第30話

──迎えに来るから。ゆきちゃんが、待っているから

 それは、呪いの言葉に聞こえた。

『雪絵はそんなこと望んじゃおらん。華絵がそう思い込んどるだけじゃ』

 雪絵の父は、震える声でそう言った。

 見つかったとき麻美は、凍傷と低体温で酷い状態だったらしい。けれど、腕の中で温められていた真咲は何事もなく、安心したように、すやすやと眠っていたと聞いた。

 華絵は、その日を境に姿を消した。吹雪にい死んだと思われたが、春になっても遺体は見付からなかったのだという。

 真咲はその日の出来事を全く憶えてはいなかった。麻美も何も話さなかった。忘れてしまえばいい。もう思い出すことなく消えてしまえばいい。そう願った。

──おかあさん!

 華絵を呼ぶ真咲の声。母をしたい、精一杯手を伸ばす姿。

 思い出させてはいけない。そう思った。理由などなかったが、それは確信に近かった。真咲が母を恋しいと思ったとき、華絵はまた現れる。そうなれば、もう止められない。守らなければ。何としても。


 邦彦の認識はもっと現実的なものであったが、彼もまた雪絵に関する事柄ことがらから真咲を遠ざける選択をした。行方不明とされた華絵が、いつまた真咲に危害を加えるか分からない。そう考えた邦彦は雪絵の実家と距離を置くことに決め、雪絵の両親もそれを承諾しょうだくした。雪絵に関するものは全て箱に仕舞しまい、納戸なんどの奥へ押し込んだ。彼女の話はタブーとなり、誰もその名を口にすることはなくなった。邦彦の母がうっかり口を滑らしたことで、出生についての事実を話さなければいけなくなったが、真咲の反応は恐れていたものとは違い、麻美は胸を撫で下ろした。

 けれど、少しずつ呪いは進行していたのだ。真咲は原因不明の眩暈を起こすようになった。じわじわと何かがうごめき出す気配を、麻美は目を閉じ耳をふさいでやり過ごした。

 真咲が中学受験を終えた頃、正式に邦彦と結婚した。以前から何度か話はあったが、その度に断っていた。押し切られた形ではあったが、籍を入れた理由は、真咲にまた変化があったからだ。

 いつからだろうか。真咲の眼差しに痛いほどの悲しみを見るようになったのは。遠くに意識を飛ばし、失った過去を探すような。あった筈の幸せを懐かしむような。

 自分が母になることで不吉な流れを変えられるかもしれない。そんな、思い上がった気持ちがあったことは否めない。

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