した。
先日の食堂での
それが「すまなかった」なのか、それとも「気にするな」なのか、ネリアには分からない。恐らく、その両方なのだろうと思う。
恋人だった頃は、幾度となく喧嘩をした。トルノはその度に、こうして目を見て瞬きをする。
それだけだ。口に出しては何も言わず、許したと同時に許された気分にさせられる。それ以上の追求は
ただし、喧嘩の原因は九割九部がトルノにあるのだ。それでこちらが許されるというのは少し腑に落ちない。しかし、それがふたりの関係だった。
「そういうズルい所も、変わらない」
口に出さずに
ただ、それは少しだけ、楽しい事だった。
◆ ◆ ◆
「開発者を
「オマエはオレのオフクロか」
どちらかと言えば、そちらの方が合っている。
クルカルニが匿名で持ち込んだ基礎理論を
しかし、若い身空でありながら、かつ
ソニアがぐぬぬと
リナルドが「調子はどうだ」と声を掛ければ「悪くないよ」とジャグが返す。
ネリアが「おはよう」と挨拶すれば「いい朝だな」と挨拶を返す。
後方に陣取るパイロットたちは、ポカンとしながらそのやり取りを眺めている。
「おはようさん。お、今日は新顔がいるな―――ようこそ。ここが地獄の一丁目だ。
「違いない。敵にとってもオレらにとっても、ここは確かに地獄だぜ」
芝居掛かったトルノの台詞に、ジャグが乗る。
―――トルノ・バンクロイド中尉。
200を超える敵ドローンを
その男が、ネリアに
驚異の空戦人工知能が、赤いランプをピカピカさせて、ファミリーコメディのような台詞を吐いている。
違う。かなり。イメージが。
かなりどころか大幅に違う。かけ離れていると言ってもいい。
凄腕パイロットの人物像を、勝手に頭に思い描いていた57飛行団のパイロットたちは、目の当たりにしたトルノと想像との落差に、
そして、トルノにとっては失礼な事に、少なからず失望もした。しかし、良くも悪くも、わずかに希望も湧いてきた。
このユルい感じなら、俺たちも生き残れるかも知れない。最前線にやってきた若者たちの表情に、微かな余裕が生まれた。
「
入室してきたミラの一喝で、コメディショーは終わりを告げ、
しんと静まったブリーフィングルームにクルカルニが現れ、誰かの喉がゴクリと鳴った。
若き空軍大佐にして、無敵の航空特殊部隊“アッセンブル・スピアオレンジ”の司令官。短く刈り込んだ銀髪と、猛禽のように鋭い眼光は、新人パイロットたちを
「ようこそ諸君。ここが地獄の一丁目だ」
…………クス。
最初が誰なのかは、分からない。
しかし、後方から漏れ出た笑いが、防音壁を震わせる大爆笑になるまでに、わずかの時間も掛からなかった。
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