悪魔のサナトリウム
森本 晃次
第1話 旧細菌研究所
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。今回も作者の個人的な意見として、日頃鬱積している思いを爆発させている場面がありますが、嫌だと思えば、飛ばして読んでください。
まだ寒さの残る時期ではあったが、昼間ともなると、歩いていて汗ばむくらいの時がある、秋から冬にかけてになると、一面黄色い絨毯を敷き津得たかのような落ち葉で一羽になる銀杏並木だったが、さすがに冬は木枯らしが吹いていて、
「本当にここが銀杏並木なのか?」
と思うほどに一変してしまう。
黄色い色はm黒に近い茶色かかっていて、昼間とはいえ、歩く人はまばらだった。
「ここの銀杏並木の間は人が多いような気がするんだけど、錯覚なのかしらね?」
と友達が言っていたが、
「銀杏並木を見に、わざわざ人が集まってきているんじゃないの?」
と答えた私だった。
ここの銀杏並木は、百メートルくらいあり、結構長いのではないだろうか。近くにバス停があるが、バスがここまでは行ってくることはない。この銀杏並木はそこまで広い道ではなく、バスが離合できるほどではなかったのだ。ここの近くにあるバス停は、大学病院前という名前がついていて、その通り、バス停から銀杏並木を通り過ぎたその先には、K大学の病院が建っているのだった。
K大学病院と言っても、ここは分室のようなところで、総合病院は、他の場所に聳え立っている。この場所は、昔から研究室のようなところだったようで、研究チームと、昔の結核病棟のようなサナトリウムが、少し離れた場所に隣接していたのだ。
今は結核病棟はなくなり、少し綺麗に改装され、一部の患者をこちらで受け入れていた。そして、研究室は以前の佇まいのまま、今もいろいろな研究が行われているということであった。
「元々、ここの研究所は、細菌研究などを行っている場所だったんですよ。いわゆる明治、大正という時代はね。そして、コレラや結核などの、恐ろしい伝染病に対してのワクチンや、抗体の研究が進められていたんだよ。今も規模は小さくなったけど、世界で流行っている伝染病研究のための、全国でも数少ない専門京急所が残っているというわけさ。元々戦前の研究所は、国立だったからね。国の組織の一つのようなものだったんだよ。だけど、そうなると、軍とのかかわりも避けられなくなり、今ではウワサでしか残っていないが、細菌兵器の開発に携わっていたという話もあるんだ。一度は終戦前に、ハルビンのように証拠隠滅が図られたということだったが、建物も爆破されずに残った。研究資料がどうなったかは知られていないが、占領軍に接収されたのではないかとも言われているんだ」
という話をしてくれた人がいた。
その人は、この病院で知り合った若き医師、安藤さんという人なのだが、島崎つかさがいつも姉の弥生をかつてのサナトリウム病棟に見舞う時、声をかけてくれていたのだ。
最初の頃は行けばいつもいたので、何とはなしに挨拶をする程度だったが、そのうちに、つかさの方から、安藤が助手をしている教授の研究室を覗きにいくようになって、急に親しくなってきたのだ。
島崎つかさは、今年で二十二歳になる、大学四年生だった。
就活もうまくいかず、とりあえず、大学の時にやっていた本屋でパートとして雇ってくれるということだったので、パートをしながら、再度就活を行うことにしていた。やはり就職氷河期という言葉は生きているようで、特にここ数年は、世界的に流行している伝染病のせいで、就活だけではなく、世の中はまったく様変わりしてしまった。
「いつ、どこの会社が潰れるか分からない」
であったり、
「観光ブックにも載っていた老舗のお店が、今回のことで営業不振でやっていけないということで店じまいしたということがネットニュースに載っていた」
などという話を毎日のように聞いていた。
「もう自分だけではない、世の中全体がそうなってしまったのだ」
それが現実だったのだ。
「年号が変わってろくなことがない。何が令和だ」
と、いう声がいたるところから聞かれた。
政治は腐敗し、世の中もおかしなことになってきた。何を信じていいのか分からない世界になっていた。
過去にも日本で大流行したもので、それがすでに全世界を駆け巡っていたというのもいくつかあった。これ等やスペイン風邪などというものもそうであっただろう。第三波くらいまであったようで、その被害や、死傷率はかなりのものだったという。
まだ、今回の伝染病もなかなか収まりを見せないのは、どうしても行政の怠慢と考えの甘さが露呈していた。さらに、そこに政治的な利権が絡んでくるから、
「俺たちは一部の政治家に殺されるようなおのだ」
という辛辣な意見も聞かれたりしたが、みんなその意見を他人ごとではないと思って聞いていたようで、賛同する人も多かった。
政権もコロコロ変わり、何が正しいのか分からなくなり、人々が伝染病慣れしてきた頃、いつの間にか収束していたというオチになりそうな気がしてならなかった。
「喉元過ぎれば熱さ悪れる」
という言葉があるが、本来の意味とは違っているとは思うが、なぜかその言葉を思い出すのであった。
そんな世の中において、何とか毎日を無難に過ごすことだけを考えているつかさだったが、そうでもなければ、不安ばかりが募ってしまい、何も手につかなくなるのが分かっている。ちょっとでも余計なことを考えると、不安が倍々になっていくような気がして、気にしないように心がけているのだった。
そのせいか、人によってはつかさのことを、
「天真爛漫だ:
という人もいるが、本人はそんなつもりはない。
天真爛漫というのは、もっと、何も考えない人のことで、何も考えていないとまわりから指摘されると、本当のことだという意識からなのか、それとも、ただの照れ隠しなのか、
「えへっ」
と言って、笑顔を見せる。
その顔のことを称して、
「天真爛漫だ」
というのであり、そもそも、指摘されて笑顔を見せないようであれば、天真爛漫という言葉を使う資格はないだろう。
天津爛漫という表情がどんなものか分からないまでも、まわりから天真爛漫だと言われて嬉しく思う人こど、天真爛漫なのではないかと思う。
少なくとも、つかさは天真爛漫だと言われると、照れる前に、
「穴が会ったら入りたい」
と思うに違いない。
これは、テレではなく、羞恥に近い者である。つまりは、
「テレではなく、恥なのだ」
ということであろう。
他の人に天真爛漫だと言われると恥だと思うつかさだったが、姉からだけは、
「あなたは天真爛漫でいいわね」
と言われると、照れ臭く感じられた。
どうやら、姉はつかさのことをよく分かってくれていることで、天真爛漫という言葉が自分と姉を結び付けている繋がりだと思っているようだ。
その感覚は。
「血の繋がり」
などというただの言葉にしかすぎないと思っている感覚と違って、別の意味で繋がっているという感覚を確かなものにしてくれることで、姉が本当に自分を慕ってくれていて、自分も姉を尊敬しているということが分かるのだ。
今の姉はつかさを慕ってくれている。つかさも尊敬はしているが、それは過去の姉に戻ってからだと思っていた。
今の姉に対して、尊敬という感情は、
「傷口に塩を塗るようなものだ」
という感覚でいるのだった。
今の姉は、誰に対しても赤ん坊のようだった。誰に甘えればいいのか分からないというよりも、誰に対しても甘えている。
「天真爛漫というのは、あのお姉さんのことをいうんじゃないかしら?」
という人もいるが、
「そんなこと言っちゃダメ。お姉ちゃんに失礼です」
と言いたいのだが、それを言ってしまうと、角が立つと思い、角を立てる必要もないところで角を立てることがどれほど無意味なことなのかということを。いまさらながらに思い知えりそうな気がして嫌なのだった。
週に一度姉のところに通ってくるようになって何度目であろうか? 一度は黄色い絨毯を見た記憶はあるので、昨年の秋口より前だったことは間違いないだろう。学生時代は大学祭の時期でワクワクしていたものだが、今では虚しさ氏感じなくなった自分に寂しさを感じていた。
最初は普通の病院にいた姉だったが、やはり姉を他の患者と一緒にしておくのをあまりいいことだとは思わなかった家族が、姉をこのかつてのサナトリウムであるK大学病院の特別病室に入れたのだった。
病院の方でも、ここの病棟を、敢えて別の名前を付けることをせず、そのために、
「特別病棟」
という名前が浸透してしまったのは皮肉なことだったが、それも仕方のないことであった。
この病棟の近くにある、旧細菌研究所も今も細菌の研究を行ってはいるが、この頃は精神医学関係を扱っているようだ。
詳しくはオフレコのようだが、その内容としては、最近術であったり、睡眠療法のようなものを研究していたりするらしい。要するに、K大学病院の本棟では大っぴらに研究できなかったり、他の病院でも極秘に研究が行われている部分を、K大学ではここで行うようになったのだ。
ここで研究されたことが学会で発表され、今まで表に出ていなかった教授が、その研究で脚光を浴びるようになり、マスコミからの取材や、テレビ出演などで、急に引っ張りだこになり、そのおかげで、今では本棟の方で、この病院で一番有名な先生となったという話もある。
ここで研究をしている教授のほとんどは、そんな出世を望んでいるわけではない。自分の研究が日の目を見せたいと思うのは当たり前のことだが、だからと言って自分も一緒に表舞台に出たいと思わない人がほとんどだ。
表に出ることで、自分が表に出てしまうと、二度とここに戻ってきて、表ではできない研究ができなくなることを危惧していた。もちろん、表舞台に出れば、富と名声を手に入れることができ、贅沢な暮らしや、好きなものが何でも手に入るという夢のような世界が待っていることだろう。
だが、研究への探求心は、何物にも代えられないのだ。そんな気持ちを表に出すと、
「何を言っているの、私たち庶民がほしくても手に入れることのできない人間の欲望の達成が手に入るというのに、贅沢よ」
と言われることだろう。
物欲、性欲、食欲、征服欲、それぞれの欲を満たすことのできる世界である。望まないわけはないではないか。
確かに、誰もが欲しがるもので、そう簡単に手に入れることのでっきないもの。それを手に入れられるのだ。後にはどんな欲が残っているのだろう?
しいて言えば、欲ではなく、得られる感情というべきではないだろうか?
「満足感であったり、充実感。これは欲望を満たしてしまうと、感情としてはマヒしてしまうのではないか」
と思う、
「人は、欲を満足させることができたとしても、新たにまた別の欲を持てばいいと簡単にいうかも知れないが、一度欲望を満たしてしまうと、その時の充実感や達成感は、二度と得ることはできない」
という考えに発展するのだ。
充実感や満足感を味わうだけでは、また新たな欲を目指していけばいいだけなのに、欲望が一度叶ってしまうと、別の欲望を目覚めさせることは無理なのではないかとおもうのだ。
そのことに、気付かない人が意外と多かったりする。だから、この研究所で開発した研究を元に、得られた欲望を手放すことができなくなり、それが充実感や満足感を忘れることになるのを、本当に自覚できているのだろうか?
表舞台に立ってしまうと、
「研究を発表させた教授として、その地位や名声は確固たるものとなり、スキャンダラスなことでもなければ、その地位や名声を失うことはないだろう」
そのことに固執すると、これまで三度の飯より研究が好きだった教授は、別の人間になってしまったかのようだ。
「別人格なんだ」
と過去の自分を思ってしまう。
裏しか知らなかったかつての自分と、今の自分では、別人格であると思いたくはないが、思わずにはいられない。その思いを胸に、自分が研究者の道から、自分が開発、発明した研究を世に広めるインフルエンサーにもなるのだった。
インフルエンサーが開発者そのものだとすれば、これほど効果のある宣伝もないだろう。これからの時代は今までと違って、開発者によって宣伝する時代がすぐそこまでやってきているのかも知れない。それこそ、研究第一に考えている裏の教授連中が一番恐れていることであろう。
研究の発表がどこまで自己満足でいられるか、やはり、この場所の存続は絶対不可欠だと言っていいだろう。
ここでの研究者が、基本的に自己満足に浸っている人が多い。
助手の安藤氏も同じような感情を持っていた。彼は若くして、ここの研究員を目指すことになったのだが、元々ここの研究員というのは、表の研究員としての下積みがあって、向こうで助教授、准教授、そして教授のどれかの立場を得てから、研究者としての道に邁進したいという思いの元に転属願いを出すのだが、安藤氏だけは、最初から、こちら勤務であった。
この配属は異例中の異例であり、今まであれば考えられないことだ。
基本的に、新人でこんなところに回されでもすると、数か月も持たずに辞めていく人ばかりだということは、かつての配属で分かっていることだ、戦後の復興期には、そういう人事もあったが、残る人は皆無だったことで、数年でそんな人事はなくなった。そして、
「新人が、細菌研究部に配属されることはありえない」
という人事の鉄則になっていた。
それなのに、どうして彼が配属になったのかというと、
「配属の意帽は、細菌研究部」
という新入研究員のアンケートに答えた安藤氏に、人事部では少なからず驚いていた。
彼の学生時代の研究を見ていると、履歴書だけでは分からない。細かい学生時代の研究経歴を見ると、
「なるほど、彼の性格が見えてくるようだ」
ということで、その内容からは彼の性格が見え隠れしているようだ。
そんあ彼であれば、
「十分、細菌研究部でも大丈夫だ」
と思われた。
何と言っても、自分から、あのアンタッチャブルな部署を要望するなど、自殺行為もいいところだからである。
だが、彼の経歴を見ると、
「そんな彼のような研究員のために、あの部署はあるのだ」
と言わんばかりに言われていることだろう。
彼のそんな希望が叶い、細菌研究部へ配属されると、研究所でも異色ともいえる、袴田教授の助手という肩書になった。
袴田教授というのは、心理学にも精通した精神科医で、主に催眠術や洗脳などと言ったところを研究している。
他の病院にも催眠術や洗脳などを研究する教授はいるだろうが、それらは、少しでも一つの理論ができれば、すぐに治療法に結びつけようとする。
そのために研究しているのだから。それは当然なことなのだが、実際には、中途半端な状態で治療に使っていると思っているのが、袴田教授だった。
表にも催眠術を研究している教授がいる。彼は他の大学と同じような研究を行い、すぐに治療に結び付けていくが、袴田教授はそれで満足できるわけではなかった。
そのために、自分の研究を完成させることが医学界への近道だと思うようになった。だから、中途半端だと自分で思っている間は、治療には使わない、ある意味、
「妥協を許さない研究者だ」
と言っていいだろう。
そんな袴田教授は教授会からもあまりよくは思われていない。
「とっつきにくい、昔カタギの教授だ」
と言われて敬遠されている。
袴田教授がそれでよかった。
別に自分が好きでもない相手に好かれる必要などない。
「自分が一人で研究していることを信じればいいだけで、他の人とつるむのは、それだけ自分に自信がないからだ」
と思っている。
研究というものが、人を押しのける材料になることを、一般の教授はよしとしないと思っている。ただでさえ、教授などというと、堅物のイメージを持たれてしまうのだ。せっかく大学教授として尊敬される立場にいるのだから、それを自分で壊すなどということをどうしてできるであろう。
袴田教授が研究を行っているのは催眠術、催眠術によって、治療もできれば、洗脳もできる。治療は最後の総合的な発想として、まずは洗脳の部分からの研究を行う。それが袴田教授の事故理論であった。
催眠術からの洗脳というと、どうしても頭に浮かぶのは、宗教団体というものである。
いわゆる、マインドコントロールと呼ばれるものであり、人が不安に思っていること、助けを求めてすがってくる人間を自分たちの考え方に洗脳し、利用するという考え、昔からの宗教ではなく、新興宗教というものの中の一部にそういう傾向があるのは事実であろう。
かつて、そんな宗教団体がまるでクーデターか、テロ組織なる暴挙に出たことがあった。
世界を震撼させた事件も発生し、国もそれらの団体に対して、法律の整備を行ったりしたことがあった。
「これは人類に対しての挑戦であり、文明に対しての挑戦でもある」
と、法律設立のための訓示で、そう言ってのけ、さらには、
「それらの団体を決して許してはいけない。被害者をこれ以上出すわけにはいかない」
という考えからであった。
そういう意味で、その事件発生後から、政府も催眠術や洗脳に関しての研究を行ってきた。もちろん、極秘裏にであったが、政府の高官というのは、頭が固いというのか、それとも、見方があまりにも狭いというのか、それらの研究員がいることで、彼らが研究の結果、自分たちが宗教を立ち上げると言った。
「ミイラ取りがミイラになる」
というような滑稽なことになった。
しかも、彼らの発生に一躍買ったのは政府であり、研究費用として使われたのは、国家予算と言う名の、国民から摂った血税である。
それを思うと、どこまで許しておけばいいのか、疑問に感じるところである。しかも政府はそうなってしまったことを、自分たちのせいだとは思っていない。思っていないというよりも、自覚自体がないのだ。自分たちが自らで作ってしまった悪を認めることが頭の中でできないと思っているから、対策も取ることはできない。そのままのさばらせて、最後には法律で彼らを検挙するしかできない。
それでも、政府に罪の意識がないのだから、第二第三の団体が生まれてくるのは必至で、そのたびごとに、
「どうしてこんなことになるのか?」
と、一番自分たちが悪いということをまったく見ていない人たちには、やはり対策が打てるはずなどありえるわけはないのだ。
そのおかげで、
「催眠術を研究している人は、あまりいいレベルではない」
と政府には思われているようだ。
自分たちが悪いのに、研究員を蔑むような言い方。これが政府の政府たるゆえんだと言ってもいいだろう。
研究というものを理解もできない人が、私利私欲だけで世の中を生き抜いてきて。そんな彼らにゴールはないのだ。
私腹を肥やせば肥やすほど、彼らの中に罪悪感が少しずつ蓄積されてくる。その思いがどんなにゴールを目指しても、ゴールが見えずに迷走することになる。
もう政治家などに任せておけないということで、K大学は、旧細菌研究所を、政府には極秘で、政府の発想とはまったく別の妥協を許さないやり方で、進めることを選んだ、
それが、K大学細菌研究所の本来の目的だったのだ。
政治や忖度などに惑わされる、彼らの感性で進める研究。それがひいては医学界の発展にも繋がる。
だから、中途半端な状態での発表を行わないという主旨もそこにあるのだった。
袴田教授もその精神を受け継ぎ、安藤助手も同じ気持ちに変わりはない。
しかし、教授や研究員は決して自分の気持ちを表に出そうとはしない。だから、袴田教授は安藤氏の、安藤氏は袴田教授の本当の姿を見ることができないのだ。
「自分が見えるということは相手からも見られているということ、自分が見えていることを優先するより、相手に見られることを優先しなければいけないこともあるのだ」
という考えの元、ここの研究所では、若いのに、研究に没頭できる毎日が楽しくもあった。
安藤氏はそんな研究の毎日を、
「あっという間に終わることもあれば、なかなか時間が過ぎてくれない時もある」
と、大学生の頃までと同じ考えだった。
だがそれは、言葉だけのことで、その気持ちの奥にある感性はまったく違ったものだった。
学生時代の研究では、なるほど研究の時間は他の人とかかわりがないようにするほど別の時間であり、研究が終われば、飲みに行ったり、カラオケに行ったりと、大学生という普通の側面も持っていて、見た目は普通の大学生だった。
しかし、研究所に来ると、研究の時間も、プライベートでも感情は変わらない。下手をすれば、寝る時間や食事の時間以外は研究をしていても、別に苦にならないという生活になってしまっていた。
「大学生活があって今がある」
という言葉は賛同するが、実際にはその考えとは、他の人が考えている思いとはかなりの差があるような気がする。
「研究は楽しい」
という言葉は、研究所に配属になってからは、皆無であった。
研究所での袴田教授であるが、あまりとっつき安い人ではない。助手になったからと言って、何かを言いつけるわけでもなければ、試している様子もない。ただ一緒にいるだけということに、もし他の人であれば、すぐに逃げ出すだろう。
――なるほど、ここに配属になった人は、すぐに辞めるというが、これなら納得だ^^
と思った。
しかし、安藤は自分から望んでここに来たのである。そして、希望を、
「催眠療法や、記憶喪失などの人を治療できる人の下がいい」
ということであった。
そうなると、袴田教授がいいということになり、配属はすぐに決まったようだ。だが、この様子だと、配属を言われた時、袴田教授は断ったのかも知れないと感じたほどだ。
袴田教授は、今数人の患者を持っている。隣のサナトリウムにいる患者の中で、記憶喪失であったり、自己喪失を起こしている人などの治療に当たっているのだが、記憶喪失に関しては、結構な確率で取り戻しているということもあるが、そのウワサは世間には一切流れていない。
この研究所の教授は表に出ることもなく。病院側もなるべく隠そうとしていた。
それは、別に理由ありの人を隠そうとしているわけではなく、一つの結果が出て、マスコミ発表できるようになるまでは、オフレコだったのだ。
それは完全に病院としてのセキュリティの問題であり、一般の企業が開発研究者を隔離して、開発が終わるまで一切外部との接触を断っているようなものである。
ここの人間は、研究冴えできればそれでいいという連中ばかりなので、世間との隔絶は却ってありがたかった。自分の研究をそれだけ企業が大切に考えているということでもあるので、お互いの利害が一致しているということでもあった。
一つの大きな研究がなされて、それが発表されて脚光を浴びると、本棟に戻って、表との隔絶を取り除く人もいるが、ほとんどは、またこの研究室に戻ってきて、前と変わりなく研究に没頭する人だったのだ。
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