第29話 オクトパスの日
大きくうねる水流に動きを封じられた私たちは、室内に積まれていた段ボール箱と共に否応なしに外に引っ張り出された。
「う……これっていったい……」
驚いたことに密閉には程遠いはずの廊下も腰の高さまで水に漬かっており、その奥で見たこともない生物がこちらを向いて漂っているのが見えた。
――ツエヲコチラニヨコセ
「なっ、なんなのあれっ」
私は回転する箱にしがみつきながら、仲間の安否を必死で確かめた。怪物と自分との間に見えたのは箱にしがみついているリサとあゆみ、そして二人に手を掴まれることでかろうじて流されずに済んでいる勇吾だった。
――久里子さんは?ヒッキは?
私は段ボール箱にしがみつきながら焦るあまりパニックに陥った。真っ先に助けなければいけない立場の自分が水に弄ばれている状況は、ふがいないとしか言いようがない。
――とにかく私も杖と伊妻さんを守らなきゃ。
私は自分に厳しいミッションを課すと、流れに抗うように手や足が触れている部分の水を掻いた。
だが近づくどころか私たちの距離はどんどん離れ、やがてひときわ大きなうねりが来たかと思うと勇吾たちの姿を一瞬で消し去っていった。
「いやーっ」
水面から体を半分ほど覗かせている怪物は、でっぷりとした海獣にタコがくっついたような異様な姿をしていた。お腹のあたりにあるマイナスネジのような目がこちらを見たと思った瞬間、ざばんと言う音と共に吸盤のついた触手が水面から姿を現した。
――伊妻さん!
触手が縛めていたのは、杖を握りしめたままの勇吾だった。まずい、と私は思った。このままでは杖と一緒に連れ去られてしまう! 私の全身を絶望が貫いた、その時だった。
「――ボス、避けて下さい!」
背後からの声に振り返ると、ビッグサイズの収納ボックスに乗った古森と久里子さんがボートのように水を掻きながらこちらに突進して来るのが見えた。
「その人を放しなさいっ!」
古森は怪物に向かってそう言い放つと、むしり取るように眼鏡を外した。
「……ぐぎっ」
古森の目が銀色に輝くと怪物の動きが止まり、勇吾を捕えていた触手が緩んだ。
――『メデューサの目』だわ!
私は久しぶりに見る古森の特殊能力に思わず唸った。古森は視る者の中枢神経を麻痺させる視線『メデューサの目』と、視る物を燃え上がらせる『サラマンダーの目』という二つの特殊能力を持っているのだ。
私は段ボール箱を手放すと、水中に没した伊妻を助けるため必死で水を掻いた。やがて無我夢中で伸ばした手が伊妻の手首を捉えた瞬間、どさりと身体が床に落下する感覚と大量の水が一瞬にして消え失せる気配とを感じた。
「――えっ?」
次に私が見たのは水のない廊下でうねうねと触手をくねらせている怪物と、水があったことを示すように濡れて散らばっている大量の段ボール箱だった。
「ぎ、ぎ、ぎ」
怪物は私たちの目の前で縮み始めると、あっという間に水族館のタコくらいの大きさに姿を変化させた。
「……こいつも『グライアイ』が差し向けた『キメラ』なの?」
私が陸に打ち上げられた軟体動物のような敵におそるおそる近づくと、不意に近くの扉が開いて小柄な人影が姿を見せた。
「そいつに触るんじゃないよ」
早い足取りで怪物に近づき私を牽制したのは、真夕子のマンションに現れた敵とそっくりの女性だった。
「あなたは……」
「あたしは『グライアイ』の一人『エニュオー』さ。命拾いしたね探偵さん。……だが私たちに逆らっても無駄だよ。『雷獣の杖』は近いうちに必ずあたしたちが頂くことになる。覚悟おし」
エニュオーと名乗る女性は床の上でもがいている『キメラ』を拾い上げると「楽しみだねえ」と言った。
「楽しみ?」
「映画の関係者か何か知らないが、あたしの分身があんたたちの大切な人を『純血種』への貢ぎ物に決めたのさ。楽しいじゃないか」
「大切な人……まさかライル監督?」
「ふふん、返してほしければ『古代種の聖洞』まで来ることだね。もう一本の杖と交換と行こうじゃないか」
エニュオーはそういい残すと、『キメラ』を抱えたまま建物の外へと姿を消した。
「まさか監督が……」
絶句する私の傍に小柄な影が近づいてきたかと思うと、「やれやれ、絶体絶命は映画の中だけにしといてもらいたいもんだねえ」と言った。
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