第一章(九)

 いづるは朝早くに学校について早々、逃げるように使われていない教室に入る。

 辺りを伺うと、大きくため息をついてからカバンの中をじろりと睨みつけるように見下ろした。

 本来ならカバンには、教科書やら弁当が入っている。入っているのだが、今はそれがあるものに代わっていた。弁当は悲しいかな、ほぼカラの弁当箱だけになっている。

 何故か、それは食べた者がいるいるということである。

 もちろん、いづるではない。

 正体は何か。

 カバンの中からがさごそと「せめぇな」とくぐもった声、そして妙に膨らんだカバン。

 昨日のことで疲れていたいづるは、ぼーっとしたままカバンを持ってきたことを深く後悔した。ちゃんと朝にもう一度、確認するべきだった。

 なんで、いる。

「……おまえ、ついてきてたのか」

 いづるがじろりと睨む先、その妙に膨らんだ正体は、睨みなどものともせずに、ふんっと鼻を鳴らす。

「おまえが俺のパートナーにふさわしいか、見極めてやるためだ。ついてきてやってるの、ありがたく思えよ」

 それは昨日、バイト先で紹介された相棒という名の喋る獣、ネオリアであった。ネオリアは器用に開けた弁当箱から、たこさんウィンナーを手に取り、むぐむぐと頬張りながら言うものだから、いづるのこめかみには青筋が浮かぶ。

 今日一番の楽しみだったお弁当を食べられたのだ。しかもメインの一つ、たこさんウィンナー。

 何度でも言おう、食べ物の恨みは恐いのだ。

 その他のおかず、卵焼きに煮物もほぼ食べられてるのだから、いづるは心の中で血の涙を流した。

「お前、食べ物の恨みはこわいって、知ってるか?」

「ふん、食べるのが遅いお前が悪いんだ。大体、こっちは朝早くでお腹すかしてるんだぞ、しかもカミサカが朝のご飯、昨日食べ過ぎだって減らしやがって」

 ふんふんと鼻を鳴らし、ふて腐れるネオリアに半目になる。

 あれだけ食べていたのだ、ネオリアの体調を気にしてのことだろう。上坂――遥人の気遣いはしかし、無駄に終わったようである。

「……お前のせいで、なずなに怪しまれたぞ、あれ」

「なんだ? 彼女か?」

「違う、お前……変にませた獣だな」

「ふふん、ネオリア様にかかれば恋愛なんて簡単! 相手はいちころ! この愛らしさでみんな、ノックダウンだぞ! 凄いだろっ」

「はいはい」

 だんだん相手をしているのが面倒になったいづるは、どうでもいいとばかりに返事をする。

 そして先ほど、カバンにネオリアが入ってるのに気付いて、慌てて逃げるように別れた幼馴染、なずなの事を思い出す。何か言いたげな、寂しそうな顔をしていた。

「……今度、なにかお菓子持っていくか」

「なんだ、お菓子?! 俺も食べたい!」

「お前は散々、遥人さんに食べさせてもらってるんじゃないのか」

「それとこれとは別だ!」

 食べたい食べたいと連呼するネオリアが煩く、いづるはああもう、と煩わしげに小さく声を上げた。

「わかった、わかった! ったく、お前、食べることしか考えてないのか? ってか、食い意地張りすぎだろ」

「……別に、腹いっぱい、食べたいだけだ」

「?」

 少しばかり、間のある回答にいづるは首を傾げる。さっきまで、さんざん騒いでいたのが嘘のよな静かな言葉だったからだ。

 が、そう思ったのは数秒だった。

「だから、寄こせ!」

「……ぶれないな、お前。はー、買わなきゃ煩そうだな。わかった、わかった」

「よしっ、その言葉忘れんなよっ」

 上機嫌に、カバンからひょこりと身を乗り出し、二つに分かれた尻尾をぶんぶか振る姿は

「……こうしてれば、まだあれなんだな」

「なんだ?」

「なんでもない」

 いづるがすっと目を逸らすと、特に気にすることなく、ネオリアは辺りをめずらしそうに見渡して、またふんふんと鼻を鳴らした。

「にしてもここ、そうか、やっぱり」

「なんだよ」

「道がある、小さく新しいのが、できてるぞ」

「……はっ」

「来て正解だったな! よし、さっそく辿るか、仮の相棒! いくぞっ」

 びしっと、短い手で指し示す方は教室の入り口である。

 しかし、いづるは冷静だった。

「いや、いかないから。バイトは放課後、授業だからお前、隠れてろ」

「なんだと?! お前、契約したくせに!」

「だから、じゅぎょ――」


「そこに誰かいるんですか? もう、HRが始まりますが」


「「!!!」」


 いづるとネオリアは、思わず口をばっと手でふさぐ。と、いづるはすぐさまネオリアをバックに押入れチャックを閉めた。

 がらりと、教室のドアが開く。

「あら、やっぱり誰かいたのね。こんなところでなにしてるのかしら? もうそろそろ、朝のHRが始まるけれど」

 入ってきたのはいづるたち、一年の学年主任である東堂冬海であった。細い黒縁フレームの眼鏡に、ボブショートの髪の女性だ。この先生は少しでもおかしいと感じたら容赦なく厳しく追及してくることで有名で、案の定、こんな空き教室にいたいづるへ訝しげな鋭い瞳が向けられた。

(あちゃー、怪しまれてるな)

「ええっと、ちょっとお腹痛くなって休んでたというか」

「なら、保健室行けばいいでしょう?」

「保健室はちょっと、苦手で」

「苦手でも、具合悪いのならいかないと」

「はは、そうですよね」

 から笑いをするいづるに、さらに東堂の瞳は細まる。

「……キミ」

「はい」

「さっき、誰かと話してなかったかしら、その、気のせいならいいのよ。誰もいないみたいだけど、誰かいるわけじゃ、ないわよね?」

「……いない、ですけど。先生にはだれか見えるんですか?」

 いづるがそう言えば、なぜかものすごく狼狽して東堂が半歩後ずさった。

「み、みえるわけないでしょう、も、もういいです。具合悪いなら保健室で休んでなさい。ええっと、君の名前は? クラスは? そ、そのネクタイなら一年ね」

「7組の有川ですけど」

「そう、先生には伝えとくから行きなさい」

「え」

「ほら、いくの、ああもう、行くわよ! まったく、変なこと言うんだから」

 そう言ってさっさと出て行く東堂に、いづるは暫しかたまり、目を白黒させる。

「なんだ、あれ」

「怖いの嫌いなんだろ」

 とたん、カバンからくぐもった声でネオリアが言ってくるが無視をする。

「ほら、早く来なさい!」

「あ、はい」

 ひょこりと出てったドアから顔を覗かせた東堂に、慌てて返事をして追いかける。

(まあ、ネオリア連れて授業は無理があるか)

 ありがたく、東堂の言葉に従うことにしようと思ういづるであった。





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