第8話 ゴブリンの首塚
若い女を生け贄にして、災厄をさけようとする風習は、悲しいことに、この世界ではいたるところに存在します。
ゴブリンの首塚と呼ばれる場所も、かつてそのような風習のための、祭壇のひとつとして使われていました。村の
ゴブリンに殺される? 食べられる?
いいえ——
想像するのもおぞましいほどの、悪夢のような目にあわされるのです。
第8話 ゴブリンの首塚---------------------------------------------------
ダンジョンの部屋にはいるときに、まずすべきことは、潜んでいる魔物がいないか全神経を集中させること——
それはおとずれる冒険者が絶えた、この『廃ダンジョン』においてもおなじだ。油断してはならない。
ましてやここは『ゴブリンの首塚』という異名がつけられた場所。
格段の注意が必要だ。
ぼくは部屋のドアに背中を押しつけると、ゆっくり内部を覗き込む。いつでもからだを翻して、逃げ出すことができる体勢を保ったままだ。
室内はぼろぼろに朽ちていた。
天井や壁の一部が崩落して、床に
なにかの気配——
魔力を研ぎ澄ませる——
ねっとりと絡みつくような、生理的に受け入れがたいなにかいやな感覚が肌をなめる。奥になにかがいるのはわかったが、いますぐ襲ってくるような兆候は、すくなくとも感じられない。
ぼくは指をパチンとならした。
空中にぼうっと火の玉が浮かびあがる。
初歩的な火炎魔法。
ゆらめく炎がうっすらと、部屋のごつごつとした壁を照らしだす。
部屋のおくのほうに、ぼんやり人影が浮かびあがった。
スカートの裾からのぞく青白い足、か細い腕、そして怯えた表情の女性の顔。
トレンシー・マデール——
まちがいない——
だが、ぼくはすぐには部屋に踏み込まない。
彼女をおとりにしたトラップが仕掛けられている可能性を、ぼくは排除しない。
腰にたずさえた剣に手をかける。
いつでも突き出せるようにしっかりと握りしめている。
「トレンシー、トレンシー・マデールさんだね」
ぼくは室内で響きすぎないよう、抑制をきかせて呼びかける。
「ぼくはホルト・クロイツ。ふもとの村のひとたちに頼まれて、きみを開放しにきた」
返事はない——
声帯がやられているか、なにかしらの魔力でことばを封じられているか……
「トレンシー、今からそこへむかう」
ゆっくりと半歩前にふみだす。
「教えてくれないか?。まわりになにか潜んでいないかい?」
「ゴブ……リン……が……」
うめくような
「ここにゴブリンがいるっていうのかい?」
ぼくは足の裏で地面をまさぐるようにして、もう半歩だけからだを前にだす。だが、いつでも外へ飛び出せるよう、上半身は入り口側にむいている。
「ゴブリン……が……」
ふたたびトレンシーの声。さきほどよりすこしまともだ。
「ゴブリンはここにはいないよ、トレンシー。ぼくの『霊視』スキルでは、ここにはきみ以外はいないことになってる」
「でもいるの……」
「いない。いないんだ。トレンシー。ぼくは生きているものを察知するスキルがある。すくなくとも、この部屋には生きているものはいない」
「なぜ、わかるの……」
ぼくはトレンシーの顔をしっかりとみすえた。
さきほど怯えた表情と見てとれた顔つきは、よくみると疲れ果てたような、それでいてなにかに取り憑かれたような、複雑なものだったことがわかった。
「そういう能力者なんだ、トレンシー。自分でいうのもなんだけど、通っていた魔法学園でも一番優秀だったんだ」
自慢げに聞こえないよう、注意をはらいながらぼくは言う。
「それにある村で、さらに能力をさずかった……」
ふと、アッヘンヴァル学長に言われたことを思い出した。
『ホルト・クロイツ、あなたの忌むべきものを察知する能力には、目をみはるものがあります。血筋なのか、体質なのかはわかりません。もしかしたら先祖の霊が守ってくれているのかも知れません』
彼女はそう褒めながら、ふーっとおおきくため息をはいた。
『ですが同時に、見えなくてもいいもの、遭遇しなくていいものをも察知してしまうかもしれません。その能力を大切にしなさい。これから先、自分の命くらいは守ってくれるでしょうから……』
「トレンシー、村のひとたちに、きみがこの場所に
できるだけ名前を連呼すること。
ひとを助けにきたのではなく、あなたを助けにきているのだ、と認識させるべし。
「だったら……わたしがゴブリンどもの……
「ああ、もちろん。もちろんだよ、トレンシー。村の人々はみんな、そのことを
「だれも助けにこなかったわ……」
「トレンシー。だからぼくが今、ここにいる!」
もう一歩だけすり足で前に進みでる。
すでに部屋の中央付近にせまっている。
ここでなにものかに襲われたら、ドアから外へ飛びだしても、無傷ではいられないかもしれない。
てのひらにどっと汗が吹きだすのがわかる。手にかけていた剣の柄を、もう一度にぎりなおす。
「どうして……今ごろ……」
「それは……」
ぼくは言い繕おうとしたが、ただならない気配を感じてことばが続かなかった。
だれかがぼくを見ている——
額から汗がふきだす。
唾を飲みこもうとしたけど、うまく飲みこめない。
ここには生きている者はいないはずだ——
が、部屋の壁にそれはいた。
右側の壁、天井付近のやや高い場所から、ひとの頭の先がつきだしていた。
目のすぐ下あたりまでがこちら側に覗いている。まるで頭半分が、壁に貼り付いているようにもみえる。
髪の毛がない青い肌の顔——
ゴブリンがじっとこちらを見つめていた。
だが、すぐにそれが間違いだと、ぼくは気づいた。
そのゴブリンには目がなかった——
ただ
「ゴブリンが……わたしを……逃がさない……の……」
トレンシーがぼそりと言った。
ざわっと髪の毛が逆立つのを感じた。
逃げろ——
だが、ぼくは動かなかった。
それは冒険者としての矜持——
なにより、ここで退いてしまうようなら、この先、シーラン・ミケネーを探すなどおこがましい、という自分への叱咤があった。
剣をゆっくりと引き抜いた。
あれは斬れるのか? 剣ごときでなんとかできるものなのか?
ぼくは剣に魔力を吹き込んだ。防御・治療・攻撃・もろもろ……
どれが有効かわからなかったので、とりあえずありったけの魔力を剣に封じ込めた。
足元になにか気配があった。
床から目のない目が、こちらをじっと見つめていた。壁のヤツとはちがう個体——
ぼくはびくりとして、はねるようにしてうしろに飛び退いた。
そのうしろ足が、なにかやわらかいものを踏んづけた。
見なくてもわかった——
どくんと大きな鼓動。
大量の血がドッとぼくのからだのなかを駆け巡る。
ぞわっと総毛だつとどうじに、ひやりとしたものが体表をおおいつくす。
逃げろ!
逃げろ——!!
逃げろ————————!!!!
本能が狂ったように、本気の警告を送り込んでくる。
ぼくはくちびるをぐっと噛みしめて、そいつを飲みこんだ。そいつは胃の中に落ち込んで、ぼくの臓腑は鉛でも飲みこんだように、ずしりと重たくなる。
壁一面に目のない頭があった。
四方の壁はいつのまにか、半分突きでた頭でびっしりとおおわれていた。
天井からは首が、垂れ下がっていた。
まるで天井いっぱいに、人間の頭大の『実』でもなっているかのように、たわわにぶらさがっていた。
そして床からも——
床からはゆっくりとゴブリンの頭が、せり上がってきはじめていた。
目の下部分から鼻が見え、顎がみえはじめ、首があらわになった。そして肩が見えそうなところで止まった。
それはまるで床から、ゴブリンの頭が生えているようだった。
壁一面を、天井一面を、そして床一面を埋め尽くす、ゴブリンの頭——
目玉のない眼窩は、もれなくぼくにむけられていた。
ゴブリンの首塚……
なぜ、そう呼ばれているのか、今ようやくわかった。
「ゴブリンが……なにをしたと思う……」
トレンシーが呻くように言った。
苦しそうな声だった。それははかなげで、哀しみが入り交じった苦しさだった——
ぼくはその声色を聞いて、落ち着きをとりもどした。
このゴブリンは怖くも何ともない——
無残な姿で、うらめしげな目で、ぼくを見つめているだけだ。
ふと、いままで耳にしたいわゆる『怖い話』は、本当はちっとも怖くないことにぼくは気づいた。
そう——
幽霊はぼくの命を奪わない。ただ怖い思いをさせるだけだ。
だが、生きているゴブリンはちがう。
やつらはぼくの命を奪う——
この世界において、本当に怖いのはどっちか、ということだ。
「村できいたよ」
ぼくは剣を
ゴブリンの頭を踏まないよう、慎重に足先でまさぐりながら、ゆっくりとトレンシーのほうへむかう。
「きみは村の生け贄として、ゴブリンに捧げられたって聞いた」
「だったら、ゴブリンどもがなにをしたかわかるでしょ?」
「ああ……残念だけどね……」
ぼくはこころのそこから、同情の念をまじえて言った。
これまで旅をしてきたなかで、おなじような風習を聞いたことがあるからだ。村の祈願のために、わかい娘をさしだすというのが、どういう意味なのかはぼくも理解していた。
「あらゆることをされた…… おんなとして、人間として、屈辱的なことすべてを……」
トレンシーは自分に言い聞かせるように呟いた。
ぼくはさらにトレンシーに近づいた。
「
トレンシーは目元をぬぐった。
「知ってる? ゴブリンの子はたった3ヶ月で産まれるの……」
「たった3ヶ月で?」
ぼくはそう相槌をうちながら、もう一歩近づいた。あと一歩も踏みだせば、トレンシーの腕をつかめるほどまでの距離——
「えぇ、そうよ!」
トレンシーの声色がかわった。さきほどのはかなげなさは鳴りをひそめ、どすのきいた
「あいつらは人間の女に子供産ませて……」
トレンシーがたちあがる。
「食べるの!!」
その瞬間、ぼくはトレンシーに手を伸ばして、押さえつけようとした。
だがゾッとするような目をむけられ、おもわずひるんでしまった。
「食べるために、あいつらはわたしに子供を産ませるのよ!!」
その目に宿る狂気——
伸ばした手をひっこめたのは、ひるんだのではなく、もしかしたらその姿に、魅入られてしまったからかもしれない。
「わたしの赤ちゃんを食った。あいつらはわたしのカワイイ赤ちゃんを食ったの!! わたしの目の前で!!!」
その口元がいびつにゆがんでいた。
わらってる——?
「だから、わたしはあいつらを殺したの。刀をうばってね。殺して、殺して、殺しまくったの。きゃはははははははははははははは……」
舞踏のステップでも踏んでいるように、トレンシーはくるくるとその場でからだを回転させはじめた。
「毎月殺しにいくわ。今月も、来月も。そしてここに埋めていくの」
満足そうな笑顔。だけどどこかいびつだ。
彼女は完全に取り憑かれてしまっている。
「トレンシー」
ぼくはやさしく声をかけた。
「なあに?」
トレンシーの背中に手をまわすと、ぼくは彼女の胸に剣を突き立てた。
刃はなんの抵抗もなく、トレンシーの胸を貫いた。
「トレンシー……、もうゴブリンはいないんだよ。とっくにね」
「きみが殺して首を刎ねていたのは……」
「村のひとたちなんだ」
ぼくはそう言って、床をさししめした。
トレンシーは目をきょろきょろとさせながら、床一面に転がる村人の頭を見た。
すでに壁や天井にあった幻影は消えうせている。
「トレンシー。もう村のひとびとを許してあげてくれないか——」
「きみはもうとっくにこの世の者じゃないんだ」
「だって、わたし……」
「最初に言ったろ。この部屋には生きてるものはいない、って」
「いつから……」
ぼくは首を横にふった。
「わからない。ぼくはただ、村のひとたちに頼まれて、きみを開放しにきた……」
「ゴブリンの
トレンシーは自分の胸を貫いているぼくの剣をじっとみた。
「これ、なぜ刺さってるの?」
「ある幽霊たちにそういう特別な力を授けてもらった。じつは幽霊はあまり得意じゃないんだ」
ぼくのことばにトレンシーはくすっとわらった。
「うまくいかないものなのね」
「あ、あぁ……、そういうもんさ。きみの人生はとんでもなく過酷だったと思う。でも、もういいだろ?」
トレンシーはこくりとうなずいた。
ぼくはトレンシーのからだがいつのまにか、半透明になって消え入りそうになっているのに気づいた。
「ホルト……」
「あなたの剣……」
トレンシーがほほえんだ。
「とってもあったかい——」
トレンシーのからだが消えたあとも、ぼくは彼女のからだを抱きかかえるような格好のまま、しばらくほうけていた。
そして彼女の魂が縛りつけられていた廃ダンジョンの部屋を、ひとしきり見回してから、その場をあとにした。
だけどぼくにはまだトレンシーの怨念の
いとしい我が子を目の前で食われ続けた母親の狂気は、簡単にはぬぐい去れない気がした。
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さて、今回のお話はお気に召しましたでしょうか?
次のお話はさらにゾッとする話です。
【※大切なお願い】
お読みいただきありがとうございます!
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「続きが気になる。読みたい!」
「このあとの展開はどうなるの?」
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