腐ったミカンに口づけを
トリスバリーヌオ
1話 死人、ガラス
割れたフロントガラスが腕に当たって「どくどく」と血が出ています。
ブロック塀にぶつかった衝撃、幸いなことにエアバックで何ともありませんでしたが、おしゃかになったエンジンからスモークが垂れ流しで、少しせき込んでしまいました。
こんなことなら、無理にでも訴えるべきでした。
よだれを垂れ流しながら軽トラの窓を叩いている、初めてできた大学での友人。
今はただの腐った肉塊でしょうか。
―――――――――――――
「シャン」と鈴の音がなります。
それは歩くたびと言っていいかもしれません。
苔むした茶色の階段は、手すりがなければ毎年誰かを殺していることでしょう。
死人が人を死人に変えていた、あの夢は、ただの妄想なのでしょうか。
鳥居をかたどった粘土のような物は血液みたいな赤色が落ちて、オレンジ色になっています。
視点を変えればこれもまた、手すりがついている階段のように不幸中の幸いで、興があるかもしれません。
「嫌いを表して個性を勝ち取る!」実に良い響きです。
ですので私はこの神社が嫌いだと宣言します。
でもでも草を取らないと次の日には更にひどくなってしまうので「結局の所諦めが肝心だ」なんて、お天道様と母が言っています。
「どうしてこんなに腰をペインペインに……」とお尻に手を当てます。
はしたない行動、お母さんが見ていたなら「はしたない!」と叩いてくることでしょう。
「どうして、私がこんな目に」
世の中の不条理を嘆いているこの私は、たとえ腰を頭を腕を「ぽりぽり」とかいていても、世で最も頭の切れる女なんて人から評価されるはずです。
だってこの世界の不思議に気づいているんですから。
明日、もしくは今日、はたまた来年、10年後、世界は終わってしまいます。
どうも私には未来がわかるようです。
いや、これだと
それは「とってもリアリティーあふれる幻覚を見た、というのが根拠として挙げられる」と言った方が正しいかもしれません。
いろんな人に伝えてみたりしましたが馬鹿にされるだけで、本当に嫌気がさすばかりですが。
私はよく幻覚を見ます。
おねんねして見る夢のことを勝手に幻覚だと言っているだけですが。
例えばペットの犬が亡くなってしまうシーンを、丁度1年前に見ましたし。
近所に住んでいた婆さんの認知症が治るだとか、些細のものでいえばヘビが雷に打たれるとか、色々見てきました。
もし、母が私の話を聞いたりしたら寄り添って、頷いてくれること間違えありません。
病院に連れて行こうとするのは目に見えてますが。
兎に角、世界が終わったなら予言は当たったということになり「頭が切れる女」になる。
たったそれだけの事で、当然のことです。
そうなってほしくはないですが。
手袋が薄汚い茶色に鳴った頃、ちょうどお天道様が真上にやってきました(額に水がついているのはご愛嬌というものです)。
私は今、毛むくじゃらの緑を眼前にして軽い達成感というものを感じています。
抜いた雑草の下に乾いた土があります。
少しだけ不快です。
だけれど畑のおじいさんからすればどうでも良いことでしょう。
これをどうやっておじさんのところに運ぶかが毎年の悩み事というものです。
手で運ぶにしても時間と体を浪費してしまいますから。
何時もなら時間を見計らったくらいのタイミングで都会から参拝する人が来るのですが、奇跡はそう簡単には起きませんね。
眉間にシワを寄せて「うんうん」と唸るのは自明の理というものです。
近くにあるねずみ色の墓標? そのそばにあるこれまたねずみ色の何かに腰掛けました。
罰当たり。
そんな先生の言葉が聞こえてきました。
案の定、私には神様だとか宗教的なアレはあまり興味がありませんでしたし、もしかしたら私を放置して遠くに行ってしまった先生に少しばかりの、復讐をしたかったのかもしれませんけど。
疲れてただけなのかもしれませんが。
はい。
ここへ掃除に来ると、先生のことを思い出します。
「あんたは私みたいになるなよ」
その言葉とクマ除け用の鈴を残して、母は亡くなってしまいました。
あまり頭が良くない私は「よくわからない」と回答する他ありませんでした。
今思うと「わかった」とかいうべきだったと思います。
ですが、何故だか満足そうな顔をしていた気がします。
今となっても訳が分からないのは、母が完璧な女性だったからでしょう。
頭の良い人は難しいことを言います。
それはちょうど五年前、今くらいのしゅわしゅわラムネが美味しく感じる、熱いお昼の時間でした。
「わっせわっせ」と雑草を両手に抱えて上り下りをして、それが終わったころ。
ちょうどお昼御飯を食べたいと思う時間になりました。
要するに「はら減った」です。
―――――――――――――
あのあと熱中症で体調を崩してしまいました。
これを好機と捉えた私は療養を大義名分とし、引きこもることを心に誓いました。
大義名分があっても無くても誰かから罰を受けるなんてことは一切ないのですが、母のしつけのせいか、罪悪感という物を感じてしまうのです。
ですので、それが必要でした。
母から受け継いだ実家? の方はクーラーの無い、はっきりいってただの棺桶のようなものでしたから、当然都会にある一軒家でのんびりしようと思いました。
お金の方は母から受け継いだ資産が凄い額だったので問題ないのですが、そうですね……神社の方は、まあ、あれです。
私的な長期休暇が終わればいずれ……
本を閉じて空腹に喘ぐお腹を「サスサス」します。
「そろそろ、備蓄がなくなりそうですね」
カップラーメンに次ぐカップラーメン。
こんな外的要因がなければ私はきっと何十年とこの場に居座り、無限に本を読むだけの機械とかしていたことでしょう。
ですがこんなところで餓死しては笑いものですから。
外に行く他ありません。
布団から出たくはないですが、仕方のない事です。
約一週間ぶりの外ですがどんな服を着ていきましょうか。
ここは無難にジャージで良いでしょう。
「シャッ」とカーテンを開けます。
良い日の光です。
部屋のLEDも良いですがこの自然光もまた格が違いますね。
「スンスン」と自分の髪を匂ってみました。
少し臭いです。
お風呂に入ってから行きましょうか。
体に良い匂いをまとわせ「レッツ社会に」を心に秘めて、あの忌々しい荒波にもまれるとしましょう。
と言っても近くのドラッグストアに向かうだけなのですが。
玄関を開けて「テクテク」と軽トラめがけて歩いていきます。
母のおさがり軽トラです。
エコカバンを助手席に「ぽつん」とおいてスポーティーな鞄は肩から下げたままエンジンをかけました。
ディーゼルの気持ち良い振動音です。
―――――――――――――
右手首から先がない。黒く固まり変色した油のような断面。
片目は上を向き充血した白い部分が全体の9割を占めています。
ぶつぶつした赤の斑点が顔半分を覆っています。
死肉を目の前にして、ガタガタと体を震わせる以外の選択肢、そんなもの私にはありません。
強いて言うなら、腕を止血するくらいでしょうか。
「今日は道路が空いているな」「路上駐車が多いな」くらいの疑問を浮かべていた、のんきな一時に戻れればと強く思っています。
路上に人が飛び出てきて無我夢中でハンドルを切ったら、こんなことになってしまいましたから。
力強くたたかれる右のガラスは今にも割れそうで「私の寿命を表しているんだな」と他人事のように感じる余裕、そんな物なんて一切なく、本当に胃がキリキリして吐いてしまいそうです。
なにか手を打たなければ私は死んでしまいます。
何をしたら良いのでしょうか。
こんな非力な女に何ができるんでしょうか。
カバンの中にある母からの形見(ガラケー)で戦う?
そんなバカはいません。
クマ除けの鈴を「シャン」と鳴らす?
頭でも狂ったんでしょうか。
反対側の扉を開けて逃走する?
ひしゃげて開きません。
無駄な迷走を続けたところで何も変わらないという、当たり前な事実は、わかりました。
ですが! どうしろと!!
ほ、本格的にガラスが割れそうです。
とりあえず助手席の方へ行きます。
ガラスの破片が太ももに当っているのですが、心臓がバクバク言って、アドレナリンがあるおかげか、あまり痛くはありません。
あ、ああぁ。
もうダメです。
これは本当にダメです。
諦めるしかないのでしょうか。
私はここで死ぬのですか。
まだやりたいことなんて山ほどあるのに。
死にたくないです。
「うぅ……」
情けない声が口から漏れました。
ですが誰も助けてくれません。
いや、違う。
私が助けを求めていないだけです。
だって怖いんですから。
仕方ないじゃないですか、私の声につられて同じような化け物が出てきたら。
「シャァ」
変な音が聞こえてきました。
猫ちゃんの威嚇する時みたいな。
「え?」
い、いや、本当に猫です。
なんでこんなところに!?
「シャアア」
今度は「シャー」と言いました。
こっちを見て「早く逃げろ」と言わんばかりに鳴いてます。
「あっ」
猫が飛び出してきて軽トラの方に走っていきます。
危ないです。
またも「シャッ」と叫びました。
化け物に向かって言っているようです。
何度も叫んでいます。
そのまま猫は化け物に襲い掛かりました。
爪を立てながら引っ掻いたり、噛んだりしています。
その度に化け物は悲鳴を上げているように見えます。
私にとってそれはヒーローのようで、希望でした。
ですが、それはあっけないものでした。
猫は化け物の反撃を食らい。
「ぃや……だめ……」
私は動けませんでした。
「ニャウゥ」
弱々しく起き上がりました。
腹から内臓が飛び出て血だらけです。
それでも立ち上がります。
私は見てることしかできません。
「ミャー」
もう一度だけ小さく鳴きました。
そして動かなくなりました。
「あ、あ、あ」
私は泣いていました。
涙を流すことくらいしかできなかったのです。
「ごめんなさい」
私は呟いた後「次は私があのようになる」そのように強く認識させられました。
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