第6話 趣味の世界

 結局、フィクションにこだわることで、プロへの道を断念したという言い訳ができあがったわけだが、実際にプロになるという欲を捨てたことで得られた結論でもあり、そんな自分が指摘する分には、何も問題ないと思うのだが、まだ思い上がりがあるのだろうか?

 なかなか答えの出ることではないと思うが、長い歴史の中で、どこかでこれに近い結論が得られるような気がするが、そのことに自分が気付くかどうかということは、関係ない気がする。

 この問題が提起される時にはすでに自分はこの世にいないかも知れないし、生きていたとしてもまったく関係のないところで起こっていれば、気付くわけもないだろう。ニアミスくらいはあるかも知れないが。それも何とも言えない。そう思いと、小説を書くということは、あまり真剣に考えることではなく、気軽に考えるに越したことはないと思うようになった。

 さらに世の中には、プロになりたいという気持ちを利用した悪徳商法などが、いまだに存在するということから、

「いつ騙されないとも限らない」

 という気持ちを持っておかないと、気が付けばお金をだまし取られていたなどということになり、それどころか、作家デビューはおろか、大切な作品まで、ゴミと化してしまわないとも限らない。

 そう想うと、何を信じていいのか分からない世の中、一度目指した夢が見えなくなるということのショックが大きいだろう。

 お金をだまし取られたというよりも、

「あなたの本は、一定期間、書店に並びます」

 といううたい文句から、まさかとは思うがプロデビューも夢ではないという妄想を抱くのだからたちが悪い。

 本当は並んでなんかいなかったということを思い知らされたことの方がショックは大きいだろう。

 お金なら、今からその気になれば貯め治すことはできるだろうが、一旦手に入れかけていると思った夢が、実はまったくの騙しでしかなかったと思うと、ショックでしかない。

 これは、騙した相手に対しての怒りなのか、それとも、騙された自分が愚かだということで自分に対しての怒りなのか。そのどちらもであることは間違いないだろう。

 しかし、どちらの方が強いのかと言われれば、一言では言えないかも知れない。

 心に残ったショックの残像から自分のその時、有頂天になっていた気持ちを思い起こして考えるしかないに違いない。

 これはもちろん、人によって違っているであろうし、だが、自分に対しての怒りでも、相手に対しての怒りであっても、怒りを感じた時点で、自分が騙されているということが確定したことにいまさらながら気づかされるのだ。

「騙される方が悪い」

 という発想から、騙す方は、

「いかに騙すか?」

 ということを考えるのであろうから、騙すことで相手は金を設けることになる。

 つまりは、相手の目的は金儲けなのだ。

 そうなると、騙される方の気持ちなど、騙す方からすれば、ただのカモでしかない。騙した方が捕まって、騙した人に対して、

「申し訳ない」

 と、ウソなのだろうが言っているとしても、それは金銭的な詐欺に対しての謝罪の言葉であろう。

 捕まえた警察もそれくらいにしか思っていない。しかし、被害者のほとんどは、金というよりも、名誉であったり、せっかく有名になれるかも知れないという淡い期待を抱かせたという精神的な詐欺に対しての謝罪であれば分かるが、しょせん、捕まえた方も捕まった方も、表に出ている罪、つまりは、詐欺行為によって、金銭をだまし取ったということが犯罪の理由となるだけで、裁判はそちらに重きが置かれる。

 彼らが出版した本は紙くずになろうが、警察には関係はない。元々、民事不介入だからである。

 お金を払って弁護士を雇ったり、被害者の会を設立して、民事訴訟を起こしたりと、騙されたことに対しての本当の怒りはそういう形でしか訴えることができないのだ。

 そんな事件がいくつも発生し、社会問題になったのは、今から十数年前のことだった。短い間だったが、夢を見ることができたのはよかったが、最後はこれでは、本当にどうしようもない。

「きっとまた何十年が後には、形を変えての似たような事件が起こるに違いない」

 と言われている。

 そのいわゆる、

「自費出版社計」

 と呼ばれる出版社であったが、それまで、小説家になりたいと思えば、有名どころの出版社が主催する文学賞であったり、新人賞に蚊作以上を受賞するか。あとは持ち込みしかなかったのが現状である。

 もちろん、コネを使うとかがあればいいのだろうが、一般の人にはそんなものはない。だから持ち込みが主流だったが、そのほとんどは、応対ではいい顔をされても、本人が帰ったら、原稿は秒でゴミ箱の中だった。

 当時時代は、昭和が終わり、平成になってから少ししてくらいからのことだろうか。それまで昭和の象徴とまで言われた

「バブル経済」

 が崩壊したことで、世の中の生活スタイルがまったく変わってしまった。

 それまでは、

「何かをすれば、必ず成功し、見返りも十分にある」

 と言われていた時代で、よほどの間抜けなことさえしなければ、大きな失敗はなかった。

 だから、素人の投資家が増えたり、

「土地ころがし」

 と言われる、土地を売買するだけで、暴利を貪れる時代だったのだ。

 企業も、どんどん事業拡大する。すればするほど利益が生まれるのだから、何もしない方が罪の時代だった。

 だから、仕事も定時というのはあってないようなもの。残業など当たり前で、二、三日寝ずに素ごとをするなど当たり前だった。

 過労死などというのもその頃からだろう。

 だが、それは社会の歯車が綺麗に回っていたからで、一旦狂ってしまうと、すべてが悪い方にいく。

 まず、

「絶対に潰れない」

 と言われた大手銀行が倒産するという信じられない事態に陥った。

 事業を拡大すれば、当然銀行の融資が必要になる。銀行は何をしても儲かる時代なのだから、融資をどんどん増やして、売り上げを増やし、ライバルよりも少しでも多く、融資を貰おうと必死だ。

 だが、バブルがはじけたことで、株の不当たりが目立ち始め、次第に会社が倒産していく。そうなると、融資先からの返済が滞り、

「融資金が焦げ付いてしまう」

 ということになる。

 多額の負債が回収不可能おとなると、さすがの銀行もやっていけない。民間は何とかこの苦境を、

「銀行からの融資」

 で乗り切ろうとするが、もう銀行には融資ができる力などない。

 自分の首が危ないのだ。

 親会社が請け負った仕事を子会社へ、そして孫会社へと下請けに回すことで、親会社はその利ザヤだけで稼ごうとする。それこそが実態のないバブルなのである。

 その頃に生まれた言葉が、

「リストラ」

 である。

 利益が望めないのであれば、支出を減らすしかない。そうなると、企業にとっての一番の支出は。ほぼどの会社も、人件費である。

 人件費を削るには。それまで年功序列の終身雇用に胡坐を掻いていた中堅から、五十代くらいの社員が標的だった。まず彼らに自主退職を促したり、いよいよ危ないとなると、若い連中もターゲットになる。

 バブルがはじける少し前は、バブル最盛期、つまりは飽和状態だったのだろうが、事業が拡大してきて、人材不足から、大学生はほとんどが就職できた。その十年くらい前では絶対に合格もしなかったであろうレベルでも、数社の大企業から内定をもらい、しかも優秀な社員のつなぎ止めのため。入社前の研修として、海外旅行をさせてくれる企業も少なくはなかった。完全な売り手市場だったのだ。

 だが、いざ時代が変わると、リストラの対象は、その連中になってくる。

「それほど就活に苦労はなかった」

 と言っていた連中が、入社数年で、リストラ第一候補になるのだ。

 本当に、世の中何が起こるか分からないとはよく言ったものである。

 そして、残った社員は、それまでの五人くらいでやっていた仕事を三人で行わなければならなくならず、しかも、人件費削減ということで、残業手当はつかない。さらに経費節減から、不要な電気はすべて消すということを徹底されるので、真っ暗な中で仕事をしなければならなくなっていった。

 ただ、その頃からmアルバイトやパート募集が多くなり、非正規雇用などというものが増えてきて、正社員にいく仕事は、アルバイトにフラれることになり、仕事量は軽減した。だが、その分、責任は大きくなり、責任のないアルバイトが行った仕事の責任はすべて正社員ということになると、余計な手間や時間だけで業務をしているせいで、楽になった仕事ではあったが、終わらなければ結局自分に戻ってくることになる。

 そうなると、ストレスばかりが溜まってきて、仕事は今までに比べれば少しは早くなっただろう。バブルの頃までは、夜中までも平気で仕事をしていたが、弾けてからは、夜八時くらいまでの残業で終わるようになった。それは仕事自体が減ってきているということもあってなのだが、次第に慣れてくると、そのうちに、ほぼ定時くらいまでに終わるようになってくる、サービス残業もなくなってくるのだ。

 その頃になると、収入は少ないが、仕事は早く終わり、時間だけが残ってしまう。人によっては、飲み会に精を出す人も出てくるのだろうが、元々給料のいい人は飲みに出かけるくらいはそれほどではないのだろうが、家庭持ちで給料が下がったのが、そのまま自分の小遣いにまともに引っかかってくる人間はそうもいかない。

「飲みに行くくらいなら、何か趣味的なことをするようになれば、時間が潰せていいのではないか?」

 という発想が生まれてくる。

 それまでは仕事一筋の人間だった人が趣味を持つようになったのだ。

 それでも、さすがに最初はなかなかそうもいかない。仕事しかやってこなかった人間は残業手当だけが楽しみの一つで、収入が増えることがセットだった。しかし、趣味というのは、収入が増えるどころか、小遣いを使って自分でやるもの。お金のかかる趣味はご法度だった。

 ゴルフなどはもってのほか、せめてスポーツクラブに週に一度か二度通ってみたり、料理教室に通ってみたりと、あまりお金のかならないところが人気だった。中には行政が行っている教室などは、それほど金銭的にも高くはないだろうから、入会も多かったかも知れない。

 つまり、バブルがはじけたことの副作用として、サブカルチャーなどの趣味を行う産業が流行り出したことでもあったのだ。

 だから、それまではただごく一部の人しかやっていなかったものを、そお頃は、

「猫も杓子も」

 と言った具合に、

「○○人口が増えてきました」

 とばかりに、趣味にアフターファイブを使う人が多くなったのだ。

 それは、小説を書くという世界にも、その波は押し寄せた。

 何しろ、極端な話、筆記用具と原稿用紙などの紙、あるいは、パソコンがあればできるという安上がりな趣味であり、上達していけば、いずれは自分の本が本屋の棚に並ぶかも知れないなどと想うと、やりがいもあるというものだ。

 ハッキリとした数字は分からないが、小説を書きたいと思っている人数が、バブルがはじける前と後とでは、桁が違うくらいの増え方をしたような気がする。

 自費出版系の出版社の出現は、そんなサブカルチャー産業が増えてきて、小説を書きたいと思う人間が巷に溢れてくるようになってから、表に出始めたのだ。

 最初は、新聞広告や、雑誌の広告蘭に、

「原稿をお送りください」

 という文句が躍っているだけだった。

 小説を書き始めたばかりの人であれば、そこまで注意を払っていないだろうが、少し経ってからであれば、その文句に興味を示すようになる。

 その内容としては、送ってくれた原稿を、必ずすべて見されていただいて、評価をこちらで下して、出版案を提示するというものだった。その出版案には三つあり、一つは最優秀作品と認定されたものには、全額出版社が持ち出版するという「企画出版」、そしてもう一つは、優秀な作品であるが、お互いに、つまり出版社と筆者が出版費用を折半して、製作する。ただ、どちらも、有名書店に一定期間置くということにするというのが「共同出版(出版社によって呼び方は微妙に異なる)」、そして最後は、残念ながら、本屋に置くことのできないものなので、従来のような趣味としての自費出版という三つである。

 筆者にとってはありがたいものだった。それまでは持ち込んでも、秒でゴミ箱行きだったものを、出版社の営業が内容を読んで、批評迄して返してくれる。これだけでもありがたいことだった。

 ただ、そのせいで、原稿を送った人間は完全に騙されるのだ。

「今までにはない、何とも善良な出版社が出現したんだ」

 ということで、バブルが弾けて書き始めた人には、それまでの業界を知らないので、これが当たり前だと思っている人も多かったかも知れないが、最初からありがたいシステムには、感動ものだったことだろう。

 誠也のおじさんがその頃のことを知っていて、よく話をしてくれた。あまり親戚はいないが、その中で子供の頃から時々構ってくれていたのが、この人だった。

 この人には父親に対しての不満も聞いてもらったことがあったりしたので、誠也のことは分かってくれている。性格的にも似たところがあるからなのか、結構仲良くやれていると思っている。今は年齢も五十歳近くにはなっているが、まだまだいろいろなことに挑戦したいようで、多趣味であることに変わりはなかった。

 そのおじさんの話としては。おじさんも小説を書き始めたのは、ちょうど皆と同じころだったという。ただ、以前から書きたいという意思はあったが、なかなかうまくいかなかったのも事実であるが、少なくとも、

「何か安くできる趣味はないか?」

 というだけで、創設を書き始めた連中と自分は違うのだという意識だけは持っていた。

 小説を書いては自費出版社に送った。原稿用紙で五十枚ちょっとくらいの短編を、三作品くらいにして、短編集として、出版社に送ったという。

 ちゃんと、批評も書かれていた。A4用紙にワープロで四枚くらいに書かれていた内容は、悪いところもちゃんと書いてあったという。その悪いところをどのように注意すればいいかというアドバイスを含めて、概ね褒めちぎっているないようだが、送るたびに、共同出版の壁を超えることはできない。

 さらに年に二回ほどのコンクールを出版社ごとに開いているので、応募も可能だ。

 しかも、有名出版社の新人賞のように、文字数制限などもなく、ポエムなどでも参加ができるということで、応募数はハンパがなかった。

 有名出版社の新人賞は三百近くの応募が一般的だったのに比べ、自費出版社によるコンテストは、一万に届くのではないかと思われるほどの応募数だった。

 考えてみれば、それだけの数の中から自分のものが選ばれるわけもない。

 ただ一つ言えることは、作品には、ピンからキリ目であるということだった。

 当然、有名出版社で新人賞を取るだけの作品レベルもあったであろうし、小説を書いたなどというだけでも恥ずかしくなるような作品もあるという。それは文章のうまい下手に限らず、

「応募するには、最低限のレベル」

 というものが存在しているだろう。

 その最低限のレベルに達していない作品。それは誤字脱字が目立つなどというレベルではなく、最初から小説としての体裁をなしていないもの。例えば。段落が変わってからの一字下げを行っていないであったり、感嘆詞の後ろに一つ空白がいるであったり、句読点が改行後の頭に来ないなどといった禁則文字の扱い方すらできていない作品である。

 そんな作品が大半を示しているということなので、ほぼ、一次審査を通過することはない。ひょっとすると、内容は新人賞クラスなのかも知れないが、それ以前でふるいにかけられるのだ。

 有名出版社の審査がそうである。

 基本的には、一次審査、二次審査、最終選考という流れであろうが、一次審査を行うのは、いわゆる

「下読みのプロ」

 と呼ばれる人のようだ。

 彼らは内容を読むのではなく、前述のような体裁だけを見て、審査する。そもそも下読みのプロと呼ばれる人たちは、一度作家としてプロになったはいいが、第一作で売れたとしても、その後がなかなか売れずに、他のアルバイトで生計を立てているような人たちで、この一次審査もアルバイトのようなもので、一応、プロとして見ているという点が、素人ではないので、審査の体裁は保てているのだろう。

 自費出版社の審査がどのようなものかは分からないが、応募件数が数十倍もあるので、それこそ、ほとんどみられることもなく、審査から外れた作品も少なくはないだろう。まさかくじ引きなどで決めていたわけではないとは思うが。応募件数を審査できるほどのキャパシティではないと思われるので、審査に対しての信憑性はあってないようなものだったのだろう。

 それでも、個人個人に評価をつけて返していた。それはすごいと思ったが、そこからが出版社側の本当の目的である。

「本にしませんか?」

 ということで、協力出版を申し込んでくるという営業方針に沿った勧誘が始まるのだった。

 それからも作品ができれば、投稿を繰り返していた。最近では自分に担当がついたということで、勧誘の電話もかかってくるようになり、実際に会話もするようになった。アマチュアとはいえ、自分に担当がつくというのは、どうやら嬉しいことだったらしい。

 しかし、相手とすれば、こう何度も出版を促して、協力出版をお願いしても、

「企画出版を夢見て、原稿を送り続けます」

 と言い続けてきたが、さすがに相手も業を煮やしてくるようで、

「仏の顔も三度」

 とでもいうような状態になってきたという。

 そもそも、以前協力出版の見積もりを見て、どう考えてもおかしいと思ったことを質問したことがあったという。それは、自分の出す本が定価千円のものを千冊作成するというないようであったが、筆者である自分に対して要求してきた額が、百五十万円であったことだ。

「百万円でできるものをどうして、こちらがさらに上乗せした額を支払わなければいけないんですか?」

 と聞くと、

「本屋においてもらうためと、在庫を持った時の倉庫代が必要だから」

 と言われたのだが、それにしてもおかしい。

「定価というのは、それもすべて含めたうえで決めるものじゃないんですか?」

 と聞くと、さらに訳の分からない言い訳を言い出したので、こちらから話を打ち切ったという。その時から、

――まじで、企画出版でなければ、出版はしない――

 と感じた。

 つまり、出版に関して一銭も払うつもりはないという気持ちが確定した瞬間だったということだ。

 そこへ持ってきての出版社の方がキレてきたのだ。

「今までは。私があなたの担当として、あなたを優遇して出版会議に出してきましたが、それも今回が最後です」

 と言い出したのだ。

 言い方を変えれば、

「私の力がなければ、あなたの作品では会議に掛けることすら無理なんだ。出版したいなら、自分のいうことを訊け」

 と言っているようにしか聞こえなかった。

 さすがに、こちらもかちんときたが、

「それでも、企画出版を目指します」

 と、怒りを抑えていうと、今度はさらに相手がキレてきて、

「企画出版なんて、百パーセント無理です」

 と言い出すではないか、もうこちらもほとんど一触即発の精神状態で、

「それはどういう意味で?」

 と聞くと、

「こちらだって、慈善事業でやっているわけではないんだ。しっかり担保になるものがなければ、企画出版なんてありえない。芸能人のような人か、あるいは、過去に犯罪者になった人のような有名人でもなければ、うちで企画出版なんてありえない」

 というのだった。

 つまりは、作者のネームバリューがなければ、本は作っても売れないのだという本音を、逆切れして言ってしまったのだ。冷静に考えれば、営業としては最後まで隠さなければいけない本音を、キレながら顧客にいうのだから、まったくの失格者だと言えるだろう。

 さすがにそこまで言われると、前の時の金銭的な矛盾もあって、出版社の営業を信じられなくなるのも無理はない。

 ただ、この出版社とは絶縁することになったが、他の出版社には原稿を送り続けていた。他の出版社は、そこまでひどい営業ではなかったので、キレられることも、本音を言われることもなかったが、相変わらず批評をして返してくれる。これは小説を書いているうえで、足場がしっかりしているようで嬉しかった。

 しかも、それらの出版社の中には、出版した本を販売するという目的で、主要都市のいくつかに、カフェコーナーを作ったところがあった。そこでは執筆者にも優しいスペースがあり、電源を貸してくれたり、そこで、他のアマチュア作家が出した販売用の本を立ち読みのように、コーヒーを飲みながら読めるというありがたい場所があったのだ。

 おじさんは、その場所をありがたく使わせてもらったという。相手も作家と話ができて嬉しいと言っていたが、半分は本音だったのではないかと、、おじさんは感じているようだった。

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