第2話
「真咲くん、お帰り。どうだった?」
母の
「ただいま。これ、お土産。ドーナツ」
「まあ、ありがとう」
嬉しそうな麻美の声を聞きながら、脱いだ靴を揃えて
「ドーナツは、おやつに頂きましょうね。う~ん、やっぱりデザートにしようか」
食の細い真咲のために、テーブルには食べやすいものが並んでいる。冷奴、お浸し、出汁巻玉子、五穀米のおむすび。これならドーナツがデザートでも大丈夫そうだ。いつも体重を気にしている麻美だが、甘いものには目がない。きっとまた一度に二つ食べるんだろうなと思いながら、真咲は食卓に着いた。
「検査結果は?」
改めて麻美が尋ねる。
「異常なし」
真咲の答を聞いた麻美は、ほっとしたように笑って、テーブルに置いた包みを開けて中を覗き込んだ。
「わあ、可愛い。美味しそう」
動物の形を
「先に食べる?」
真咲の言葉に一瞬目を輝かせた麻美は、「だめだめ」と自分に言い聞かせるように呟き、包みを冷蔵庫に入れに行った。
「麻美さん」
頂きますと手を合わせた後、吸い物の椀を手に取る前に真咲は呼びかけた。
「なあに?」
麦茶を入れてくれた麻美が、水滴の付いたグラスを真咲に差し出す。受け取ってテーブルに置き、真咲は言葉を継いだ。
「検査、そろそろ止めにしたいんだけど」
「駄目よ」
即座に否定され、真咲は驚いて麻美の顔を見詰めた。
「お父さんが、検査だけはきっちり受けるように言ってたでしょ。面倒くさくても、行かなきゃ駄目」
申し訳なさそうに眉を下げて、麻美は目を伏せた。グラスの中で氷が小さな音を立てた。
麻美が真咲の父親と正式に結婚したのは、一昨年の事だ。
「検査、辛いの?」
心配そうに麻美が尋ねる。
「ううん、辛くないよ」
そう言って笑う真咲の顔を見詰め、麻美は何故か小さく溜息を
聴力検査の中の一つ、雑音の中で高音から低音まで電子音を聞き分けるテストがある。雑音と言っても不快なものではなく、自然の、ヒーリングに近い音が多い。その中に一つ、堪らない郷愁を感じさせるものがある。真咲はその音を聴く度に、何か大切なことを思い出せそうな気がするのだ。けれど、もう少しというところで、いつもプ・プ・プという電子音がそれを遮る。ヘッドホンを外され目を開けた瞬間に襲ってくる、見知らぬ場所にいるような奇妙な感覚。
「真咲くん……」
麻美が言いかけて止めた言葉を、真咲は聞き返すことはしなかった。
──真咲くん、悲しい?
幾度となく言われた言葉。その度に否定しても、忘れた頃に麻美はその問いを口にする。
真咲は現実に不満はない。ある意味退屈ともいえる、
真咲が現実との乖離を感じた時、いつも麻美は「悲しいのか」と尋ねるのだ。
僕は、そんなに悲しそうな顔をしているのだろうか。
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