第36話 大好きな人だから

 翌日、俺とシオンは普通に登校した。


 当初は2人で登校しているとカメラに撮られたり、クラスメイトにからかわれたりしたが、今ではすっかり馴染んでしまった。


鴻上こうがみ、進路希望調査票は書いたか? 今日中に提出しろよ。佐藤、放課後、職員室に来なさい」


 最近、忙しくてすっかり忘れていた。

 俺の中で平凡な職業に就くことは確定しているが、これといってやりたいことがあるわけではない。

 大学への進学一択だな。あとはどこの大学を志望するかだ。


「シオンは提出したのか?」

「もちろん」

「進学だろ? フランスに帰国するのか?」

「んー、どうだろ。第1希望から第3希望までシンのお嫁さんって書いたからなー」


 ヤバい奴が隣の席にいた。


 それで受理されたの?

 学校側も留学生だから最初から期待してなかったのかな?

 そうであってくれ。


 それにしても佐藤さんが呼び出されるなんて珍しいな。

 優等生の彼女も何か進路で問題があったのか?


 放課後、適当に大学名を書いた書類を提出した俺は職員室ではなく、校長室から出てきた佐藤さんとばったり出くわした。


「あ、シンくん」

「校長先生と進路相談? そんなにいい大学に推薦されるの?」

「違うよ。ちょっとね」


 話を濁した佐藤さんと並んで下駄箱へ向かう。

 シオンには先に帰るように言ってあるから多分マンションに引きこもっているはずだ。


「……ねぇ、シンくん。なんでこの前、学校を休んだの?」


 いつのことだ。

 直近だと式典のときだが、それであっているか?

 俺は無難な返事をして佐藤さんの思考を読むことにした。


「体調が悪くて」

「そっか。お家にいた?」

「うん。ずっと寝てたよ」

「そっか。なんで足を引きずっているの?」


 心臓が跳ねた。

 放課後まで誰にも指摘されなかったのに、佐藤さんは気づいていたらしい。


 表情を変えないようにして慎重に言葉を選ぶ。


「足を挫いたから学校を休んだ。それだけだよ」

「式典会場にいたんじゃないの?」


 制服の下では冷や汗が止まらなかった。

 額にも薄く汗をかいているかもしれないが、流れ落ちるほどではない。

 落ち着け。


「式典会場? あぁ、鷺ノ宮エンタープライズの。いや、テレビで見ていただけだよ」

「そうやって、またはぐらかすんだね。私、あの会場にいたんだ。救護の任務に就いていたの」


 何回飲み込んでも、とめどなく口内から分泌される唾が邪魔で言葉が出てこない。


「ラビの演説も聞いたし、ラビが鳥の魔物から逃げようとして地面に叩き付けられたのも見た。それでね、彼の生声も聞いたんだ」


 そんなはずがない。

 だって、俺はボイスチェンジャーを使っていた。

 それなのになぜ……。


 はっとして顔を上げる。

 佐藤さんは軽蔑の目で俺を見ていた。


「仮面が壊れちゃったのかな?」

「俺に声が似てたって言いたいの? 無理だよ。人前で話すの苦手だし、冒険者にもなれない怖がりなんだから」

「やめてよ!」


 人気のない通学路の途中で声を張り上げた佐藤さんの視界から少しでも消えるように後ずさる。


「分かるよ。顔を隠しても、声を変えても、話し方を変えても」

「だから、俺は!」

「ずっと見てきたんだから。好きな人だから分かるの。ラビの正体は鴻上こうがみ シンくんだよ」


 震える膝を伸ばし、拳を握り締めて低い声を捻り出した。


「それでどうする? ラビの正体をバラすのか?」

「そんなことしないよ。教えて欲しいの。どうして、こうなったのか。どうして嘘をついたのか」

「俺は魔物と共存できる世界をつくる。それだけだ」

「【色欲しきよく魔兎まと】はあの女の人だったんだね」

「なんのことだ?」

「とぼけないで。渋谷でのダンジョン・スタンピードのときに一緒にいたでしょ。あぁやって、魔物は姿を変えて人間の中に紛れているんだ。その方法を教えたのが、あなたなの?」

「っ!? 違う! あの人は俺の幼馴染であいつとは無関係だ!」

「嘘だ! 顔が同じだった! 髪の色や雰囲気は違っても、好きな人の隣にいる女の顔を見間違うわけない!」


 佐藤さんが何を言っているのか理解できなかったが、だんだん話が繋がってきた。

 彼女はウェルヴィと凪姉なぎねぇを同一人物だと勘違いしている。


 ここにきて、ウェルヴィの容姿が裏目に出るとは想定外だった。

 くそっ! 俺としたことが。 

 

 どんなに説明しても、きっと佐藤さんは納得しないだろう。

 それどころか余計に言い訳のようになってしまう。


「あいつは特別なんだ。だから、あの人だけは巻き込みたくない」

「もっと他のやり方はなかったの? 柴崎くんを寝たきりにして、大石さんを糾弾して、カガリさんを生き埋めにして――」

「じゃあ、魔物と協力して町の清掃でもすれば良かったって言うのか?」

「鷺ノ宮社長を襲わせた」

「は? なんの話だ。俺が鷺ノ宮を襲わせた? そんなことするはずがないだろ!」


 佐藤さんは突然タックルし、俺をアスファルトの上に押し倒してきた。


「放せ!」

「上手く逃げて。嘘をつかないでくれて、ありがとう。大好きだったよ」


 佐藤さんの目から零れた涙が俺の頬を伝って落ちた。


「きゃあ!」


 抵抗したわけではないのに、佐藤さんは俺の上から飛び退き、アスファルトの上を転がった。

 同時に電柱や家屋の影から大勢の冒険者やスーツ姿の人が出てきた。


「……そういうことかよ」


 佐藤さんを振り向く。彼女は小さく手で「早く行け」とジェスチャーしていた。

 必死に走ったが、完全に包囲されていてどこにも逃げ場がない。


「大人しく投降しなさい!」


 冒険者たちが俺を囲み、にじり寄ってくる。

 俺は周囲を睨みつつ、アスファルトの上をつま足で何度も叩いた。


「確保ーっ!!」

「バカが」


 男たちが一斉に飛び掛かる。

 しかし、彼らの手が届く直前に俺の足元だけがくり抜かれて体が落下した。


「助かった。逃げるぞ」


 ラビットたちの頭を撫でながら体をかがめる。


 大急ぎで穴を掘って来てくれたのだろう。

 いつもより荒い仕上がりだが、ほふく前進すれば移動できる。


 俺を救出した穴を塞いでくれたモールラビットと一緒に自宅へ向かったが、出口はすでに塞がっていた。


「まぁ、家にも来るよな。ここから先の道も全部、塞ぎながら行くぞ」


 俺は隠れ家が残っていることを願いながら、『始まりのダンジョン』の51階層に向かって移動を始めた。

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