第23話

 一目で分かった。そう言われた。

「雪絵が生きて戻って来たようじゃ」

 祖母もまた涙を零し、声を震わせた。

 初めまして、と言いかけて、真咲は言葉を選び直した。

「ご無沙汰してます」

 この挨拶でよかっただろうか。生まれた時に会っているのかも知れないけれど、真咲の記憶には二人の顔は無かった。

「十年ぶりじゃな」

 祖父はそう言って目を細めた。


「何もありゃせんが」

 祖母の手料理でもてなされ、家のこと学校のこと、あれこれ聞かれて答えているうちに夜になった。母について尋ねたかったのだが、嬉しそうな祖父母に切り出すタイミングを見付けられなかった。祖父は久しぶりに酒を飲んだようで、ほんのり目元を紅くしていた。

「ほんに、よう来てくれた。今日はええ日じゃ」

 真咲は自分の思い込みを笑いたくなった。母が迎えに来たなどと、何故思ったのだろう。祭りで見た幻覚も、夜ごと現れた悪夢も、すべては脳が作り出したものだ。授業中の雑談や、肝試しで聞いた怖い話、それらが頭の中で混ざり合い作られたのだ。


「風呂が沸いたから入りんしゃい」

 祖母に案内してもらいながら浴室へ向かって歩いていた真咲は、ふと見覚えのあるものを視界に捉えて足を止めた。廊下の曲がり角にあるそのふすまは、茶色く変色した地に白い花びらの模様が描かれている。襖の端が釘で止められているのが気になった。

「ここは?」

 尋ねると、祖母は少し動揺したように見えた。

「開かずの間じゃ」

 そう言った後、慌てて「物置じゃ」と言い換える。何となく気になりながらも、真咲は促されるままに廊下を進んだ。

 少し熱めの風呂から上がると、白い浴衣が用意されていた。にえの儀式で着たものを思い出させるが、帯は淡いピンク色だ。母が着ていたものかも知れない。真咲は少しだけ脈が速くなるのを感じた。


 居間に戻ると、祖母が桃のネクターを出してくれた。

「家出してきたのか? 麻美さん、心配しとったぞ」

 受話器を置いた祖父が笑う。

「明日迎えに来てくれるそうじゃ。今日はもう遅いから、ゆっくりすりゃあいい」

 既に陽はとっぷりと暮れ、一日一本しかないバスも、とうに終わっている。もし辿たどり着けなかったらどうなっていたことか。真咲は向こう見ずな行動を今更いまさらながら反省した。

 昔風のグラスに入った淡いピンク色の液体は、とろりとした甘みが喉に心地良かった。

「美味しい」

 真咲が言うと、祖母は嬉しそうに笑った。

「雪絵も好きやったんよ」

 その眼にまた涙が浮かんでいるのを見て、真咲はもう母のことを詮索せんさくするのは止めようと思った。母はここで愛されて育ち、父と結婚して真咲を産み、そして亡くなった。それが真実なのだ。祖父母が語る思い出話だけに耳を傾けよう。母はきっと、そのために真咲をここへ呼んだのだから。

 安心したら眠くなった。目を擦っていると、祖父の手が頭を撫でた。

「奥の広間しか空いとらんが、一人で寝られるかの?」

「お父さん、小さい子やないんじゃから」

「おお、そうじゃったな」

 祖母にたしなめられ、祖父はそう言って笑った。

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