第2話 ぎこちない夫婦関係
世の中には円満離婚というものもある。
例えば、俳優と監督、あるいは俳優同士などと言った、文化人同士などでは、結構離婚も多いような気がする。
ニュースになるからそう感じるだけなのかも知れないが、
「お互いにすれ違いが多く、これからはお互いの道を目指すために、一度リセットしたい」
という理由で離婚する夫婦が結構いるが、その言葉をまともにすべて信じていいのかどうかは別だが、額面通りに受け取ることはできる。
実際に、そういう理由での離婚であれば、どちらも傷つくわけではない。
「このままズルズルと結婚生活を続けていれば、お互いにダメになる」
という思いであったり、
「このままでいれば、どちらかにしわ寄せがいってしまい、相手はそれを分かってあげられないという悲惨な末路が見える気がするので、このタイミングで」
と言って、離婚を思いきる人もいるようだ。
同じ道を目指すのに、個人として目指すものと、配偶者がいることでお互いに刺激になっている時はいいのだが、どちらかが認められた時、もう片方は果たして祝福などできるだろうか。
祝福と嫉妬のジレンマに陥れられると、まわりは感じるかも知れないが、祝福の気持ちなどあるわけはない。すべてが嫉妬であり、特に自分の身近な人であれば、
「見捨てられた」
さらには、
「裏切られた」
とまで思うかも知れない。
それは確かに相手の方に才能があるのだから仕方がないことだろうが、相手は認められ、自分はそんな幸福の絶頂にいる相手を見続けなければいけない。嫉妬を隠して祝福ができるくらいなら、最初から芸術の道を目指したりなんかしないだろう。
さらに、収入の面も大きな理由になってくる。
奥さんが売れっ子作家になっていたとして、自分はずっと売れない作家。
「奥さんに食わせてもらっている」
とまわりから言われる分にはまだ我慢ができるが、
「あなたは、あなたの道をいけばいいのよ」
などと、奥さんに言われてしまうと、その言葉にこれっぽちも信憑性が感じられない。
そんな時、奥さんが何を言っても皮肉にしか聞こえないのだ。慰めの言葉は最高の皮肉であり、分かっていたとしても、それを認める勇気が自分にはない。
そういう意味で、離婚には、相手に対しての嫉妬が含まれていることが多い。それは才能という意味もあるが、もっと生々しいのは、相手が心変わりした時である。
これが結婚の中で一番目立つものであるが、
「配偶者のとちからが(どちらもの場合もあるが)、浮気をした場合」
つまりは、不倫をした場合ということである。
男女の関係というのは、精神的なものと、肉体的なものがある。結婚する前は、その二つを一緒に考えている。お互いに自由なのに、浮気をしない男も女もいるというのは、その二つを一緒に考え、うまくいっている証拠だろう。だが、結婚していなければ、浮気をされれば、怒って別れればいいだけだった。
「最後には別れてしまえば、それでいいんだ」
と、もちろん別れるまでには、それなりに精神的な葛藤があるだろうが、結果としては、簡単に割り切ることができる。
しかし、結婚していれば、そうもいかない。子供がいたりすると、話がもっと複雑になるのだが、この子供の存在が厄介だったりすることもある。
「嫁が妊娠して、抱くことができなくなったので、浮気をした」
という男性も多いだろう。
精神面と肉体とが、別れている証拠だ。そんな時の旦那は、きっと、これは仕方のないことだと思うだろう。男の抑えられない欲望を果たしただけだと思うのだろうが、問題としては、
「不倫をした」
ということにある。
不倫をするということは、身体だけではなく、精神面も癒しを求めたということであろう。その時は精神面と肉体面を切り離して考えなければいけないのに、一緒に考えてしまった。
切り離してしまえば、風俗で発散させればいいという考えもできるはずだ。
愛している奥さんがいるのだから、肉体面の欲求不満だけを解消すればいいのに、どうして精神面まで求めてしまうのだろう。男の中に、
「風俗通いは妻への裏切りになる」
と考えたからだろうか。
実際には、もっとひどい裏切りになるということを理解できていないということなのだろうか?
世間で、時々やっている、何とかリサーチなるもののアンケートで、
「どこからが浮気になるか?」
と男女に聞いてみたりしているが、その中で、
「浮気ならどこまでが許せるか?」
というものの中で、いろいろな調査もあり、その時々で結果も違ってくるだろうが、総称して考えると、
「相手に気持ちが移ってしまうと、その時点でアウト」
というのが多いようだった。
もちろん、嫉妬に狂っている時であれば、身体を重ねた時点でアウトだという人もいるだろう。浮気や不倫は、すでに身体を重ねればアウトだからである。ということは、
「浮気であっても、許せる部分と、許せない部分がある」
ということである。
寛容には見えるが、実際には、この場合の許せないという言葉は、本当に許せない部分で、ここまで来ると、もう妥協は許されないという女性側の気持ちである、
ここが女性の難しいところで、
「女性というのは。ギリギリまで我慢するけど、一旦我慢の度合いが一歩進むと、絶対に許さないところまで来ていることが多い」
つまり、男性が、
「これはヤバい」
と思った時には、もう女性の中での覚悟は決まっていて、それを動かすことは何人にも無理だという状態に陥ってしまうのである。
男性と女性の温度差は、
「男性がヤバいと気付いた時には、もう時すでに遅しという状況になっていることが多い」
ということである。
考えてみれば、それは男性にしては耐えがたきことである。そんな素振りも見せていないのに、いきなり梃子でも動かないような状態になっているというのは、まるでだまし討ちではないかと思われても仕方のないものなのだが、女性の中にそういう人が多いというのは事実であり、それが、男女の中での一番大きな違いなのではないかとも感じた。
ただ、これは、
「男が浮気をした」
という場合である、
もし、これが逆に、
「浮気が女性だった場合にはどうなるだろう?」
と考えていたが、これも結果は同じではないかと思う。
女性が浮気をするということは、その理由は、結婚生活において、旦那が自分のことを愛していないと思い込んで、愛情に飢えてしまったことによって、浮気相手を求めたのだと主張されれば、たぶん、まわりは男性に対して、冷たい目で見ることになるだろう。
そもそもの理由を作ったのは、夫だということである。
では、なぜ男が浮気をした時、女性が悪いという発想にならないのだろう?
ここに何か男女差別のようなものがあるのではないかと思われる。
確かに今の世の中は、男女均等などといって、女性に男性と同じ権利を与えることを主張できる世の中になってきたが、そもそも、男女を別々に分けたということに、何らかの理由が存在しないかということである。
男と女が愛し合って結婚し、子供が生まれることで、子孫が繁栄するというのが、基本的な遺伝の流れだが、それは、
「男は男、女は女」
としても役割ができているからだ。
それを無理やり、男女同権だと言って、すべてを一緒くたにするのはどうかと思う。過去の人間が、男尊女卑の極端なものを受け継いできた悪しき伝統がこのような時代を作ったのではないか。それは肉体的にではなく、精神的にも同じことだ。この均等というのは、肉体面だけしか見ていないのは、男と女とが、別れを前にした時に感じる、相手を許せなくなる境界線のギャップにもあるのではないだろうか。
確かに男女同権、男女雇用均等は必要かも知れないが、それを盾にして、自分の都合のいいように解釈し、それを
「男女同権」
という言葉で片づけようとする女性もいないとは限らない。
この問題は、
「限りなく同権に近づけようとはできるだろうが、決して、同権であるわけはない」
と言えるのではないだろうか。
なぜなら、男性と女性は身体の作りが根本から違うのだ。それを踏まえずにすべてを同権だとするのは無理がある。
では、それを踏まえたうえで、同権にすればいいと言われるかも知れないが、どうなると、
「それを踏まえるのは誰なのか?」
ということである。
そこが曖昧であると、今度は男性の立場が怪しくなる。女性を男性に近づけようなどとは絶対にできないのだ。そういう意味では、男性側にも女性に歩み寄る形のものがなければいけないのではないだろうか。男性に女性を近づけようとするから無理があるのであって、どちらも不公平のないように、妥協して、お互いにうまい落としどころを見つけるしかないのではないか。
そもそも、身体の作りが違っているのだから、どちらかに無理に合わせようなど、無理な相談なのである。
「人間は、生まれながらに不平等だ」
と言われるが、それは別に男女同権の話から来ていることではない。
どちらかというとこの発想は、
「人間は、生まれてくる時も、死ぬ時も選べない」
という発想から来ているのではないだろうか?
生まれてくるのを選べないというのは、
「子供は自分の親を選べない」
ということだ。
親が裕福な家庭であるか、貧乏であるかという時点で、すでに生まれた時点で不平等ではないか、皆、同じような親から生まれるわけではない。社長の息子として生まれる子供もいれば、貧困にあえいでいる家に生まれる子供もいる。中には親が犯罪者ということもなきにしもあらずである。
それを思うと、生まれながらに不平等だ。
では、それを育つ環境と、本人の意志によっていい方に変えられるのであればいいが、なかなかそうもいかないだろう。だが、裕福な家に生まれたからと言って、一生幸せに暮らせるというわけでもないし、貧乏な家庭に生まれたからと言って、ずっと貧乏というわけでもない。
そういう意味で、確かに男女平等という言葉は、
「機会均等」
という意味では当て嵌まるだろうが、それを誇大解釈をして、
「男女はすべてにおいて、平等でなければいけない」
という発想になると、それはそれで恐ろしいことになる。
そもそも男女が平等であれば、セクハラやモラハラ、マタハラ(マタニティ・ハラスメント)などが発生することもない。
それなのに、男女平等を盾に、
「セクハラだ」
と言って大げさに騒ぎ立てる人がいるが、それは言っていることが矛盾しているとは思わないのだろうが。
そういう人に限って、
「男としての権力を振りかざす」
というのだろうが、男女平等であるならば、セクハラを自分のことで訴えるというよりも、今後の男女平等のために立ち向かうという発想であれば分からなくもないが、訴訟を起こしても、相手に示談金を積まれると、
「背に腹は代えられない」
とばかりに、示談に応じる人もいる。
それはそれで仕方のないことだとは思うが、
「男女平等をあれだけうたっていたのに、簡単に矛先を下ろすとは、どういうことなんだ?」
と言われるに違いない。
「夫婦の間のことは夫婦にしか分からない」
というが、ハッキリ言って、この夫婦はどちらかというと分かりやすい方だった。
五年という歳月がもたらしたものは、やはり大きかったのだろう。旦那の方とすれば、最初の二年間くらいは結構楽しくて、充実した時間が過ごせていたようだ。その二年間のうちに、安心感が芽生えたのか、
「少々のことで、お互いに亀裂は生じないだろう」
という思いがあったことで、しばらくして二人の間に会話があまりなくなってきた時に感じたのは、
「もし、何かあればきっと私にちゃんと相談してくれるだろう」
という思いから、無口になってきた奥さんに対して、自分から会話をしなかったkとだった。
それが奥さんにとって、旦那に対しての疑問として浮かんできたのだろう。
奥さんも結構我慢したのかも知れない。元々スナックに勤めていて、
「ずっと一人でもやっていけるよう、自立するんだ」
という意識が強かったことで、旦那を信じようという思いが強かったに違いない。
それだけに、自分が苦しんでいる時に手を差し伸べようとしない旦那に次第に疑問を持つようになり、
「私のことを愛していないのだろうか?」
と感じるようになると、疑心暗鬼が激しくなり、次第に精神が不安定になってきたのではないかと思われる、
そうなると、真っ暗な中で足元がパカっとあいてしまったかのように、奈落の底に堕ちていく自分を感じたのかも知れない。
次第に疑惑が加速するようになり、妄想に近づいてくると、ロクなことを考えるようになってくる。
「あの人は浮気をしているんだ。だったら、目には目を、歯には歯をで、この私だって浮気くらい」
と思ったとしても、無理もないことであった。
その時に旦那が浮気をしていたという確固たる証拠があったわけではない、確固たるものどころか、浮気を示唆するものも何もなかった。
ただ、紗友里の中で妄想が勝手に膨らんでいき、自分以外の女性を抱く旦那の姿がおぼろげに浮かんでくるのだった。
のっぺらぼうのオンナの口には白いものが見えていた。目が見えるわけではないのに、目があったかのように感じたのは、どういうことであろうか?
明らかに旦那はその女の魅力に参っているようで、女は自分を敵視しながら、余裕の笑みを浮かべている。そんなことを思うと、
「本当に私はこの男を愛していたのだろうか?」
と思うのだった。
それまでは肉体的にはマンネリ化から少し距離感があっただけで、精神的には結び付いていると思っていたはずなのに、夫からの裏切りを感じると、その反動は大きなものとなっていった。それが、
「身には目を、歯には歯を」
という考えに至り、早急に浮気相手を探そうと思うことだった。
浮気相手は探すまでもなく、すぐに見つかった。
相手は誰でもいいというわけではなく、気持ちが移ることのないような、
「ただの遊び相手」
というくらいがちょうどよかった。
その方が、露骨にバレることもないだろうし、何よりも相手に本気になられて、浮気が浮気でなくなってしまうことを、紗友里はよしとは思わない。
肉体関係だけの相手であり、快感を貪ることができればいいというだけの、そう、気分転換にはちょうどいいくらいの相手を欲していたのだ。
そこには、
「自分の浮気が先に相手にバレてしまったら、私の負けだ」
という意識があった
あくまでも、自分の不倫は、
「相手に先を越されたが、別に負けたわけではない」
という、まるで勝負感覚だったのだ。
浮気は旦那に隠してするものではあるが、あくまでも、旦那に対しての当てつけだという最初から矛盾したものだったのだ。
歪な感覚で始めようとしている不倫であったが、よくよく考えてみると、他の家庭でも不倫が始まるきっかけや、始める時の最初の気持ちは皆大同小異、似たり寄ったりではないかと思うのだった。
浮気相手を物色するには、
「セレブの奥様」
という肩書は十分なものだった。
明らかにこちらを見る男性諸氏の目の色が違っている。だからと言って、こちらも物欲しそうな態度で臨めば、相手の思うつぼになるだろう。ここまで自分の需要が高いのであれば、こちらから焦る必要などサラサラないだろう。
そう思って物色していると、どんどん傾向が分かってくる。自分よりも年上の男性はそれほどギラギラした目で自分を見ている人は少ない。チラ見をする人は結構いるが、元々が紗友里に興味があるわけではなく、セレブの奥様という珍しい人種として興味があるだけなのだろう。
そういう人でもいいのだが、旦那自体が年上なので、浮気相手は若い方がいいと思い始めた。セックスに関してはがさつかも知れないが、それは最初だけのこと、自分が仕込めば次第に上手になってくる発展途上の、
「坊やたち」
そんな子たちを物色することを考えていけばいいように思えるのだった。
ちょうどよさげな男の子だちというのは、セレブな家庭だけあって、出入りの御用聞きのような子もいたりして、より取り見取りのところもあった。
また、一つ考えたのは、何か新たな趣味を持って、そこで見つけるというのも手のように思えた。
さすがに家に出入りしている少年に手を付けるのは露骨な気もした。最初は、
「見つかりそうで見つからないというところにスリルがあるんだわ」
とも思っていた。
最初からそんな男の子たちを物色するのであれば、この思いは結構強かったかも知れないが、
「焦る必要はない」
と思い始めて、その思いgどんどん萎んでいった。
そして思いついたのが、サブカルチャーのような習い頃であったのだ。
「何がいいかしら?」
と、思っていた時、音楽関係と芸術関係に大きく分けられるように感じた。
音楽関係は、業界を見ていると、どうもきな臭い感じがした。バンドであったり、音楽関係のアーチストというと、芸能界との癒着を考えたりすると、よく耳にするのが、
「薬物による逮捕」
であった。
よく週刊誌の芸能ゴシップなどを見ていると、そういう記事が躍っているのをよく見る。もちろん、すべてが本当だとは思わないが、せっかく焦らずに探そうと思っているところにわざわざ危険を承知で飛び込むだけの気持ちはなかった。
それよりも、芸術関係であれば、一人で孤独な人が多いだろうし、多少偏った考えをする人もいるだろうが、それも、一つの冒険であり、そこまで大げさなものではないと思えた。
嫌になれば、やめてしまえばいいだけだ。相手だって、孤独を愛する人間だという意味で、そうなった時の罪悪感もほとんどないと思えたからだった。
男の子を物色しようと考え始めたのは、今から一年くらい前だっただろうか。結婚四年目くらいだった。
その昔、
「三年目の浮気」
なる歌が流行ったが、彼女にとっては、
「四年目の浮気」
だった。
浮気というものに対して、いろいろな考えがあるだろう。旦那の気持ちが自分にないという理由が一番なのかも知れないが、それによって探す相手はいろいろだ。
今まで愛が足りないと思っていた心の隙間を埋めてくれるような男を探すという、少し重めの感情もあれば、紗友里のように、気分転換という軽い動機もあるだろう。さらには、旦那に対しての当てつけであったり、自分が浮気をすることで、旦那が自分に対しての見方が変わってくればいいと思っている奥さんもいるだろう。
さすがに最後の動機は自分に都合がよすぎる考えであるが、もし、そうなれば、一石二鳥というもので、そもそも、旦那が自分の魅力を見失ったことから入った亀裂を元に戻すという意味で、相手の気持ちを刺激するというのは大切なことかも知れない。それが浮気というだけで、それもありではないかとも思えた。
だが、紗友里にとっては、そこまで深くは感じていない。
「自分よりも先に浮気をしたのは旦那だ」
という思いからの報復の気持ちと、やはり、自分にとっての気分転換という意味での相手という、そこまで深い考えではなかった。
紗友里はそう感じながら、サブカルチャーを物色していたのである。
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