002
しかし、噂とは身勝手に動き回るものだ。大学受験前の生徒の転落と言えば、自殺と決めつける者は必ず出てくる。実際、日本で一番の名門医学大学を受けようとしているのだ。どんな秀才だって、それなりに苦労することはあるだろう。しかし、彼女の場合は模試でも合格圏内に納まっており、苦戦している姿を誰も見たことはなかった。行きたい学部との相違はあったが、医学部に入ったからと言って、アナウンサーの夢を捨てなければいけないというわけでもない。彼女が大学受験で自殺を考えるはずがないと断言出来た。
実際、警察の実況見分では自殺とは判断されず、事故として片付けられていた。その理由はいくつかあったが、一つは構内にも自宅にも遺書らしきものがなかったことだ。そして、彼女は上履きを履いたまま後ろ向きに転落している。英子の記憶の中でも沙羅は窓から眺める風景が好きだった。何かに思いを馳せる時、沙羅は必ずと言っていいほど窓の外を眺めていた。
しかし中には更にとんでもない噂を立てる者もいた。沙羅のようなしっかりした女子生徒が、転落事故などの間の抜けたミスなどおかすわけがないと。だから、誰かが故意に落としたのだというのだ。ただ、警察側から言えば、彼女が転落時に争ったことや暴れた痕跡はなかったという。逆に、長時間窓枠の上に座っていた形跡があり、彼女がそこにいたのは彼女の意思であることを示していた。また、拘束などされ身動きが出来なかった様子も見られない。可能性がないわけではないが、他殺と考えるにはあまりに証拠がなかった。
ただ、疑問視されていたのは、なぜ昼休みに彼女は一人で4階の化学室にいたのかということだった。化学室はほとんど使われることがなく、人も寄り付かない場所である。昼休み、一人で過ごしたかったとしてもその動機が浮かばなかった。
彼女の死因が納得いかないからこそ、噂は更にエスカレートしていった。本当は家庭で虐待を受けていたとか、人生に絶望して一人になる場所を探していたのだとか、好きなように言い出したのだ。そして、その中でも妙に信憑性を持って浮上してきたのが、沙羅はストーカーに悩まされていたというものだった。実際、教材や私物を盗まれることやちょっとした嫌がらせは受けていたらしい。ただ、沙羅はそれに動揺することなく、落ち着いて対応していたようだった。
彼女は魅力的な女性だ。彼女に恋焦がれる男子生徒は数えきれないほどいただろう。実際、思い切って告白して玉砕したという話も後を絶たなかった。そんな男子生徒が、腹いせにストーカー行為をしていてもおかしくない。また、断られたことを受け入られず、好意が行き過ぎた者もいただろう。それでも、今までそのような行いに問題視されたことはなく、彼女も悩んでいる様子はなかった。
様々な憶測で飛び交う噂を英子はどこまで信じていいのかわからない。実際、英子の知っている沙羅の顔など高が知れている。ただ、なんとなくだが、あの幸せそうな沙羅がこんなにあっけなく逝ってしまったことに納得がいかなかった。彼女がいなくなったからこそ知りたい。彼女が本当はどういう人だったのだろうかと。彼女は天女のような穏やかな人だったが、万能だなんて周りの勝手な期待であり、本当の彼女を誰も知らなかった。彼女がどんなことを考えて高校生活を送り、どんな想いを胸に秘めていたのか、英子は知らずにはいられなかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます