第21話 尼港事件(4)

バンバン!


 部屋に銃声が響く。しかし、その銃声は、座り込んでいた老人から放たれたものだった。


「くそっ!」


 赤軍パルチザンの一人が倒れる。


バン!


 残りの一人が、老人に向けて拳銃を放つ。引き金を2回引いたが、一発しか発射されない。どうやら弾切れのようだった。そして、その一発は、老人の右胸を貫くことに成功した。


「ザミィ!」※ロシア語で「動くな!」の意


 その部屋に日本兵数名が突入して、赤軍パルチザンに銃を向ける。赤軍パルチザンは、壁際の少女を人質にして、彼女のこめかみに拳銃を突きつけた。そして、赤軍パルチザンが日本兵に対して何か言おうとしたその時、


バンッ!


 有馬中尉は、ためらいもなく発砲した。そして、その拳銃弾は赤軍パルチザンの右腕を貫通する。敵が拳銃を落としたことを確認すると、有馬中尉は正面から跳び蹴りを加えて卒倒させ、少女を解放する。そして、引き金を3回引いてとどめを刺した。有馬中尉は突入の直前、敵が2回引き金を引いたが、一発しか発射されなかったところを見ていた。残弾がゼロであることを確信していたのだ。


「ルバノフ!ルバノフ!」


 少女は老人を抱きしめながら叫んでいる。少女の顔はくしゃくしゃになり、涙が止めどなく流れる。


 老人を貫いた銃弾は、おそらく太い血管を切ったのだろう。銃創からはかなり出血をしており、もう意識は無い。


「すぐに衛生隊を!」


 有馬中尉が他の兵に指示を出す。本来は、陸軍の士官が命令を出すのだが、先ほどの戦闘で重傷を負い、今残っているのが兵卒ばかりだったため、有馬中尉が指示を出したのだ。


 しばらくして、衛生隊が到着し、負傷した兵と老人を担架に乗せて連れて行く。少女は老人の名前を呼びながらついて行こうとしたが、有馬中尉はそれを引き留める。


「お嬢さん、あとは我々に任せてください。ところで、少しお伺いしたいことがあるのですが。」


 有馬中尉は、少女に対して違和感を持った。服装は、どこにでもいる一般の町人という感じだし、顔もしばらく洗っていないようで薄汚れていた。しかし、その顔立ちは非常に凜々しく、町娘には似つかわしくないほど端正であった。さらに、彼女は一緒に居た老人のことを「ルバノフ」と呼んでいた。ロシア人には普通にある名字だが、老人と少女が親族であれば、名字で呼ぶのはおかしい。


「あなたは、この町の住人ですか?」


「・・・・・・・・・」


 少女は答えない。


「一緒に居たあのご老人は、あなたのおじいさまですか?」


「・・・・・はい。私の祖父です。」


 少女は消え入りそうな、か細い声で返答した。


「そうですか。それにしては、おじいさまのことを名字で呼ばれていましたが?」


「・・・・・・・・・」


「お名前を伺ってもよろしいですか?」


「・・・・・・・・アンナ」


「名字は?」


「・・・・・・・ルバノヴァ、アンナ・ルバノヴァ」


 ※ロシア語では、同じ名字でも、男性形と女性形で異なる。


 違和感はぬぐえない。やはり、何か隠していることがあるような気がする。


「おや、先ほどの戦闘で、手の甲にけがをされたようですね。」


 彼女が人質に取られた際、手の甲をどこかにぶつけたようで、皮が剥けて出血していた。有馬中尉はその手を取って、ハンカチで傷口を押さえる。


『炊事や洗濯をしたことが無い手だな。』


 少女の手は、寒さで多少かさついていたが、少なくともここしばらくは、炊事や洗濯をしたことの無い、柔らかで白い手をしている。


『何か裏がありそうだ。』


「傷の手当てをしましょう。本部に行って、おじいさまと一緒に手当をします。さあ。」


 少女はためらいながらも、有馬中尉に促されて「ルバノフ」が手当を受けている本部に行くのであった。

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