異世界恐怖奇譚 ——異世界に伝わる13の恐怖譚——
多比良栄一
第1話 赤ん坊が棄てられた山
皆さまがたのなかには、冒険の旅にでたときに、地元のひとに「通ってはいけない」という場所を教えられた方もいらっしゃるかとおもいます。
ゴブリンの巣窟、魚人族の沼、人食い植物の密生地——
ですが、この勇者バイアスのパーティーが出くわしたのは、そこらの冒険者の手におえるものではありませんでした。
それは数百年も前に最強の名を欲しいままにした大国の、見果てぬ野望の残滓だったのです——
第1話 赤ん坊が棄てられた山-------------------------------------------------
「勇者よ、あの谷にむかうのはよしなさい——」
勇者バイアスは冒険の途中たちよったある街で、偶然出会った老人にそう忠告された。
場所は街の中心にある居酒屋の片隅。
大盛況といっていいほど、にぎわいにあふれていた。
「なぜです。ご老体?」
「でるのだよ……」
「じいさん、なにがでるっーンだ、ゴブリンか、それともオークか」
ぶっきらぼうな口調で、会話にわりこんできたのは戦士のモーセンだった。
「いいや…… 幽霊がでるのだよ」
「幽霊? それがどうしたっていうんだい?」
魔法使いのラグランジュが、酒をあおりながら難癖をつけてきた。ふだんはよく気のつくいい女だが、あまり酒癖がいいほうではない。
「ちっとも脅威じゃないさ。その赤ん坊はあたしたちを、喰おうとするわけじゃないだろ」
「ラグランジュ。なんという口のききかたをしておる。年配者へはもうすこし敬意をはらうもんじゃ」
「は、プロトン。あんたも相当年寄りだからね」
パーティーの最年長者、魔導士プロトンがいさめたが、ラグランジュが鼻でわらった。
「ぼ、ぼくは嫌ですよ。なんかでるのは……」
おずおずと自分の意見を言ってきたのは、このパーティーの新入り、ベクトール。まだ若く修業中の身なので、今は馭者をさせている。
「だって、夜中にそこ抜けるんでしょう?。みなさんは荷台で寝てるかもしれないですけど、ぼくはひとりだけ起きてるんです。なのに幽霊だなんて……」
「ご老体、山のなかで赤ん坊の霊とはどういうことです?」
「ふむ。おまえさんたちは、『スポルタ』という国を知っているかね」
「ええ、知っています。むかしあった最強戦士の国ですよね?」
「その通りだ。300年ほど前に滅びた、最強の名をほしいままにした戦士の国だ」
「このスポルタは屈強な戦士を育成するために、『スポルタ教育』と呼ばれる、想像を絶する訓練をほどこしたと言われておる」
「ああ、スポルタ教育……聞いたことがあります」
バイアスが老人のことばに相槌をうつと、魔導士プロトンが得意げに言った。
「歴史に名高いテルモピュライの戦いでは、300人で3万人と戦ったほど勇猛だったと歴史書にしるされておるぞ」
「そう……このスポルタという国は、最強の戦士を育てあげるために、市民を産まれた瞬間から選別した。そして適性がないと判断されたものは処分されたのだ」
「まさか、そいつが、これからむかう……」
「あぁ、そのタユゲトス山だよ」
「不適格とされた者は男女とわず、その山頂から谷底へ投げ捨てられたのだ……」
馭者のベクトールだけは反対したが、そんな幽霊話ごときで貴重な時間をついやすしたくなかったので、バイアスは夜半に出立することにした。
隣街へ通ずる道は、タユゲトス山の山肌を切り開いた場所にあった。
道幅こそ馬車がすれちがえるほどの余裕があったものの、道の片側は切り立った断崖絶壁で、ちょっとでも油断しようものなら、そのまま谷底へ落ちてしまう危険な道路だった。
「ベクトール、急がなくていいから、慎重に進んでくれ」
「勇者バイアス、だ、大丈夫です。これだけ月明かりがあれば、こわくありません。いまのうちにからだを休めておいてください」
ベクトールはそう言って、荷台のへりに背をもたせかけて眠っているほかの連中のほうを見た。
「わかった……」
ポンポンとベクトールの肩をかるくたたく。
どれくらい眠っていたか、わからない——
なにかちいさな粒がパラパラと顔にふりかかっているのに気づいて、バイアスは目を覚ました。
甲冑の表面に砂のようなものが残っている。
バイアスが上を見あげようとした瞬間、ベクトールが叫んだ。
「落石だぁぁ!!!」
その声で全員がはね起きた。
「プロトン、防御魔法で頭上に傘を! ラグランジュ、破砕弾をっ! おおきな岩があったら、ためらわず魔法で打ち砕け! モーセン、おまえはわたしと一緒に防ぎきれなかった石を、剣でたたき割る!!」
バイアスの指示で、すぐさま全員が迎撃の体勢にはいる。
だが、山頂から落ちてきたその石は、プロトンが展開した魔方陣の傘をすり抜けた。数々の魔物の攻撃を造作もなくはねのけてきたプロトンの魔法の結界が役に立たなかった。
すぐさま、ラグランジュが手のひらから放った破砕弾で、石を狙い撃ちした。その攻撃は見事に石を直撃したように見えたが、破壊されたのは背後の山肌で、石には当たっていなかった。
すりぬけた——?
バイアスはラグランジェを見た。彼女は呆然とした目をこちらにむけていた。おそらく自分も彼女とおなじ目をしているにちがいない。破砕弾はラグランジェのもっとも得意な魔法で、バイアスもなんども窮地を助けてもらっていた。
それがなんの効果もない、などというのは、いままで経験がないことだった。
馬車を直撃する!
そう直感したバイアスは、その石の軌道に剣をむけてふりかぶった——
それは石ではなかった。
赤ん坊——
目も開いていない生まれたての
ふりかぶった剣がとまる。
それは同時に斬りかかったモーセンもおなじだった。
おもわず目を見合わせる。
ラグランジェが上をむいて、両手をおおきくひろげた。
赤ん坊を受けとめるつもりだ——
上をみあげたまま右往左往しながら、ラグランジェは落ちてきた赤ん坊を、見事にキャッチした。
「バイアス、やったよ!」
つい声がはずむ。
が、次の瞬間、ラグランジェは赤ん坊を抱いたまま悲鳴をあげた。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!!」
山の
降ってきたのは
あぁぁん、あぁぁん、あぁぁぁぁぁん……
一緒に赤ん坊の泣き声もふってくる。
ドスン!!
鈍い音ともに荷馬車がゆれる。
赤ん坊が荷台の横っぱらに激突したのがわかった。
ギャァァァァ……
火のついたような赤ん坊の泣き声が響く。
ドーン、ドーン、ドーン!!!!
次から次へ降ってくる赤ん坊が、荷台、馬、御者台など、あたりかまわずぶつかってくる。だが
バイアスはおもわず耳をおおいたくなった。
だが、赤ん坊の『雨』は勢いを弱めることはなかった。
馬車がふいにぐらっと横にかしいだ。
なにかに乗りあげた、ということがすぐにわかった。
「ベクトール!!!!」
「だめです。動けない。なにかが車輪の下に……」
ベクトールが言えたのはそこまでだった。
彼はそのまま
「すまん。バイアス! こいつらには魔法がきかん!!」
プロトンがいまさらながら言ってきた。
「今は詫びなど不要だ。プロトン、ラグランジェ、うしろにさがってくれ。ここはわたしとモーセンでやる!」
バイアスはモーセンに目で合図すると、荷台から飛び降りた。
足元でビチャという音をたてて、血と肉片の一部が飛び散った。
ぬるりとした感触——
ぐっと足を踏ん張る。
「モーセン! 赤ん坊たちを剣の腹ではらってくれ!」
斬れ、とはとても言えない。そして自分もできない——
バイアスは落ちてくる赤ん坊にむかって剣をふるった。
馬車にぶつかる手前で、剣の腹で落ちてくる赤ん坊をはらった。
できるだけやさしく、最小限の力で——
そんな気づかいをあざ笑うように、赤ん坊は容赦なく降り注いできた。
バイアスの剣が追いつかなくなってくる。
タイミングが遅れて振り払われた剣の切っ先が、赤ん坊の首を刎ねた。
オギャーという赤ん坊の声が、瞬時に『ギャッ』という断末魔の悲鳴にかわった。
歯をくいしばる——
このままでは、まちがいなく気が狂う——
「たすけ、で!」
背後でベクトールの悲鳴が聞こえた。
吐瀉物がまだまとわりついているのか、聞き取りにくい。
バイアスはちらりとうしろを見た。
なんだとぉ!!
いつの間にか馬車が、道路のふちのほうへ追いやられていた。
赤ん坊がぶつかってきた勢いで、血の池の上を滑るようにして、ゆっくりと断崖絶壁のほうへむかっていた。
「ベクトール!! なんとかできないのかぁぁぁぁ!」
「馬がぁ、馬が、動かないンですぅぅ」
半分べそをかいていた。
二頭のうちの一頭は赤ん坊の直撃を受けたのか、その場にくずれ落ちていた。
動くわけがない——
「プロトン! 馬が気絶している。回復魔法をほど……」
その瞬間、バイアスの頭に、一歳児ほどの赤ん坊が直撃した。
血ですべって踏ん張りがきかなかった。
そのままなぎ倒されるように、顔から地面に叩きつけられた。
血がはねて、血の海の表面に王冠をつくる。飛び散った血や肉片が、バイアスの顔へ降りかかり血まみれになった。ぞっとする臭いにむせかえる。
目をひらくと、目の前に顔が半分にちぎれた赤ん坊の頭、そのちかくには、ちいさな紅葉のような、かわいらしい手のひらが、何本も見えていた。
おもわず
吐いている余裕などないっ!!
バイアスは膝をついてからだを起こした。
手から滑り落ちた剣を手探りで探しだし、それを支えにして立ちあがる。
そのあいだも落ちてきた赤ん坊が、バイアスのからだにぶつかり続けている。足に力をこめていなければ倒れ込みそうになる。
馬車を……
馬車の車輪はすでに片方脱輪しかかっていた。
荷台の上ではモーセンが赤ん坊を斬りつけている横で、プロトンとラグランジェが必死で落下を阻止している。
おそらくプロトンは重力を自在にあやつる詠唱魔術を。
ラグランジェはマナを消費して、空中浮揚の魔法で持ちあげようとしているに違いない。
が、ガタンと音がして馬車が脱輪した。
馬車が横転する。
馭者台のベクトールが、絶壁のむこうに投げ出されたのが見えた。
「ベクトール!!」
が、ベクトールは手綱をつかんでいた。御者台から数メートル下にぶらさがる。
プロトンとラグランジェは荷台の横板を必死でつかんで落下からまぬかれていた。そんな不安定な状態のままでも、それ以上の落下を阻止しようと、ふたりは必死に魔法を駆使し続けている。
モーセンだけは、すぐさま荷台の横腹へ飛び乗って、落下してくる赤ん坊に対応していた。
これ以上、赤ん坊をあの馬車にぶつけるわけにはいかない。
斬るしかない——
バイアスは剣をもつ手にぐっと力をこめた。
どれくらい経っただろうか——
バイアスは落ちてくる赤ん坊を無心で、斬って、斬って斬りまくっていたが、ふいに泣き声が消え、その落下がとまった。
足元は膝が隠れるほど、赤ん坊の死体でうまっていたが、バイアスはそのままそこにひざまずいた。
ぐちゅっ——
不快な音がきこえたが、もう気にする余裕はなかった。
おそるおそるうしろをふりむくと、落ちかかった馬車は、魔法の力で路面に引き戻されていた。
プロトン、ラグランジェ、モートン、そしてベクトールも無事だった。
バイアスはおおきく嘆息した。
「さて、きみたちがよければ、そろそろ、ここをおいとましようじゃないか」
精いっぱい平静をよそおって声をかけたが、みっともないほど声が震えていた。だが、だれもそれを指摘する者はいなかった。
ほうほうのていでタユゲトス山を抜けると、不思議なことに血まみれのからだは、なにもなかったかのようにキレイになっていた。傷ついた馬車の部位や穴のあいた荷台の床などもまったく元に戻っていた。
「ゆ、夢じゃないですよね」
ベクトールがおそるおそる尋ねた。
「ベク、夢なんかじゃねぇよ。オレの手をみてくれ」
モーセンがそういって、右の手のひらをみせた。
手のひらの豆がやぶれて、血がにじんでいた。
「夢で戦ってたんじゃあ、こうはなんねぇよ」
隣町につくと門衛が、ギルド証の提示を求めてきた。
「おいおい、どうしたんだい。みんなずいぶん疲れ果ててるな」
「タユゲトス山の街道を通ってきたんだ……」
「落石にでもあったかい?」
「落石じゃない。赤ん坊が落ちてきたんだ。あそこはスポルタ国のいわくつきの場所だろ」
「ほう、勇者様、よくそんなふるい話をご存知で……」
「山のむこうの街の居酒屋で出会った老人に聞いたんだよ」
「からかうのはよしてくれよ」
「あの街は100年も前にゴブリンの襲撃を受けて、とっくのむかしに廃虚になってたはずだぜ……」
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