ささのはさらさら
芥子菜ジパ子
おまつり
今思い返してみても、あれが全て、真実私が見聞したものかどうか。正直なところ「そうである」と胸を張って答えることはできません。自信がないのであれば黙っていれば良い、それは
それでも私は、語らねばならないのです。もし万が一、億が一にでもそれが真実であった場合、私は罪悪感に押し潰され死にたくなってしまうでしょうから。ほら吹きと呼ばれるよりも、それは恐ろしいことです。ええ私はただ、死にたくないだけなのです。
さて、どこから話を始めたら良いでしょうね。とはいえ私には、他人様が興味を持つように上手に話を展開する技量など、これっぽっちも持ち合わせておりません。ですので、やはり最初から順序立ててお話しすることに致します。
あれは私が七つの時でした。七つの、七夕の夜のことでした。夏休みに入るにはまだ早く、とはいえ昼間の照り付ける太陽や、夕暮れ時のひぐらしの鳴き声、夜中に電灯に群がる蛾や、姿も見えぬのに其処此処から聞こえてくる蛙の合唱に、確かに夏休みの足音を感じて誰しもが浮かれる、そんな時期でした。とにかく七夕です。七つの、七夕の夜のことでした。
もうひとつ七がつけば、もう少し縁起の良い話に聞こえるのでしょうか。けれど七という数字には、「七不思議」とか「七つの大罪」だとか、少しだけ薄暗いものも漂いますから、やはり何らかの因果を感じずにはおられません。
私の住む町は、都心から車で二時間ほどの距離の、取り立てて都会でもなければ、田舎というほどでもない、なんだか中途半端な町でした。
そんな町ではありますが、何故か七夕まつりには力を入れていて、毎年県境のお山から町の中心に、それはもう立派な笹竹を運びこみ、綺麗に飾り付けては盛大なお祭りを催すのです。テレビの取材が来て、ほんの数分ではありますが、ワイドショーなどで紹介されたりもしているでしょうか。町の外からも多くの人が集まります。
ですから、七夕の時期だけは、ほんの少しだけ町が活気づくといいますか、賑わうといいますか、とにかくあちらこちらから老若男女問わず人が集まっては、その立派な笹竹に、願いを込めた短冊を、思い思いに吊るしてゆくのです。祭りが終わる頃には、短冊の重みで、その枝が地面につきそうになるほどに。
あの日の私もご多聞に漏れず、家族と七夕まつりに参加するために、町の中心に出向く予定でした。参加といっても、短冊を吊るした後は露店を回って、やれかき氷だやれたこ焼きだと食べ歩くだけなのですが。
ですがその日の私は、朝から高い熱を出してしまい、母と二人で家に残ることになりました。氷嚢の氷をからからと鳴らしながら泣き、父や弟、祖父母をうらめしい気持ちで見送ったのを、よく覚えています。
前置きがすっかり長くなってしまいました。話し下手故、どうも最初から細々と、必要のないことまで話してしまったように思います。
結局私の熱は、夜になっても下がることはありませんでした。高熱というのは嫌なもので、熱くなったり寒くなったり、身体の節々が痛んだりと、なかなか熟睡することができません。あの晩の私は、うつらうつらしては覚醒し、という、まさに夢うつつの状態でありました。
何時ごろであったでしょうか。熱を下げるためにいつもより多めに摂取した水分が、私の身体の隅々をめぐり終わったようで――そう、要はおしっこをしたくなったのです。私は、看病のため私のベッドの隣に布団を敷いて眠っていた母の肩を揺すりました。
「お母さん、起きて」
いつもなら寝ぼけながらも目を覚まし、トイレに付き合ってくれるのですが、その晩は看病で疲れていたのか――それとも何か、私たちの想像を超えた
なんとか漏らすことなくトイレにたどり着き、急いで用を済ませて下着と寝巻のズボンを引き上げたその時のことです。背面の、通りに面したトイレの窓から、ずっ、ずっ、と何かがアスファルトを擦る音が聞こえてきました。そういえば、三軒先の家に住む呆けた足の悪いおじいさんが、夜中に徘徊しているらしいと、いつだかの食卓で母が言っていたっけ。よし、明日の朝になったら母に教えてやろう。
壁と便器の裏側の隙間に身体をねじ込み、私は背伸びをして窓の外を覗き見ます。
笹竹が、歩いておりました。
歩いていた、という表現は、あまり正しくないのかもしれません。だって笹竹に手足はありませんからね。あの晩私が見たあの光景を、一体どう説明したら良いのでしょう。今日自分が見に行く予定だった、泣く泣くテレビの中継で見た、あの町の中心に飾られた笹竹が、大きく
私が先ほど聞いたずっ、ずっ、という音は、どうやら、短冊と飾りの重みでずっしりと前に垂れ下がった枝葉が、地面を擦る音だったようです。ずっ、ずっ、と枝葉が擦れる度、短冊や七夕飾りも擦れ合い、さらさらと音を立てておりました。
自分の見ている光景が、あまりにも自分の理解の範疇を超えていたため、私は声を出すことが出来ませんでした。ですが、ほんの一瞬、はっと音を立てて息を飲んだのでしょう。笹竹はびくっと揺れ、その枝葉がこちらを向きました。そう、ちょうど人が、首だけこちらに向けるように。
「私の願いを、叶えておくれ」
一体どこから声を発しているのか――それでも笹竹は、確かに私に向けてそう言いました。私の喉はきゅっとしまったままで、やはり声を出すことはできませんでしたが、とりあえず話は聞いているらしいと笹竹は判断したのか、そのまま話を続けます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます