梁上の君子・石川五右衛門

@wizard-T

序章 梁上の君子

武士嫌いの男

「回収は済んだか?」

「はい」


 天正16(1588)年。


 一人の切れ長の目の男が村々を歩いていた。

 年はおよそ三十。

 その男がひと声かけるたびに、多数の金属が荷車に積まれて行く。


「……」

「農民たちには農民たちの役目がある。そなたらあってこその天下だと言う事だ。血生臭い事は我々に任せておけばいい」

 金属たちを恨めし気に睨む農民たちに対し、その男は淡々と口にする。

「でもまだ」

「まだ、確かにまだかもしれん。だがほどなくして終わる。その先にある世界を守るのは我々の役目だ」

 実にもっともらしい言い草だ。

 いかにもその手の口上が似合いそうな顔をしている武士たちの総大将たち、馬上から物を言う男の名前は、石田三成だった。その元々近江の茶坊主であった男が、農民たちに対してそんな事を申し述べている。





 そんな現実を歯嚙みしながら睨んでいる存在は、決して少なくなかった。




(なんでえあの野郎、いけ好かねえ!っつーか自分のご主人様を何だと思ってやがんでえ!)




 こうして刀狩が行われている中にいたその男もまた、怒りといら立ちに包まれていた。




 三成が茶坊主なら、そのご主人様は何だ。

(尾張でちっこい田んぼを引っかいて暮らしてるのがお似合いだろ?そんな奴だぞ!)

 それこそ百姓じゃないか。それも、水呑百姓。


 今じゃ藤原なんとかの養子とかになって「豊臣秀吉」とかなっているくせに、何様のつもりだ。




 この国がサムライに支配されてから、もう四百年近く経つ。


 文治元(1185)年に鎌倉幕府が出来上がってから今の今まで、サムライが政権の中枢に立っていなかったのはせいぜい建武の新政から室町幕府が出来上がるまでの五年ぐらいしかない。室町幕府が応仁の乱で形だけの物になってからも大きな顔をしていたのはサムライばかりで、天皇でさえもサムライの動向に左右され続けた。

 で、室町幕府を滅ぼした織田信長も破天荒を気取ってはいるが結局はサムライであり、そこからはみ出す事はなかった。


 その後継となったのが元羽柴秀吉、いや木下藤吉郎、いや元日吉丸とかいうただの農民。

(今じゃダメおやじの烙印を押されちまって……本当に損な野郎だねあの秀長の親父ってのも)

 その日吉丸の後妻ならぬ後夫で豊臣秀長や旭姫の父親である竹阿弥の評判の悪さも既に知られている。この時すでに四十九歳の秀長の父親である彼はもう生きていないが、それは名前を取り戻す機会はないと言う意味でもある。曰く「大政所(なか)と違って秀吉の才覚を理解しようとせず、自分が産ませた子のみを寵愛せんとした男」だと—————。




「そんな存在だからこそ、ここにいる農民たちの気持ちがわかるだろうがよ!」




 その男————石川五右衛門————は気付かれない程度の大声で吠えた。




 この満天下、石川五右衛門の名前を知らない者は少ない。


 それこそありとあらゆる所に忍び込んではお宝を奪い取る、天下の大泥棒。


 一体どこから来たのかもよくわからない、ある種神秘に満ちた英雄。


 もちろん大っぴらには言えないものの、むしろそれゆえにその存在はある種のカリスマ性を帯びていた。




 もっとも、その実態はあくまでも人間の子であり、出自もちゃんとあった。




「俺自身、忍びの道って奴に興味はねえ。いや、技に興味はあっても道にはねえ…」


 伊賀忍びの棟梁であった百地三太夫の師事した五右衛門は若くしてその技を凌駕するほどの才覚を見せたが、その才覚ゆえにすぐさま忍びの道の行きつく先を知るようになってしまった。

 忍びと言うのは良くも悪くも目立たない物であり、それに死んだとしても顧みられず成果を立てたとしても誇る事はできない。ひたすらに地味な仕事であり、世に認められるなどほぼ不可能だろう。せいぜいが主人の家に可愛がられるのがいっぱいいっぱいだった。


 まだ若かった五右衛門がそんな人生で満足できるわけもなかった。いやまだ伊賀と言う国に忍び働きを評価してくれるような強力な存在—————すなわち武家があれば話は別だったが、尾張の織田信長や三河の徳川家康のような武家など小国の伊賀にはなく、隣国の伊勢の北畠家は織田に事実上支配され、大和の筒井家も事実上松永久秀の支配下に入っていた。そんな中で五右衛門の中で武士への憧憬が産まれるはずもなく、むしろ不信だけが膨らんでいた。




 —————だから、五右衛門は逃げた。正確に言えば、抜け出した。

 

 そしてその忍びの技を使い、盗賊となり、名前を売る事となった。


 もちろん定住なんかできる訳ないから、その過程であちこちを回った。


 その際に、羽柴秀吉ですらない木下藤吉郎とも出くわした。


「自分の主人が何をやってるのか、わかってねえのかね。わかってなおついて行ってるんだから、それこそご立派なおサムライ様だよ」


 もちろん盗人などとは明かしていない五右衛門だったが、それでもまだ土臭い農民だった秀吉の事は嫌いではなかった。

 だがそれから秀吉の上司である織田信長のやらかしを聞くたびに、秀吉の存在が遠くなっていた。

 桶狭間とか、美濃とか、姉川とか、長篠とか、そんな事はどうでもいい。

 どうでも良くないのは、伊勢長島の焼き討ちとか、比叡山の焼き討ちとか、浅井親子や朝倉義景を酒杯にした事とかだった。また単純に、伊賀を派手に焼いた事もまた腹立たしかった。


 それらの行いに唯々諾々と従った結果、秀吉は国を手に入れ、今や天下を手に入れようとしている。



「食うや食わずの人間が何をやってたかなんて、だいたい想像は付くだろうがよ!」


 具体的に何をやっていたのかは知らない。とは言え母親や弟妹はともかく義父がああいう噂を立てられるような人物だったから実家からの支援などないに等しく、それこそ自分一人で食う事を覚えさせられていただろう。その際に貧窮に耐えかねなんらかの罪を犯していなければ逆におかしい。真偽定かならぬ話だが桶狭間時にはまだ信長の家臣ですらなかったとか言う噂まであり、そんな一世一代の好機を逃したとなればますます貧窮からの脱出は困難だっただろう。となれば、と考えるのは極めて自然な流れのはずだった。


(このまま有頂天で天下を取る気だろうな……!だがよサル、てめえにいい加減サムライ気取りをやめさせねえと俺は気が済まねえんだよ、この俺様がな!)


 織田信長にその手の過去がなかったはずはない。源頼朝だって、足利尊氏だって。


 ——————————いや、どれほどの為政者だとしても。


 ひっくり返す気はない。面倒くさいから。


 だが、思い知らせなければならない。

 しょせん自分が、元々ただの農民であったことを。


「ならよ……!」


 石川五右衛門は、草の陰から見届けた石田三成の利口ぶった表情を焼き付けながら姿を消した。


 向かうは東。


 未だ豊臣秀吉に服属していない、たった二つの御家。


 その存在を目指し、石川五右衛門は駆け出した。




 ——————————その中でも、ひときわ若く活力ある存在へと——————————。

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