第28話

 赤ん坊は真咲まさきと名付けられた。雪絵が決めていた名前だ。

 麻美は大学を休学し、邦彦の実家に住み込む形で真咲の世話をすることになった。もちろん親には反対されたが、麻美はがんとして自分の意志を通した。

 弱々しく小さな存在。けれど生きていることを主張するように泣き声を上げる。まだ人になる前の天使のような寝顔。背中にそっと羽根を探した。ミルクを飲みながら麻美を見詰める無垢むくな眼差し。寝返りが打てた。いをするようになった。その一つ一つに、たまらない喜びを感じた。

 夜泣きに眠れず、熱を出す度に、死んでしまうのではないかと怯えた。辛いと思わなかったのは、周りの手助けと感謝の言葉があったからかもしれない。麻美は母ではない。無関係な善意の人であるから。そう思うと少し淋しかった。自分がずるいようにも思えた。

 真咲に少し手がかからなくなってから大学に戻り、何とか卒業だけはした。邦彦の昇進に伴い転勤の辞令があったとき、悩んだ末に、真咲を連れて付いていくことにした。反対されるかと思ったが、意外にもすんなり、それは受け入れられた。周りの思惑通りと言っていいのだろうか、内縁の関係になるには、さほど時間はかからなかった。

 邦彦と麻美と真咲。傍目はためには本当の家族のように見えた事だろう。麻美は幸せだった。けれど、この幸せは本当は雪絵のものだ。そう思うたび罪悪感が募った。邦彦に愛され可愛い真咲を抱きしめるのは、雪絵でなければならない。そんな思いが消えなかった。

「これは、だれ?」

 写真を見付けた時、真咲の心の中に雪絵が宿ったのが分かった。

「これは、お母さん」

 それでいいと思った。真咲は雪絵のものだ。どんなに愛しても、自分の子供ではないのだから。

 そして、その日はやって来た。

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