4
その後、浩平は海を見つめていた。明日、この磯島を離れる。しばらくここを離れるけど、豊かさを求めて、そして強くなるためだ。ちっとも寂しくない。だけど、ハルがいないと思うと、寂しいな。
「はぁ・・・」
浩平はため息をついた。この海はとても美しい。生まれた時と全く変わっていない。だけど、ここで作業をする海女は変わった。年老いた海女は引退したり死んだりして、代わりに若い海女が入ってくる。だけど、海女のいる風景は受け継がれていく。
「浩平・・・」
誰かの声が聞こえた。若い女性のようだ。一体誰だろう。母のような声だけど、ここに母はいない。夕食を作っているのに。
浩平は辺りを見渡した。と、その横には人魚がいる。ふと、浩平は昨日の海水浴を思い出した。まさか、昨日の海水浴でいた人魚だろうか?
「あれ? えっ、えっ、人魚? じゃあ、あの時、一緒に泳いでたのは?」
「そう。私」
浩平は驚いた。あれは錯覚ではなくて、本当だったのか。でも、どうして人魚が僕と一緒に泳ぎに来たんだろう。そして、どうして僕の名前を知っているんだろうか?
「そうだったんだ。幻じゃなかったんだね」
と、浩平は森田から聞いた話を思い出した。ハルは磯島で一番の海女で、まるで人魚のように泳ぎ、獲物を獲っていたという事を。
「人魚で思い出したんだけど、去年死んだおばあちゃんって、この辺りで一番の海女さんで、まるで人魚のように泳ぎ、獲物を獲るって言われてたんだ」
「そう・・・」
人魚はそれを聞いて、何かを感じたようだ。浩平の行った事に、何か聞き覚えがあるようだ。浩平は首をかしげた。どうしてそれに反応したんだろうか?
「ど、どうしたの? って、どうして、僕の名前がわかるの?」
「私、おばあちゃんの生まれ変わりなの」
浩平は驚いた。まさか、ハルの生まれ変わりだとは。だから、人魚なのかな?
「そんな!」
「びっくりしたでしょ?」
人魚は笑みを浮かべた。まさか、人魚に生まれ変わったとは。浩平は信じられなかった。だけど、人魚のように泳いでいたから、人魚に生まれ変わったのかな?
「うん」
「おばあちゃん死んでから、何があったの?」
人魚は聞きたかった。死んでから、浩平に何があったのか、全くわからない。ただ、海を泳ぐだけで、地上の事は全く知らないからだ。
「いたって変わりはないよ。だけど、おばあちゃんが死んでから、少し寂しくなったよ」
浩平は下を向いた。ハルがいない事が辛いようだ。その様子を見て、人魚は浩平の肩を叩いた。励まそうとしているようだ。
「でも、大丈夫。いつでも見守っているからね」
「ありがとう」
人魚は海女のいる海を見た。今日も海女はいつものように漁をしている。人魚は海女に見えなくても、その様子を見るのが楽しいようだ。自分の後輩がしっかりと次の世代に海女の伝統を受け継いでいるのが嬉しい。
「私は生まれ変わって、海女さんを見えないように見守る事にしたの」
「そうなんだ。やっぱり海女さんの獲った海の幸って、おいしいね」
人魚は嬉しくなった。ここで獲れる海の幸は、とてもおいしい。多くの料理人が絶賛しているぐらいだ。それらは、磯島の誇りだ。
「そうでしょ?」
「これから、どうするの?」
これから浩平は、どんな大人になっていくんだろう。人魚はとても気になった。浩平は全く夢を考えていなかった。
「高校から大学に進学して、一人前になりたいなって」
「ふーん。夢があっていいじゃないの」
人魚は夢を持っている浩平を応援しているようだ。これからどんな困難があっても、浩平を応援したいな。
「あの海は、どこかにつながっているんだね」
「そうだね」
あの海の向こうには、何も見えない。あるのは、海だけだ。だけど、その向こうには大陸があって、どこかに続いている。
「だから、いつでも私は見守っているから、寂しがらないでね。そして、強く生きてね」
「うん」
浩平は思った。あとどれぐらい、磯島に戻る事ができるんだろう。周吉はどれだけ生きられるかわからない。周吉が死んだら、磯島に帰る必要はなくなる。
「また帰って来る時があったら、またここに来たいな。そして、これまでの事を話したいな」
「いいわよ」
人魚は海を見た。そろそろ海に帰る時間だ。寂しいけれど、またここで会えたらいいな。
「じゃあ、私は海に帰るね」
「じゃあね」
「じゃあね」
人魚は海に戻っていった。浩平はその様子をじっと見ている。
浩平は帰り道を歩いている。夕方の磯島はとても静かだ。時々すれ違う海女は楽しそうに世間話をしている。いつもの光景だ。だけど、周吉が死ぬと、もう戻れないかもしれない。だけど、ここは故郷のままだ。この風景を、忘れずに、東京で頑張っていこう。
浩平は家に帰ってきた。家は昨日と同じく賑やかだ。だけど明日、僕と両親が東京に戻ると、また寂しくなる。おじいちゃんは寂しくないんだろうか?
「ただいまー」
「おかえりー、遅かったじゃないの。まぁいいけど」
七子は夕食を作っていた。七子は浩平の帰りが遅いのを心配していたようだ。
「なんだ、気分がいいじゃないか? どうしたんだ?」
海人は浩平の機嫌がいい事が気になった。朝は機嫌がよくなかったのに。どうしたんだろう。
「何でもないんだ」
「ふーん」
海人は笑みを浮かべている。何か、秘密にしている事があるんだろうか? 何も聞かないでおこう。浩平だけの秘密だ。
「明日は東京に帰る日だね」
「うん」
浩平は寂しそうにするだろうと思ったが、全くそうではない。東京でも人魚が僕を見ているかもしれないと思うと、少し元気が出てきた。
「どうしたの?」
「あと何年、ここに帰ってこれるのかなと思って」
海人は驚いた。ここに帰れるのはあと何年かって、どうしたんだろう。浩平に何かあったんだろうか?
「行きたい時に帰ればいいじゃないの」
「そうだね」
浩平は少し照れた。周吉がいなくなっても、行きたくなったらここに戻ればいいじゃないか。ここは東京から鉄道で行ける場所だ。いつでも帰ってくればいいじゃないか。
「大きな夢を叶えたら、再びここに帰りたいな」
その時浩平は、童謡の『故郷』を思い出した。その3番の歌詞にぴったりだ。
「いいじゃない! また帰ったら、この辺りの人、みんな喜ぶよ」
「うん! そうしよう!」
浩平は思った。周吉が亡くなっても、ここに来ればいいじゃないか。人生の節目に、何かをやり遂げた時に。
翌日、3人と周吉は磯島駅にいた。磯島は帰省ラッシュと観光客で多くの人がいるが、東京ほどではない。観光客は美しい服を着ていて、楽しそうだ。これから故郷を後にする人は、故郷との別れを惜しんでいる。
「お世話になりました」
七子はお辞儀をした。今度来るのは年末年始だ。その時まで元気でいよう。そして、東京での日々を伝える事ができたらいいな。
と、周吉は浩平の肩を叩いた。何か言いたい事があるようだ。
「浩平、また来るんだぞ!」
「うん!」
浩平は元気に答えた。東京で頑張って、年末年始にまた帰って来るさ。
「それじゃあ、さようならー」
「さようならー」
3人は磯島駅の改札を抜けた。その先には櫛型のホームがあり、多くの特急が停まっている。だが、普通電車はその端の狭くて短いホーム1本だけだ。
これから乗る特急電車は一番端にある。赤い流線型の特急で、3列シートとサロンシートもあるが、3人が乗るのは比較的安い4列のシートだ。
「いよいよ東京に帰るぞ!」
「うん!」
3人は特急電車の中に入った。中には観光客の他に、帰省帰りの人もいる。とても賑やかだ。
3人が指定の席に座って間もなく、発車のブザーが鳴った。扉が閉まり、特急電車はVVVFインバータの甲高いうなりを上げて磯島駅を後にした。
特急電車は程なくして、磯島を抜ける橋を渡った。その先はもう本州だ。その先には東京がある。
程なくして、特急電車はトンネルに入った。トンネルは短く、すぐに抜けた。その先には海が広がる。海では海女がいつものように漁をしている。
「あっ・・・」
その時、浩平は見た。海女を見守る人魚の姿を。人魚はその様子を見て、何を思っているんだろう。
と、人魚は振り向き、手を振った。浩平の事に気付いたんだろう。浩平が手を振ると、人魚は笑みを浮かべた。浩平がいる事に気付いたようだ。
「どうしたの?」
七子は不思議に思った。浩平はどうして手を振っているんだろう。まさか、あそこの海女に向かってさよならを言っているんだろうか?
「何でもないよ」
だが、浩平は何でもないと笑みを浮かべている。人魚の事を、秘密にしようと思っているようだ。
両親には見えない。だけど、そこにハルはいる。いつも僕らを見守っている。だから、寂しくなんてない。
おばあちゃんの海 口羽龍 @ryo_kuchiba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます