第二章(三)


「はい、はい、え? えぇ、それはもう。ネオリアといいコンビになりますよ、彼は」


 遥人はなにもない天井へ話しかけていた。


 そう、なにもない。

 あるのは少し色あせた、木目の天井に拳ほどのシミが一つ。

 まるで人の顔のようなそれは、しかめっ面をしてるかのように見える。

 見えるだけだ。

 遥人は困ったような顔をする。

「まぁ、そんな顔をしなくとも、ネオリアだって考えがあるんですよ」

「だから、今は静観してください」

「え? あぁ、オリビアさんですよね、困ったな……彼女が絡むと面倒なことになるのが目に見えてるんですが」

 その光景は、側から見ればただ誰もいない部屋で、ひとり一方的に喋ってるようにしか見えない。耳にワイヤレスイヤホンで電話してるわけでもなかった。

 これが、もし周囲に人でもいたら、おかしな変人扱いされるかもしれない。

 相手が、いると認識されないならばだが。

「あ、やっぱり、あちゃー。最初は簡単な仕事をですね……はいはい、分かってますよ、選ぶなでしょ」

 すると、天井に浮かんだシミ――いや、顔がゆるりと笑んだ。ゆらりと揺れて、表情を作ったのだ。


 そう、


 相手はいないのではない、そこに浮かび上がるそれが話し相手だったのだ。

「でもオリビアさんが出くわすのって、大抵やばいのしかないんですよねぇ」

 遥人がこまったなぁと、しかし、あまり困ったように聞こえない呟きを漏らせば、天井のシミがぐにゃりと歪んでやや、怒った顔となった。

「はいはい、人を助けるのが使命ですからね……まぁ、殆どの奴らは表向きなだけでしょうがね。や、なんでもないですよ。分かりました、今回は彼女と共同ですね」

 そう言ってから、遥人はふむと呟いてから、言葉を続ける。

「まぁ、頑張りますよ。貴方がたの下なら、ネオリアと安心してこちらに‘いること’ができますからね」

 その声に、温度はなかった。ただ、口だけは笑っているだけだ。

 言われた言葉に、天井からみしりと音がし、シミの顔が歪んだようだった。

 すると、遥人は「あぁ、大丈夫ですよ、前みたいなことはしませんから」とふふっと、今度は顔に笑みを浮かべ笑いの含んだ言葉を漏らせば、シミの歪みが止まる。

 安堵したのだろうか、それとも遥人の放った言葉の裏を探っているのだろうか。

 ただ、動かなくなったシミに、遥人は小さく息を吐いて言葉を続ける。

「何もしやしませんよ、奴らと関わるのはこりごりですからね。それにほら、今は貴方が直接、こうして我々を庇護下に置いているから手も出してこない」

 ひらひらと両手を横に振れば、シミが歪み、また天井からみしりと音がする。

「ただ、そうですね。ちょっかい出される可能性はあるでしょうが」

 まぁ、極力関わらないようにしますよ。そう言った遥人に、シミはぐにゃりと歪み、しばらくしてすぅっと消えていった。

「分かってますよ、まったく、あの人も心配性だなぁ」

 ふぅっと、壁に背を預けて天井をぼぉっと見上げたまま、さてどうしようかと誰に対してでもない呟きを漏らす。

「……いるんでしょう、開通屋さん」

「はいはい、だって、貴方が呼びましたからねぇ」

 ゆらりと窓が揺らぎ、キラキラと星を散りばめたかのような、夜空色のまぁるい空間が現れる。

 そこから赤い長靴をはいた色白の足がにゅっと現れ、つづいて細長い手がガシリと空間端を掴む。

 「よっこいしょ」と言いながら、二つのお団子にまとめた青髪の少女が顔を出した。

 室内だというのに、真っ黒なサングラスをかけ、大きめの赤いロープに身を包んでいる。髪の色とは正反対の真っ赤なコーディネートは目に痛い。

「で、開けれますか?」

「何のために私を呼んだんです、できるにきまっているでしょう? だいだい、あの方からも頼まれてますしね」

 そう言って、今は何もない天井を彼女は見上げた。

 やはりか、別件で遠方の仕事についてた少女をすぐに呼べたのだ。本来なら二、三日はかかるだろうに。早くても一日か二日は来てもらうのにかかるところを。

「ほんと、頭上がらないや、面倒見よい人だなぁ」

 ちょっとお節介が過ぎるけどと言う顔は、困ってるような嬉しそうな顔で先程より温度があった。

 少女は「そうやって、笑ってあげたらよかったのに、素直じゃない人だ」とちいさく、ちいさく聞こえない程度に呟いた。

「? なにか」

「いいえ、それで、行かれますか」

「いや、まだ僕はね、君だけ言ってほしい」

「ふむ、こちらも静観ですか」

「まぁ……彼らのコンビネーションを信じるとだけ」

「そうですか、分かりました」

「うん、じゃあ、よろしくね」

 遥人がひらりと片手を振れば、少女は小さく礼をすると、再び歪んだ空間へ足を突っ込む。

 しかし、ぴたりと空間に足を掛けたまま振り返り

「でも、お代は貴方からです。超スピードで来たのでいつもよりお高いですから、そのおつもりで」

「は」

「あと、君と呼ばれるの好きじゃないんで、開通屋でお願いします」

 ではと言い放ち、開いた中へ今度こそ入っていくと、瞬く間に歪んだ空間が消えていく。

 暫く――言われたことに呆気にとられていると、はぁっと、今日一の大きなため息を吐いた。

「倍かぁ、ネオリアの食費、減らそっ」

 暫くはおやつ抜きだな、うんと呟いて、あくび一つ。自室へ戻っていった。





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