第5話

 期末試験の最終日、待ちかねたようにクラブ活動へと赴く同級生たちを尻目に、真咲はぼんやり窓の外を眺めていた。所々に水溜まりの残ったグラウンドでは、運動部員たちの掛け声が響いている。中高一貫校なので、中三の夏と言っても生徒たちは呑気のんきなものだ。教室には数人の女生徒が残り、お喋りに花を咲かせている。

「古文の最後の問題、笑ったよね。まるでエヴァじゃん」

「あれって配点あるのかな? 授業で脱線したときの話なのにさ」

 宇治拾遺物語うじしゅういものがたりについて正しいものを選択せよ、という設問である。三つの答の中から正解を選ぶのだが、選択肢の内容がふざけていた。

① 平安時代前期ごろに成立したとされる説話せつわ集であり、百九十七の話から成り立っている。

② いくつかの説話は、小泉八雲の『怪談』の元となるなど、後世の文学にも影響を与えている。

③ 謎の人物により『宇治大納言物語補完ほかん計画』として作られたものである。

「①と②とで迷っちゃった」

「小泉八雲はありそうだもんね」

「雪女とかね」

「安倍晴明は平安時代だから、やっぱ①じゃない?」

 宇治拾遺物語には、晴明の出て来る話が幾つかあった。式神を使い、呪詛じゅそ返しを行う。けれどこれは引っ掛けだ。宇治拾遺物語が作られたのは、十三世紀前半とされているから、鎌倉時代である。よって、①は誤り。次に、宇治拾遺物語を元にして書かれたといわれているのは、『羅生門らしょうもん』や『芋粥いもがゆ』など、芥川龍之介の短編である。だから、これも間違い。問題は③だが、宇治拾遺物語は、『宇治大納言物語』という物語集から漏れた話を集めたものとされている。『補完計画』というのは間違いではない。編著者は不明だから謎の人物によって作られたという言い方も出来る。つまり正解は③なのだ。

「安倍晴明、カッコいいよね」

 女生徒の一人が顔の前で指を動かし、式を打つしぐさをする。正解がどれかなど、もうどうでもいいらしい。

 平安時代、夜がまだ途方もなく暗かった頃に暗躍あんやくした、呪いという不可思議なものは、現代においても何故か人の心を惹き付ける。

「呪いって、自分が呪われたと気付くことで効力を発揮するんだって」

「何それ。暗示みたいなもの?」

「呪われてるって思うことで、本当に病気になったりするの」

「本当かなあ?」

「そうみたいよ。何かの実験でね。三回に一回木槌きづちで指を叩くというのがあって、もう限界だというときに三回目を空打からうちしたら、叩いてもいないのに指がつぶれたんだって」

「嫌だ怖い。何それ、旧日本軍の拷問とか?」

「怪我や病気は外的要因じゃなくて脳が引き起こす生体反応なんだって。物理的に潰れるんじゃなくて脳が潰れろって指令を出すの」

「その話、どのサイトで見たの?」

「忘れた」

 不気味な話題にも関わらず笑い声が上がる。彼女たちにとっては、すべてが雑談の材料に過ぎないのだ。

 呪いとは、相手に暗示をかけることによって、不自然な生体反応を引き起こすもの。

 そう言えば、怪異は脳が引き起こす幻覚だと聞いたことがある。点が横に二つ並んで入れば、脳はそれを目だと認識する。壁の染みが人の顔に見える。脳が誤作動を起こすのだ。電磁波等の影響下にあったり不安定な精神状態であれば、それは顕著けんちょになる。幻覚や幻聴。そして、ありもしない筈の手が肩を叩く。

──おいで

 ふと誰かに呼ばれたような気がした。教室が急激に回り始める。妙に恍惚こうこつとした、魂が肉体から抜けるような不思議な感覚の中、急激に意識が遠のいていく。遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。

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