幻獣に選ばれた落としモノ

美留町 一荘

エピローグ『最後の日』

エピローグ『最後の日』

 ざわめく木々の音、差し込む木漏れ日、肥えた土の香り。

田舎の子供や登山が趣味の人ならば、きっと見慣れた光景だろう。

だが僕はどちらでもない。

そして、こんな森の中に来た覚えもない。

最後の記憶は…死に際に見たビルの谷間の空だった。


「奏ー、起きてる?遅刻するよー?」

 

遠く聞こえるその声で、僕、奏(かなで)は最後の日の朝に目覚めた。

夢現なままに身体を起こし、伸びをして時計に目を向ける。

まだ余裕はあるが、二度寝する時間はなさそうだ。

パジャマのまま部屋を出て洗面所で顔を洗う。

リビングへ向かうとテーブルに朝食が準備されていた。


「姉さん、おはよう」

「おはよー、食べたら食洗機に入れておいて。私もう仕事行くね!」


そう言いながら姉、響子(きょうこ)はバタバタと仕事の準備を進めていた。


「ありがとう。いただきます」

「はーい。行ってきます!」

「いってらっしゃい。気をつけてねー」


玄関から「はーい」と聞こえ、扉が閉まる音と同時に家は静けさに包まれた。

慌ただしい朝だが毎日の普通の光景だった。


 僕ら姉弟(きょうだい)には親はいない。

姉が三歳、僕が0歳の時に事故で二人とも亡くなった。


僕は覚えていないが、歩いていた僕ら一家に暴走した車が突っ込んだらしい。

僕と姉も巻き込まれたが僕はほぼ無傷、姉は背中に今でも残るほどの傷を負ったが、命は助かった。

だが両親はベビーカーに乗った僕とまだ未熟な足取りの姉を庇って命を落とした。


その後は親戚の家を転々としたが、姉が十八歳で就職したと同時に両親の持ち家だった実家で二人暮らしを始めた。

それから今日まで二人で支え合って暮らしてきた……。


 とても苦しい日々だったが今では懐かしい思い出だ。

そして、そんなことを思い出したのには理由があった。


『ガチャッ!』


「そーだ!奏ー!今日の約束、忘れないでねー!」

「わかってるよー」


『ガチャッ!……』


この約束が理由(それ)だ。

姉は職場の方と縁があり、婚約したのだ。

相手を今夜紹介したいと聞いていた。


姉は新たな人生を歩もうとしている……。

弟としては喜ばしいことだ。

だが僕は素直に喜ぶことが出来ずにいた。


 僕は朝食を済ませ、制服に着替えて家を出た。

学校は市内にあるので毎朝電車通学だ。

電車を待つ間にイヤホンを耳につけて音楽を流す。

ジャンルはその時々の気分で変わるが、今日は流行りのアニメのオープニングが入ったシングルを流すことにした。


音楽を聴いたまま電車に乗って、学校の最寄り駅まで揺られる。

この日はたまたま空いていた角席に座り、目線の居場所をさらっと探すと、何をするわけでもないスマホの画面にそのまま落とした。


 ――結婚に反対しているわけではない。

むしろ、今まで苦労してきた人だから幸せになって欲しいと思っている。

だからこそ、僕はこのまま側にいてもいいのだろうかと考える。

僕が側にいたらきっと姉はまた苦労するだろう。

それに新婚生活を送る上で僕の存在はきっと邪魔になる。

姉の幸せを願うのならば、僕は別々に暮らすことを考えるべきだろう。

 

だが、まだ社会を知らない僕だけでこれからやっていけるだろうか。

僕は姉のいない生活を受け入れられるだろうか……。

孤独になるという不安が足枷となり、僕はまだ前に進めずにいた。


 電車を降りて駅から出ると、目の前には見慣れた大都会が広がる。

周りの人々は当たり前のように吸い込まれ、派手なモノクロの街に向かって歩いていく。


どんなに悩んでもビル風が吹き飛ばしてくれることはない。

この重たい足を、変わらない匂いと景色の通学路へ運ばせようと背中を押した。

だから僕も抵抗することなく、流されるがままに歩きだした。


そう、「いつも通り」学校に行くつもりだった。


『――ドンッ!』


 突然背後から強い衝撃を感じた。

その衝撃で右耳のイヤホンが外れ、唯一受け入れていなかった現実の音が脳までたどり着く。


よろけながら振り向くと、帽子を深々と被った小汚い細身の男性が血走った目でこちらを睨みつけていた。

手には赤く染まった刃物を握りしめて。


「きゃー!」


背後から女性の悲鳴が聞こえたかと思うと目の前のその男はサラリーマン達によって取り押さえられた。


目の前の光景が音の次に頭が追いついた頃、驚き忘れていた呼吸をする。

しかしそこで吐かれたのは憂鬱が混じった吐息でも都会の排気臭い空気でもなく、鉄の味がする液体だった。


背中にジクッとした痛みを感じる。

ふと足元を見ると赤い水たまりの真ん中に立っていた。


「……あぁ」


全てを理解して声が漏れ出たと同時にめまいに襲われ背中から倒れる。

ビルの谷間に見える青空を最後に、僕の意識は途切れた。


姉さん、ごめん…約束…守れなかった。

これからはどうか…幸せに……。


――そして今、目覚めると森の中で木に持たれるように座っていた。


次話『森での目覚め』

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