第65話 アナスタシア・モード

1930年2月


 ブラックサーズデイの影響が日本にも忍び寄る。


 まず直撃したのが、生糸を中心とした輸出の減少だった。続いて、米の価格の下落が発生する。


 生糸はアメリカへの輸出が減ったことの影響であり、米価は日本の先物市場に流入していた資金の減少が、要因になっている。


 しかし、生糸の輸出減少は、史実ほどの落ち込みは無かった。なぜなら、生糸の輸出先第一位が、ロシアになっていたからだ。


 ロシア帝国正統政府樹立以降、殖産興業にも力を入れており、様々な工業製品の製造が出来るようになっていた。特に力を入れていたのが繊維業だ。日本の繊維業は、糸を紡ぐまでが主な産業で、出来た糸のほとんどをアメリカに輸出していた。豊田が自動織機を開発したにもかかわらず、布や服飾製品の輸出はそれほど伸びてはいなかった。これは、糸の原産地は日本でもかまわないが、製品の製造国が日本だと、ブランド力に欠けることが要因だ。


 そこで、ロシアは生地および服飾の製造に力を入れた。


 アナスタシアは正統政府が樹立してからというもの、積極的に各国の社交界に顔を出していた。イギリス・イタリア・スウェーデン・ノルウェー・デンマークなどの王室を頻繁に訪問し、晩餐会や舞踏会に参加した。そして、その華麗な社交界において、参加者の度肝を抜くような、斬新で洗練されたドレスを常に披露したのだ。


 各国への到着時に着ている普段着も、常に新しいモードを生み出すほど斬新で美しかった。


 また、アナスタシアを飾る宝石も、当時はまだ存在しないキュービックジルコニアなどを使った、本物と見分けのつかない、いや、当時の本物以上の輝きを持つ石を使用している。美しいアナスタシアは常に、社交界の中心で、羨望を集めていた。


「アナスタシア皇帝陛下。いつもお美しく、特に今日のお召し物は一段と素晴らしいですな。妻から、皇帝陛下のお召しになっている衣装や宝石は、どこで手に入るのかと、いつも聞かれるのです」


「まあ、あなた。私がまるでおねだりをしているようで、お恥ずかしいですわ。おほほほほ」


「ネックレスに使われているのは、ダイヤモンドですね。いや、素晴らしい。こんなにも美しくカットされたダイヤモンドは初めて見ます」


 アナスタシアが身につけているステートメントネックレスには、5カラットから3カラットほどもある大きいダイヤモンドが30個ほど使われていた。みな、その美しい輝きと豪華さに心を奪われる。


「お褒めいただきありがとうございます。これは、我が国で開発された人工ダイヤモンドなのです。天然のダイヤより透明で輝きも強いのですが、簡単には作れないのが難点で。でも、今秋より、貴国のデパートでも少数ですが、取り扱いが始まると聞いております」


 簡単に作れないというのは、嘘である。キュービックジルコニアは、安価で大量に生産できる。宇宙軍で開発された全自動カットマシーンで、全く同じカットで大量生産できるのだ。


「そうなんですね。我が国でも手に入るのですか。しかし、お高いんでしょ?」


「そうですね。天然ダイヤの5分の1から3分の1くらいの価格と聞いております」


「えっ?そんなに安く手に入るのですか?それは、我が国のデパートに並ぶのが楽しみですな」


 ダイヤモンドより透明で輝きのある宝石が、安価に手に入る。当時の常識からすると、考えられないことだった。


 ロシアは、ファッションブランドとしての“アナスタシア”をプロモートしていった。日本産のシルクが使われたドレスや、スーツ、アクセサリー、バッグ、腕時計などを次々に発売していく。


 また、社交界ではアナスタシアの化粧も話題になっていた。まるで透き通るような素肌のような化粧。さらに、チークやアイシャドウ、マスカラは、自然な美しさを引き立たせている。晩餐会に参加している他の淑女達は、アナスタシアの化粧を真似ようとしたのだが、どうしても再現できなかった。


「私のメイクは、我が国で最近開発された化粧品を使っておりますのよ」


 本当は日本の宇宙軍製なのだが、アナスタシアはそう言って、お付きのメイドに化粧品のサンプルセットを用意させる。しかも、化粧の仕方のパンフレット付きだ。


 この化粧品も、近々ヨーロッパやアメリカのデパートで売り出されることも忘れずに伝える。


 こうして“アナスタシア・モード”は、アナスタシアを広告塔として瞬く間にヨーロッパやアメリカの社交界を席巻していく。そして、ロシアから全世界への輸出も増えていくのであった。


 ――――


「ねえ、私にもかわいらしい服、作ってよ」


 リリエルが気色の悪い猫なで声でおねだりをしてくる。


「作ったって、着られないだろ」


「デザインしてくれたら、イメージで変身できるのよ!」


「じゃ、こんなのどう?」


「なによ、これ!テープで大事なところを隠しただけじゃ無いの!この変態!」


「2020年代のファッション業界で、ちょっと流行したんだけどね・・・。やっぱりダメ?じゃ、こっちで」


「あら、かわいいじゃない!これよこれ!私にぴったり!」


 リリエルは今日もご機嫌だった。


 ――――


 “アナスタシア・モード”は、全てアナスタシアがデザインしたことになってはいるが、実際には高城蒼龍がデザインしたものだ。デザインしたと言っても、全て高城蒼龍の記憶の中にあるデザインの盗作なのだが・・・・。


 ――――


 リチャード・インベストメントは、ブラックサーズデイのあおりで値段の下がっていたアメリカの小麦や大豆、そして、日本の米を大量に購入していた。これによって、ある程度価格の下支えが出来る。


 そして、購入した穀類を全て、ロシアにある低温貯蔵倉庫に運び込んでいた。


「すごい量の小麦や大豆だな。こんなに貯蔵してどうするんだ?」


 ロシアの倉庫作業員が訝しむ。


「1000万人を1年間養える量らしいぞ。120万トンだそうだ。なんでも、2年くらい貯蔵するらしい」


「出荷しないのか?こんな所に貯めておいて、どうするんだろうな。もしかして、ソ連との戦争が近いのか?その為の備蓄とかかな」


 倉庫作業員は、漠然とした不安をいだくのであった。


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