第42話 幼き日のホワイトドラゴン
あの子と出会ったのは、11年前のことだ。
6歳の私は、森で小さなホワイトドラゴンと出会ったんだ。
あの日私は森で一人で遊んでいて……あの子は、藪の中で震えてたんだ。
村にはずっとホワイトドラゴンがいてね、でも全部大人の竜だった。
あの子は、初めて見た子どもの竜だったんだ。
***
村から少し離れた森の中に、幼いアイシャの姿はあった。
「今から、木の根から落ちたら負けゲームをする!」
ぴょん、ぴょん、と、大きな木の根をジャンプで渡りながら、アイシャは一人で歩いていた。
まだ朝の時間帯で、辺りは白く、明るい。
季節は冬だったが、精霊の森は一年中緑の葉を茂らせている。
今朝方降った雨が、――ほんの少し
アイシャは(冬だなぁ)と思った。
雨上がりの森は葉を濡らしており、雫は日の光に反射してきらめいた。
つまりは木の根に生えている苔も当然濡れており、アイシャはすぐに
ずべっ
と、地面に転がった。
「い〝 だっ。雨の日のあとって、すぐに泥んこになっちゃうな~」
アイシャは立ち上がって、泥をはらった。体に付いた土は、はらうとマシになったが、今度は手が汚れた。
「まぁいっか! ユドラの実を見つけたら帰ろーっと!」
アイシャは、森の中を進んでいく。
『ドリアードは、森で迷わない』ので、アイシャが幼くとも、両親は森の奥へ行くことの心配はしていなかった。
やがてアイシャはユドラの木を見つけると、4つ
「お父さんとお母さんとお兄ちゃんと、それから私の分♪」
ユドラの実は、果実だ。桃色をした丸い果実で、大きさは10センチほど。甘くて栄養があるので、食べるために採っていた。食べる分だけ採る――それがドリアードの在り方だった。
この木はたくさん生えているわけではないが、ドリアードの植物魔法を使えば、おおよその位置は簡単に分かった。――実は、この年でそれが使える子どもは同年代にはいなかったのだが、アイシャはそんなことは知らない。
アイシャは、ほくほく顔でユドラの実を抱えて、帰宅を目指そうとした。
――そんな時だった。
「プルルルゥルゥルゥ……」
獣の声のような――息のような音が聞こえて、アイシャは立ち止まった。
「……なんの音?」
アイシャが、辺りを探すと、藪の中に一匹の小さなホワイトドラゴンを見つけた。それは体長一メートルほどの小さな竜で、普段大人のドラゴンしか見たことのないアイシャには、ずいぶん小さく見えた。雨に濡れた藪は、子ドラゴンの体を満遍なく濡らし、その体をぷるぷると小刻みに震わせていた。
子ドラゴンは丸まっていたが、アイシャを見つけると頭だけをもたげて、シャーッと威嚇をした。
よく見ると、尻尾には深い傷があり、
「…………」
アイシャはそれが気になって、近づくことにした。
「こ、こんにちはー……っ」
ホワイトドラゴンは子をあまり産まないうえに、出産時は村からでて森のどこかへと消えてしまう。そのため、アイシャは子どものホワイトドラゴンを見るのは初めてだった。
とはいえ、ここは村から少し離れているが、――逆に言うと、少ししか離れていない。村まで30分ほどの距離だ。こんなところに巣があるとは本来は考えにくいのだが、――、まだ子どもであるアイシャは、そんなことは全く考えつかなかった。
「……これ、食べる?」
アイシャがユドラの実を見せると、子ドラゴンはくんくんと匂いを嗅ぐ仕草をした。二人の距離はまだ遠く、アイシャは少しずつ子ドラゴンに近づいた。
(……もう少しで、口に……)
アイシャはさらに近づき、子ドラゴンの口元にユドラの実を近づけた。
ところが――、
「プルルルゥウラァウッッ!!」
子ドラゴンは、大きな口を開けてアイシャの腕ごと噛みついたのだ。
「ぎゃッ――?!」
(痛い!)
アイシャは手を振りほどこうとしたが、すぐには離れない。アイシャが腕をブンブンと振っていると、次の瞬間、ブンッ――と今度は子ドラゴンの尻尾が大きく振られ、アイシャの足をベチンッと叩きつけた。
「ッッ!!」
(血!?)
赤い血しぶきが舞って、目を見開いた。
慌てて腕から子ドラゴンを引き剥がす。
反動でアイシャはよろけた。
腕を確認する――歯形は付いているが、血は出ていないようだ。
(じゃあ、あれは私の血じゃなくて――)
子ドラゴンは、
「フーッ……フーッ……」
と荒い息を繰り返している。
(びっくりした……っ)
子ドラゴンは、まだ尻尾をブン――ブン――と振って威嚇している。
尻尾を振る度に、傷口から血が零れた。
(……怪我してるのに、尻尾で攻撃してきたんだ……。……それだけ怖がってるのかな)
アイシャは、両足にぐっと力を入れて立った。それから、子ドラゴンに向かって声をかけた。
「……あのっ! それ、食べていいからねっ!」
ユドラの実は4つとも、子ドラゴンの目の前にある――……。
「………………」
「………………」
アイシャが動かなければ、子ドラゴンも動かなかった。
しばらくの沈黙の後、子ドラゴンはゆっくりとユドラの実を食べ始めた。
(よ、よかった……。これを食べたら、少し元気になるかな?)
子ドラゴンは食べ終わると、また最初の時のように丸まって寝そべった。
相変わらず、尻尾の傷は痛々しい。むしろ、アイシャに叩きつけたことで悪化しているのではないかと思った。
(……そうだ!)
アイシャは、近くの草むらから生えたての柔らかい若葉をいくつか摘んだ。
それに力を込め、魔法を詠唱する。アイシャの手のひらから出た淡い光は、宙に浮いた若葉の周りをぴかぴかと舞った。若葉はするすると大きくなると、そのままふわりふわりと子ドラゴンの尻尾の前に行き――
「――ハマドリュアスの姉妹よ、力を。怪我を治してあげて! それぇーっ」
アイシャが号令をかけると、若葉は子ドラゴンの尻尾にしゅるしゅると巻き付いた。
「……どうかな? 草の包帯なんだけど。一応若葉だから、柔らかいよ」
「…………」
子ドラゴンは、しばらくじろじろと尻尾を見ていたが、何も言わずに再び寝そべった。
「よかった……」
(悪いものがくっついたんじゃないって、分かってくれたのかな)
ふいに、空が暗くなり――、森に影がおちる。
アイシャは(雨かな?)と思いながら上を見上げた。
「ひえっ?!」
――それは、大きな大人のホワイトドラゴンだった。
バサバサと羽ばたきながらやってきたそれは、アイシャを見るなり、
「グオオオオオオオオッ」
と吠え――
「ひっ、ひぃぃいぃぃいぃっ!? 大人は無理ー! 私死んじゃうよー!」
アイシャは、慌てて家まで飛んで帰った。
***
それ以来。
私はホワイトドラゴンがちょっと怖くなっちゃったんだ。
あの時は、噛まれた直後でもそのまま向き合っていられたのにね。
あの後、お父さんとお母さんにこのことを話して、
だから、私はホワイトドラゴンが少し怖いけど……でも嫌いなわけじゃなくて。
あの子が――ひとりぼっちで震えてたあの子にも、親がいたことに安心したんだ。
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