石田三成の死

「伊達藤次郎、見参!!」




 伊達藤次郎—————伊達政宗。




「伊達、政宗……!?」


 石田三成をして、二の句が継げなくなった。


「貴様一体何しに!」

「知れた事!北条の援軍としてだ!」

「馬鹿も休み休み言え!去年下野をかすめ取っておいて!」

「あれは正式に譲り受けたのだ!北条を守り豊臣を討てるのなら安いだろう!」


 三成自身、伊達政宗が陸奥に帰らず下野に居続けている事は知っていた。そしてその旨つかんだ上で当地の住民から不興を買っているのも知っているつもりだった。


「図々しいのと情けないのが一緒になるとこうなるのか!」

「戦ほど図々しい行いがどれほどあると言うのだ!相手の土地に勝手に入って相手の領主を殺そうとするより図々しい話があるか!」

「成田の姫!それでいいのか!」

「少しばかり業腹だけどね!」

「まさかそれも予想済みだと!」

「ええそうよ、教えてくれた奴がいるの!ったくどこからどこまで把握してるのかしら、本当に気味が悪いわよ!」


 気味が悪いと言う言葉はまったく余裕の表れでしかない。そんな自覚もないまま声を張り上げる甲斐姫の顔は言葉とは逆にほころんでいた。

「忍城に侵入を許すとはな、まったくこれなら暗殺でも仕掛けた方がましだったか」

 一方で三成の嫌味はまったく力を持たない。理屈がいくら通っていても力を持たない現実に対し、理屈は全く無力だった。


「そいつはあんたらが水攻めを仕掛けて来る事、本丸までは達しない事、農民の皆さんを抱き込もうとする事、すべて教えてた!しかも私たちより先に農民の皆様に!」

「まさか市井の住人の取り込みを怠った罰だと言うのか……!」

「私すら把握できてないのに!そういう何もかも把握しようって根性が間違ってるのよ!」

「そなたは恐ろしくないのか!領国を知れぬ者が動き回っているのが!」

「それならそれで使うのがしたたかなやり方って奴でしょ!って言うかあんただって!」

「いかにも!罠だ罠だと怯えている人間もおったがな!」

 伊達政宗は声高に笑う。自分に対する蓮っ葉極まる物言いにもまったく動揺する事なく、高笑いと共に兵を進める。



 この時の伊達軍の数は八千。石田軍とは比べ物にならない。その八千が北からほぼ一本槍になり、石田三成の首を奪おうとしている。

「だが逃げればいい!逃げれば!」

「そんな暇などあるか!」

 三成は逃げた。水により分断された左近たちの所へ、何とか逃げ道を求めて逃げた。

 だが、勝ち誇って勢いに乗っている成田軍とほとんど疲労がない伊達軍の速度はかなりの物だった。土地勘がないはずの伊達軍でさえもかなり正確に追いすがり、石田軍との距離を詰めて来る。



 三成と秀吉に一つ決定的な差があるとしたら、逃げ足だった。


 元々百姓で手柄を立てるより命を大事にして来た秀吉は、師匠の信長が一敗にこだわらない性格だった事もあってか逃げるのが非常にうまく、平気で背を向けて嘲笑を買っても平然としていられた。

 だが三成は単純にその才能に乏しく、さらに小姓と言う名の武士だったからどうしても逃げると言う単語に対していい思いを抱けなかった。さらに言えば三成が秀吉に仕えたのはおよそ十五年前であり、それから今まで三成はずっと上り調子の人生だった。たまに敗報はあっても自ら軍の先頭に立つ事もなく、こう言った危機の経験にあまりにも乏しかった。


「上杉はな、今頃上州にすら入ったばかりだ!しかも貴様が水攻めを仕掛けようとしていると聞いて立腹でな、まったく関東管領らしい事だ!」

「出まかせを述べるな!」

「何を言うか、わしは貴様より上杉に詳しい!何せ隣国なのだからな!京にいて越後の情報を掴もうなど威張りくさるな、春日山城だってもう壊れかけなのに!」

 春日山城と言えば上杉家の本城だが、元々は南北朝時代までさかのぼる。現在の形に改修したのは長尾為景と言うから安く見て五十年前の城であり、さすがにどうにもならない所まで来ていたという見方もあった。

「上杉と言う名の主力軍の道を掃除するなど、総大将のやる事ではないわ!」

「責任ある者が責任ある仕事をして何が悪い!」

「それは傲慢だと言うのだ!やれぇ!」


 裏返った政宗の声と共に三成に向けて銃弾が飛ぶ。

 普通なら走りながら銃など撃てるものではないが、その男は特別な訓練を経て馬上狙撃を可能にしていた。

「ぬぬっ…」

 口では動揺を最低限に抑えたものの、その銃弾が自分の真後ろにいた存在を撃ち抜いたのを察した三成の顔色は曇り切っていた。

 依然として水は止まらず、西側に逃げる事もできない。直接飲み込むわけではなく並走、あるいは先を行くように流れては壁を作り、三成に死を迫る。いや、並走でも先行でもない。時には地形に合わせて蛇行してわざとらしく隙間を作って中途半端な希望を抱かせたり、逆にこちら側に近づいて足場を奪おうとする。


 —————その上に。


「何だ!」


 三成に向けて横から投げられる、一本の棒状の物体。

 手裏剣かと思って三成は得物を向けたが、金属音がしない。


 投げ付けられたのは、文字通りの小枝だった。小枝は刀身に触れて真っ二つになり、適当な音を立てて地面に落ちる。

「なめくさるな!」

 今の自分にはこれで十分だと言うのか!そこまで自分は落ちたのか!

 ふざけるな、その油断こそ命取りなのだ!


 三成は手綱を握りしめ、歯を食いしばりながら馬を進める。


 そしてついに、水の音が止まった。



「これぐらいならば行けるかもしれません!」

「わかった!」

 減っていた水の量。もう少し行くか、それともここで渡るか。


 三成は、後者を選んだ。


「逃がすな!」

「あと一歩なのに!」


 政宗と甲斐姫の悲鳴を聞きながら、流れの止まった水を突っ切りにかかる。


 この時の三成の顔は、政宗はおろか甲斐姫よりも美しかった。美醜で戦をする世界戦があれば、彼はこの戦において勝者となっていただろう。

 だがそんな美しき存在に与えられたのは、賛辞でも勝利の栄光でもない。ましてや嘲弄の言葉や怒声でもない。




「なあっ……!」




 二本目の、木。


 しかし今度は小枝などではなく、丸太。いや丸太と言うほどには太くないが、それでも一か所を狙うには十分な一撃を持った木の棒。


 その木の棒の一撃が捉えたのは、三成の馬の尻。

 馬は激しく伸び上がり、三成の体が跳ね上がる。


「ここよ!」


 甲斐姫の号令と共に、三成を討ち取るべく兵が集まる。

 溺死させられればよし、岸に渡っても討ち取れるように。それを本来弾き返す石田軍はもはや、伊達政宗の刃にかかっていた。


「こんな、こんな……!」

「こんなもそんなもあるか!てめえはこうなる運命だったんだよ!」

 三成の馬は足を取られ、水に沈んで行く。溺死しない程度の深さの水だが、それでも三成を水に放り出すには十分だった。




「三十路にて 果てて叫喚 見上げるも 死の林こそ 衆生縁なし……!」




 全ての運命を悟った三成は、足が付く程度の高さの水に浸かったまま自らの刀を首に当て、三十一文字と共に水没した。


「まったく、最後の最後まで……!」

「上方の作法なのだろうな、まったく……」


 甲斐姫も政宗も、西の優等生の最期にため息を吐いた。


 叫喚と言うのは現世で言う所の叫び声であると共に叫喚地獄の意味であり、それすらも見上げるような深い地獄に落ちながらも、現世の民を苦しめる恐ろしき「死の林」と他の人間たちとの縁が切れればそれでよしと言う歌—————。

 ついでに言えば「死の林」とは「シ」の「林」であり、決して「淋しく」などないと言う意味である。自分一人地獄に落ちても決して悔いる事はないと言う意味であり、まったくもってご立派なお話だ。


「お二方とも、まだ戦は終わっておりませぬ。それからそれがしが見た所これこそが三成の本性であると」

「本性、ね……本当、ずいぶんと損な人間だったのね……」

「ああ。どこまでも真面目だ、だが真面目過ぎて人心を読み切れなかった……」


 二人の大将はほどなくして上がって来るだろう死体に向けて手を合わせながら、ゆっくりと回頭した。




 そして三成の死を知った島左近は浅野長政らと共に後退を決意、三成の亡骸を回収し、忍城から撤退した。

「まったく、自分一人で何でもしようとしちまう……俺にもっと頼ってくださっても良かったのに……」

 そう言う点で行けばものすごく愛嬌もあった、ただ理解はされないだろうし自分だって他人に理解させようとしていなかったのと嘆きながら、三成の冷たい亡骸を抱えた。当然の如く三成の亡骸はさらに湿気り、棺桶さえもその色を濃くした。

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